コロナ恐慌からの脱出(35)サマーズ元財務長官のバイデン財政批判

元米国財務長官ローレンス・サマーズが英経済紙ファイナンシャル・タイムズで、バイデン政権の財政出動における規模について、再び懸念を述べて話題になっている。バイデン政権が1.9兆ドル(約200兆円)の財政支出を発表したとき、サマーズは加熱とインフレを憂慮するコメントを発表し、さらに、バイデン政権が追加で3兆ドルの支出を言い出したときにも懐疑的だった。

その後、現財務長官のイェーレンなどが、規模は適切だとの見解を述べるなどしたせいか、ややサマーズの批判が鈍った感もあったが、このファイナンシャル・タイムズ4月13日付のインタビューは、聞き手が巨大な財政出動には懐疑的であるマーティン・ウルフだったせいか、懐疑的なニュアンスが強まっている気がする。とはいえ、アメリカ財政の歴史に触れるなど、興味深い点も多いので簡単に紹介しておきたい。

同紙がタイトル「ラリー・サマーズ;『私は行なわれつつある財政出動は実際に過剰なではないか懸念』」などで強調しているのは、やはり、規模が大きすぎるということである。3兆ドルの追加については「この最近の政策パッケージはいまのコロナ禍の対策というより、社会政策における巨大な変化の兆候だと思われる」と述べている。サマーズによれば、すでに前トランプ政権が行った財政出動と合計すると、「国家予算の4分の1にも達する」というわけである。

これに対して辛口コメンテーターのウルフは、「あなたは『セキュラー・スタグネーション』を唱えた経済学者なのに、そこで主張された財政出動が大きすぎるというのは、どういうわけなのだ」という意味の突っ込みを展開している。簡単に解説すると、サマーズは2013年のIMFでの講演で主張した「セキュラー・スタグネーション」(ここでのセキュラーは「長期」という意味で、長期停滞論と訳される)では、世界的な停滞から抜け出すには財政出動しかないと言っていたからである。

もちろん、サマーズがセキュラー・スタグネーション論を唱えたことは間違いないにしても、彼が論じたのは金融だけに依存するような不況対策は不十分だということで、民間投資を促進するために規制の緩和・撤廃とセットになっていた。ところが、バイデン政権が進めつつあるのは、あまりに財政に頼りすぎているし、規模が大きすぎるというわけである。ちなみに、財政出動への懐疑的姿勢から積極的姿勢に転じた、元IMFチーフエコノミストのオリビエ・ブランシャールも同じ意見だった。

こうした懐疑派が指摘していたのは、2021年の需給ギャップ予測は4200億ドルなのだから、これを全部埋めるにしても1.9兆ドルはいらない。ましてや、3兆ドルの追加は馬鹿げているというわけである。たとえば、経済は需要が決めると仮定して、もっと雑な計算をしてみると、2020年はGDPが約5%減ったのだから、その分を加えてGDP比約10%の財政出動を行ったとしても、2021年に常態に戻ったとすれば、約5%のインフレの可能性があることになってしまう。2019年の名目GDPが22兆6752億ドル。その10%とすれば2兆3000億ドルでも十分すぎる。

GDPの4分の1の財政出動を行うということが、どれほど巨大かということは、だいたいわかっていただけたと思うが、1960年代にGDPの約3分の1の予算を新たに組んだ国があった。東京オリンピックを前にした日本だった。もちろん、これは単年ではなく、高速道路や新幹線の開発までを含んだ金額で、しかも、日本は高度成長の最中であり、何とかインフレを吸収でき、労働力なども農業従事者が農閑期に東京に出てくるという、いまからすれば信じられないような「動員経済」で乗り切った。

話をもとに戻すが、3兆ドルの追加予算は単年度ではなく、また、高額所得者に増税するという話なので、そのまま需要に回るわけではない。単純にそれまでの財政支出にプラスすることはできないし、どうも、この金額だけでなく増税分も小さくなりつつあるような気配だ(追記:1.8兆ドルに落ち着いた)。しかし、サマーズはなおもバイデン政権の高額の財政支出と急激な社会政策について懐疑的なようである。

このインタビュー記事では、規模の大きさだけでなく、さまざまな問題が語られているが、興味深かったのは、サマーズが経済政策というものを歴史的にとらえていて、「妥当(ヴァリッド)」な経済政策は、多くの要素によっていくらでも変わりうると述べている部分だった。これは単に自分もかかわった経済政策が、必ずしも妥当でなかったことを弁解しているとも取れるが、まずは読んでみていただきたい。

「1990年第は、ビジネス投資のほとんどの領域は、高くつく資本によって制限された。……それが、この10年ほどは、資本のコストは投資においてほとんど問題にならなくなっていた。……しかし、さまざまな理由により、今日の状況はちょっと1960年代に似ている。経済の数学計算はどこかに放り出して、それでもうまくいくだろうと思われたわけである。しかし、60年代からのアメリカでは、この実験において、ジョンソン大統領は経済的に失敗し、また民主党は政治的に失敗した。わたしは同種の危険がこれから起こるような気がしている」

どこか持って回った言い方が、いかにも若いころに天才経済学者と呼ばれ、政府の重要ポストを歴任したサマーズらしいのだが、1930年代に活躍したケインス経済学者アルビン・ハンセンが命名した「セキュラー・スタグネーション」を使って論じた、現在の世界経済の見取り図を見ると、いくつかの貴重な示唆があるようにも思えてくる。

サマーズは昨年2020年3月にも「セキュラー・スタグネーションを受け入れる」というタイトルで講演していて、ここで彼の長期停滞論の大まかな根拠を整理している。ここでは、「決定的なのは人口動態」であるとされ、アメリカをはじめとする先進国だけでなく、中国のような急成長を遂げた国でも、大きな問題は労働人口の縮小と高齢化だと指摘している。これこそが「構造的変化」を生み出しているというのだ。

労働人口の高齢化と縮小は、不確実性とリスクへの予想を生み出し、貯蓄への性向を高めることで金利が低下していく。同時に、さまざまな家財や住宅への需要がへって、企業の投資が減ってしまう。こうなると、民間貯蓄が急速に増大するから、民間投資はそれを十分に吸収することができなくなる。経済全体も低成長の時代に入り、インフレ率もずっと低下してしまう。

そして、低成長からくる国民の失望はさらにインフレ率を押し下げる方向に働き、実体経済は伸びていかないのに金融経済だけがバブルを続けていく。「『人口動態は運命だ』という以外に、わたしは、急激に拡大されていく政府部門と、ますます加速されていく民間部門の金融経済に直面して、いまの停滞する経済をうまく説明する他の何らかの理論を知らないのである」。

アメリカの長期停滞論には多くの種類があるが、サマーズのように運命としての人口動態から論じる説、また、ノースウエスタン大学名誉教授のリチャード・ゴードンのように大衆消費を掻き立てる商品が生まれるめぐりあわせで論じるもの、そして、人気経済学者のポール・クルーグマンのように、停滞期はこれまでもあったし、これからもある経済の一局面であると、相対的かつ楽観的に論じる説などが知られている。

もちろん、たとえば、中国がアメリカとは異なる政治および経済システムをもっていることについて、どう考えればいいのか。また、日本のように家計が急速に貯蓄率を下げた場合は特別なのではないのかなど、それぞれの国の特質を論じないで、こうした世界規模の長期停滞を論じることには疑問が起こる。そしてまた、いまのようにバイデン政権の巨大すぎる財政支出が、こうした「運命」に変化を与えるのではないかという予想もあるかもしれない。

しかし、いずれにしても、アメリカや日本が享受してきた「繁栄」というものが、実は、ある種の歴史の局面に過ぎないのではないかと考えてみるのは、けっして無意味ではないように思う。それは繰り返されるものなのか、あるいは、一度だけなのかという違いからも、政策は大きく変わってくる。今回のコロナ恐慌脱出策において、バイデン政権はかなりの賭けをしていることは間違いない。

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