悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり

『愛がなんだ』(2019・今泉力哉監督)

 映画評論家・内海陽子

 ある映画を気に入った瞬間は、まず身体が喜ぶ。膝がしらに震えが走り、それが全身を駆け巡って頭のてっぺんに至り、見えない歓喜のドームのようになる。映画批評を書くというのは、その気持ちを言語化して行く作業なので、あまり楽しいことではない。しかしそう思いながら言葉をつづっていくと、ある地点で心が晴れ晴れとしてくる。身体はまた違う喜びを味わうのだ。

 この『愛がなんだ』は、歓喜のドームが上質なコートとなってわが身を包み、なかなか脱ぎたくならないかんじである。上映時間の長い作品はごめんだと思うのが常なのに、この映画はずっと見ていたい気持ちになる。どうしてそうなるのか、ということを考えてみよう。

 角田光代の同名小説の映画化で、結婚式の2次会で会ったマモル(成田凌)にぞっこんになってしまったテルコ(岸井ゆきの)の終わらない片想いを描く。こういう説明にはうんざりする向きもあるだろうが、彼女の真剣な姿はおもしろい。マモルのことしか頭にない女のコが、仕事も何もかもそっちのけで彼に向かって突き進んでいく。愚かでグロテスクな印象を与えかねないシーンが続くのに、それが上質なコメディのようになっている。

 夜、マモルから体調不良のSOSがあれば、たとえ自宅に帰ったばかりでも仕事帰りを装い、すっ飛んで行く。そして意気揚々と味噌煮込みうどんを作り、汚れた場所の掃除に取り掛かる。そういう対応すべてが、ああ、だめだなあ、男は気持ちが引くだろうなあと思わせる。案の定、彼はにわかに表情を変え、彼女をアパートから追い出してしまう。帰りのタクシー代もなく、テルコは呆然とする。普通なら、ここで屈辱感にまみれるところだが、彼女はめげない。

 マモルは平凡な青年だが、その手がきれいなところにテルコはまいってしまい、彼の役に立つことを願い、要請があればいつでも応えるべくスタンバイしている。恋の駆け引きなどは知らない。いや、知っていたとしても、彼に惚れこんでいるので、そんなことができるわけがない。

 テルコの駆け込み寺は、母親と暮らす友人の葉子(深川麻衣)の家で、彼女はマモルのことをあしざまに言う。だが、その葉子は自分に恋しているカメラマン、ナカハラ(若葉竜也)を都合のいい男としてこき使っていながら、彼の気持ちには無頓着だ。「マモルと葉子は似ている」。そう考えて、テルコはナカハラに同情する。二人にさびしい連帯感が生まれる。

 人は自分を知るために他人を見る。マモルのすました状態しか目に入らないテルコの前に、彼の友人、すみれ(江口のりこ)が登場する。繊細さというものを、どこかに投げ捨てたような女で、そこにマモルは惚れこんでしまったようだ。恋するマモルはかっこわるい。マモルがじっとすみれを見ていても、彼女は意に介さず、マイペースで煙草をすぱすぱ吸う。自分に恋した男が見ているとき、敢えて鈍感にふるまうというのは初歩の恋愛テクニックだろうが、マモルはすっぽりそこにはまっている。そばにいて、テルコは息を飲むばかりである。

 しかし、すみれが昔からこの“すみれ”だったとは限らない。彼女には彼女の辛い体験があり、マモルのように、好きになった相手をじっと見つめても応えてもらえなかったことがあるのではないだろうか。人は誰かに恋して見つめるとアホづらになる。見つめられて気づいた者は、わざと意に介さずに振る舞い、それが恋する者の情熱をあおる。これはアホづらになった経験のある者でなければ使えない技だろう。こうやって人は恋の駆け引きをマスターするのだろうが、一見、スマートに見えるその振る舞いには、なにかすさんだ情感がある。

 江口のりこがきわめて巧みにおおらかに演じる“すみれ”は、テルコが気に入ったようで、マモルと会うときにはテルコを呼ぶように彼に告げ、マモルはそれが気にいらない。テルコにも戸惑いがあるが、彼に会いたい一心から、この状態に馴れていく。そしておそらく、テルコはすみれから恋の駆け引きのテクニックを学び、愚直さを失い、恋する者としてやむなく成長していくのだ。

 最初のエピソードとは逆に、今度はテルコが体調不良になり、マモルが彼女のアパートにやって来て、食事を作るシーンがある。詳細は控えるが、この食事の内容そのものがテルコとマモルの好みや考え方の違いを際立たせて残酷である。この後、テルコはかなり上手な芝居をして、彼の別れ話をいなしてみせ、わたしを少しがっかりさせる。それでも彼女は恋する意思を曲げたわけではなく、だからこそ悲しみが深まる。そしてすべての失意や衝撃や絶望は、一貫して、ほのかなおかしみとともに観客に届けられる。

 こうやって文字にするといささか無残な印象になるかもしれないが、映画はそうではない。後半は、主要な5人を章立てするようにして描き出し、一人一人がヒロインであり、ヒーローであり、誰とも違う一個の人間であるということを鮮明にする。それぞれの色あいは微妙に揺れ動き、互いに互いの色あいを強めたり弱めたりしながら、絶妙な生地=映像を織り上げていく。それがわたしには身体にぴったり合う上質なコートを着ているように感じられるのである。

 わたしだけがそういう思いをしているはずはないのだから、この『愛がなんだ』は、誰の身体にもしっくりなじむ上質なコートに仕上がっているに違いない。そう願わずにはいられない愛らしさと豊かさに満ちている。

●同作品についてはトップムービーでの鼎談があります

 

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり” に対して1件のコメントがあります。

  1. 今泉力哉 より:

    ありがとうございます。
    自分がつくった映画が上質なコートに例えられたことは初めてです。これからもいい洋服、ときにはセーター、ときにはスーツ、をつくっていきたいと思います。

    今泉力哉

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