隠し味が効いてる『ゴヤの名画と優しい泥棒』;実話の映画化はやっぱり喜劇が最高だ!

『ゴヤの名画と優しい泥棒』(2020・ロジャー・ミッシェル監督)

 映画評論家・内海陽子

 傑出した女性の後ろに影のように寄り添い、彼女を盛り立てる夫を演じて好印象を与えてきたのがジム・ブロードベントである。『アイリス』(2001・リチャード・エアー監督)では、作家アイリス・マードック(ジュディ・デンチ)の老いの日々を支える夫ジョン・ベイリーに、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2012・フィリダ・ロイド監督)では、政界進出をもくろむマーガレット(メリル・ストリープ)を後押しする実業家の夫デニス・サッチャーに扮した。ジュディ・デンチもメリル・ストリープも大物だから、ジム・ブロードベントはかすんでしまうかと思いきや、彼には独特の気品とチャームがあり、くっきりしたシルエットを残す。

 この『ゴヤの名画と優しい泥棒』(2020・ロジャー・ミッシェル監督)は、ヘレン・ミレンが相手役なので、一瞬、女王の夫役かと早合点してしまう。ご存じのように、ヘレン・ミレンは『クイーン』(2006・スティーブン・フリアーズ監督)でエリザベス2世を演じて、アカデミー賞主演女優賞ほか世界の名だたる主演賞を独占した名女優だ。わたしの早合点をいなすように、ヘレン・ミレンは家政婦として中流階級の家の暖炉をゴシゴシ洗う姿を見せる。初老の彼女が懸命に働かなければならないのは、夫のケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)が堅実な働き者ではないからだ。

 1961年。イギリスのBBC(英国放送協会)はテレビの受信許可料取り立てに余念がない。ケンプトンは、テレビ視聴が唯一の楽しみの高齢者には公共放送を無料にせよ、という運動を展開している。街頭に立ち、息子のジャッキー(フィオン・ホワイトヘッド)に手伝わせて声を張り上げるが、その主張が通るわけもない。タクシー運転手をしているが、おしゃべり好きで乗客からの苦情が多く、貧しい乗客からは金を取らないので、タクシー会社をクビになった。しかし彼は少しもめげず、受信許可料不払いで刑務所に入れられても、堂々たる態度で出所してくる信念の男である。妻のドロシー(ヘレン・ミレン)は匙を投げ、バントン家の生活のためにひたすら働くのである。

 このままの活動ではらちが明かないと悟ったケンプトンは一計を案じる。それは、ロンドンのナショナル・ギャラリーからゴヤの「ウェリントン公爵」を盗み出し、それを人質にして高齢者の受信許可料を無料にさせようというもくろみだ。この絵を選んだのには理由がある。公爵=「ザ・デューク」は普通選挙に反対した人物なのに、国が14万ポンドも払って購入したことに納得がいかないからだ。そう思うのはもっともなことだが、その思いを強奪という形で実行に移してしまうところがケンプトンである。強奪はすんなり成功し、息子には打ち明けるが、むろん妻には内緒である。

 普通なら、この強奪シーンを詳細にスリリングに描くところだが、この映画では隣の部屋にちょっと移しましたよとでもいうようにさらりと終わる。むしろ、持ち帰った絵を自宅の小部屋に隠すために、ジャッキーの手を借りてする大工仕事がメインになる。狭い家の中、いずれドロシーに発見されるのは目に見えているが、この小さなサスペンスが案外楽しい。ケンプトンは手紙を書いて国に要求を申し述べ、手紙の鑑定人には「高い教育を受けていない独学の人」というレッテルを貼られる。その表現にさびしくなるが、その鑑定人が少し恥じ入ったような表情をするところにこの映画の隠し味がある。

「ロビンフッド」を気取っているせいか、法廷におけるケンプトンの態度は見事なものである。被告人席が法廷の一段高いところに設けられているので、まるでケンプトンが王のように見える。どんな質問にも彼らしく正直に答えるが、それがことごとく権威ある人々をくさらせる。実際のケンプトンは、もっと大向こう受けする発言をしたかもしれないが、この映画では、あくまで愚直な愛すべき人物が持論を曲げず、ときにユーモアを交えて闘う、その様子を優しく見守る姿勢が貫かれている。いかに教育程度が高く、要職に就いていようと、国の施策の至らなさを指摘し、愚行を犯してまで闘う人物はいない。だからこそ人々は彼に畏敬の念を抱くのである。

 そりの合わないように見えたケンプトンとドロシーが、やはり惚れ合って一緒になった夫婦だとわかる終盤はわかっていても嬉しい。ドロシーがシェークスピアは知っていてもチェーホフを知らないと言うのも、見下すという意味ではなく、なんだか嬉しい。結局、2000年、BBCの受信許可料が75歳以上は無料になったという。独学の活動家が40年かけて出した成果である。実話の映画化は、こういう喜劇が最高だ。

◎2022年2月25日より全国公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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