未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力

『愛のくだらない』(2020・野本梢監督)

 映画評論家・内海陽子

 どんな美男美女もときと場合によっては醜い表情をするが、映画やテレビドラマで、美男美女がわざとらしく醜い表情をするとうんざりする。その醜さが管理されたもののようで、人間の醜さはそんなにわかりやすいものではないだろうと不快な疑問が生じる。ところがこの『愛のくだらない』のヒロインは自分の表情を管理しようとしない。そんな余裕がないようだ。そこにいじらしさがあり、彼女の子供っぽくもある醜さをずっと追って行きたくなる。物語はあらかじめ決まっているのに、そう思わせない一瞬、一瞬の表情の選択があるようで、それは藤原麻希という女優に独自の推進力が備わっているせいだろう。

 同棲生活も5年になり、中途半端な季節を迎えている景(藤原麻希)とヨシ(岡安章介)。景は地方のテレビ局でアシスタント・プロデューサーをしており、ヨシはお笑い芸人からスーパーの店員に転職し、今は子供が欲しくてたまらない。ウェブ番組のプロデューサーを任されることになって張り切る景は、素人をゲストに迎えるという番組の趣旨にピッタリ合う栞(村上由規乃)を見つける。彼女がトランスジェンダーで “男子”だとわかると「いま、流行りじゃないですか」と喜ぶが、事態はやっかいな方向に向かう。景のプロデューサー・デビューは暗礁に乗り上げ、のほほんとしたヨシの言動にいら立った彼女は、友を頼って家を出てしまう。

 ちょっと気の利いた仕事をしているようでも、しょせん世の中の大きな流れを変えることはできない。ウェブ番組の責任を取るべき金城(長尾卓磨)は大物ぶっているが小心者だ。景に対しては下心十分で、ヨシとの同棲を伝えるとにわかに顔の輝きが失せ、トラブルの責任はすべて景に押し付けるようになる。なにげなく登場した放送作家は小さな権力を振りかざし、景の企画を気安く貶める。その屈辱感に耐えるだけでも一苦労だが、局内では、景が無意識に見下していた後輩たちが次第に力をつけ、自分を追い越しかねない季節がめぐって来ていた。

 こういう状況を嘆くだけなら、よくある職業にまつわる愚痴の陳列にすぎないが、この映画では景が自分の不甲斐なさに一つ一つ気づき、それを自分の心中深く落とし込んでいく様子が、言葉ではなく行動で示される。藤原麻希の不機嫌に歩く姿や振り返る姿、怒りや失望を抑える険しい表情によって、景がありふれているようで切実な状況に置かれていることが肌に伝わる。また、ヨシが景の髪を嗅ぐシーンがときどき挿入されるが、少しくすぐったいその行為の意味を景がなかなか理解しないのは、受け入れたくないからだろう。誰の身にも起こりうる平凡な衝撃。誰の身にも起きている愛すべき衝撃。それらが混乱する脳裏を行ったり来たりして、彼女はようやくたどり着く。「あたしってくだらないなあ」。

 さりげないが、忘れられない描写がある。景がほとんど気にも留めない局の清掃員の男性が、彼女の心身の疲労に敏感で、気遣いを忘れないのだが、彼女がそれに感謝することはない。あるいは、感謝の気持ちを意識する暇もない。従来の物語なら、彼との間に何らかの心の交流のようなものがあり、そのオチが用意されるのだが、ここにはそれがない。しかし交流が全くなかったのなら、シーンそのものがいらないわけで、ここには野本梢監督の深謀遠慮があると見るべきだ。ここにあるのは時間への信頼ではないだろうか。

 5年後、10年後、景がふと清掃員のことを思い出す日が来るだろう。そのとき、彼女は女としていくぶん豊かになっている。遅まきながら彼女が彼の好意を受け入れ、優しい気持ちになり、彼に感謝することがあるかもしれない。ほかのこともすべてそうだろう。気持ちがすれ違って修復できなかったヨシのことを、窮地に陥った番組を救ってくれた栞のことを、その恋人のことを、自分の軽い横暴さに耐えてくれた局の後輩のことを、折にふれて思い出し、感謝すればいい。そうすることのできる自分を可愛がればいい。これは未来についての勇気の物語である。

◎2021年8月27日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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