夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう

『一度も撃ってません』(2020・阪本順治監督)

 映画評論家・内海陽子

 トレンチコートに身を包んだ伝説の殺し屋と評判だが「一度も撃ってません」。石橋蓮司演じる主人公・市川が内心でつぶやく声を聴くと、カマトトめいた色っぽさが漂うが、実のところ、彼はやくざなことを何もしていないわけではない。映画全体も、幼児性を捨てられない、いい年をした大人たちが深夜の町を徘徊して過去の華やぎを反芻する、罪のないお話かというとそうでもない。このコメディタッチの犯罪劇には、一筋縄ではいかないハードボイルドな核がある。

 市川(石橋蓮司)の朝は、妻・弥生(大楠道代)が作ったしじみ汁の身を一心にせせることから始まる。前夜の酒の痛手から立ち直るためと、今夜の酒に備えるためだ。作家としていっこうに花開かないが、働く妻に代わって家事にいそしみ、いつか売れるはずのハードボイルド小説の執筆にとりかかる。細部にこだわる性格のため、ヒットマンの仕事ぶりを知ろうとしたことから、元ヤメ検の旧友・石田(岸部一徳)からの暗殺依頼を“下請け”に出す仕事に手を染めている。罪悪感はないようで、すべてが彼の妄想のようでもある。いや彼の場合、数十年前から人生そのものが妄想めいている、つまり地に足がついていないのだ。

 夜になり、トレンチコートを着てソフト帽をかぶり、背筋の伸びた市川は行きつけのバー「Y」に行く。若い人も集う気軽な店のようだが、元ミュージカル女優のひかる(桃井かおり)がやってくると空気は一変し、彼女はスターだったころの面影をふりまく。意地悪な客はいないようで、彼女は「サマータイム」を歌い、いっとき幸せな気分に浸る。そんな彼女を石田がときおり口説くのもマナーのようで、きっと何十年も同じ会話が交わされてきたのだろう。男たちはみなジェントルマンである。

 思えば、市川が伝説の殺し屋であるという噂が流れること自体が、この映画世界がジェントルである証拠だ。いつまでたっても売れないジジイ作家だとは誰もあからさまに言わない。つきあいが続く編集者・児玉(佐藤浩市)がいることが信じられないが、彼がさらに後輩編集者(寛一郎)を紹介することも信じられない。もっとも、この点に関しては「本当のパワハラを教えてやる」という児玉の発言があるから、部下へのパワハラなのかもしれないが、なんだか照れのような趣があるし、部下に自分のこだわりを自慢している様子がないでもない。やはりジェントルである。

 妻の弥生が夫の夜の徘徊の実態に気づかないのもジェントルだ。いくら忙しい高校教師といえども、夫の素行のあれこれに気づかないほど女はバカではない。演じる大楠道代が、妻の役よりギャングのマダムの役のほうが似合いそうな雰囲気を持っているので、わたしの妄想も刺激される。いくつかのどんでん返しの末に、冷たく笑うのは大楠道代が演じる大物マダムだったりして。

 もうひとり、豊川悦司演じる中国系ヒットマンの骨格がよくて目を引くが、物語としては背骨が弱いと言わざるを得ない。詳しいことは伏せるが、彼と市川の対決シーンは贅沢なコントのように感じる。贅沢なコントなのでもったいなくて笑うが、肌寒い風が吹き抜ける。なんだかどこかに下手なプレーヤーが混じっているジャズのセッションを聴いているような心地がするのだ。元ミュージカル女優ひかるが、むやみに身体をぐにゃぐにゃさせるのも好プレーヤーの仕事とは言いがたい。女も年を取ったら背筋は伸ばしたほうがいい。

 などといくつか微妙なポイントはあるが、最終的にこの映画の美意識を支えるのは石橋蓮司である。夜遊びの味を忘れられない子供たちを率いている者の責任感、覚悟がラストシーンにはっきり刻まれている。遊び疲れて散会のときがくる。ひかるが左手に去り、石田が道の奥に向かい、市川と弥生のそばにタクシーが止まる。彼は名刺を運転手に渡して妻を家に帰す。そして、自分は何事かをもくろむように、はたまた、対決すべきヒットマンの登場を待つかのように、夜にたたずむ。

 その姿は、相変わらず妄想の中で生きている者のようにも見え、自分のしでかしたことの結果を待つ者のようにも見える。わたしの中では後者のイメージがどんどんふくらむ。妄想であれ現実であれ、いままでの彼は暗殺の仲介者でしかない。しかしいつか当事者として、彼の思う悪に対峙するときがくるはずである。彼はそのための備えを忘れずに夜を過ごすのだ。演じる石橋蓮司の強固な核が見えたような気がする。

◎7月3日より全国公開中

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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