前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』

『マークスマン』(2021・ロバート・ロレンツ監督)

 映画評論家・内海陽子

 孤独な大人が、弱い子どもを守って凶悪な組織に闘いを挑む物語と言えば、ジーナ・ローランズ主演『グロリア』(1980・ジョン・カサベテス監督)とジャン・レノ主演『レオン』(1994・リュック・ベッソン監督)が筆頭格だが、ここにまた侮りがたい一作が加わった。このたびリーアム・ニーソンが演じる主人公はメキシコ国境沿いの牧場主で、元アメリカ海兵隊の射撃の名手“マークスマン”。名誉ある勲章を持つ男だが、最愛の妻を亡くし、牧場の経営は悪化するばかりで、気力はあるのだが先行きは暗い。

 ベトナム戦争に従軍した実直なジム(リーアム・ニーソン)は、自分の土地でメキシコからの密入国者を見つければ、国境警備隊に連絡することを怠らないが、ある日、いわくありげな母子に遭う。母子を執ように追う男たちと銃撃戦になり、母が撃たれ、死の間際に息子ミゲル(ジェイコブ・ペレス)をジムに託した。いったんは母の遺体とともにミゲルを警備隊に引き渡すが、母の遺した大金を目にして少年の命の危険を察知し、母の遺言どおり、シカゴの親戚まで少年を送り届けようと決意する。とはいえ、敵は凶悪な麻薬カルテルの一団で組織力があり、リーダーのマウリシオ(フアン・パブロ・ラバ)は情け容赦ない。

 たった一週間の物語だが、ジムを敵視するミゲルと、ミゲルを扱いかねるジムが心を通わせる過程がやはり一番の見どころだ。英語を話せないふりをしていたミゲルが話せると知り、こいつやるな、と言いたげに苦笑するジム。ジムの愛犬ジャクソンが自分を励ますようなしぐさをするので頭を撫でるミゲル。ささやかなシーンの積み重ねに味がある。わたしが好きなのは、ダイニングバーで飲食し、トイレに立ったミゲルが席に戻るとそこは空っぽで、焦った彼が通りに出てみれば、ジムは車の中で眠っているというシーンだ。ジムはそれなりに年を食っていてあやうい。彼がはっと気づくと財布がなく、ふと外を見れば、ジャクソンを連れたミゲルが買い物袋をぶら下げて帰って来る。朝の澄んだ空気が心に流れ込む。

 そんな二人の仲に嫉妬したかのようにマウリシオは追ってくる。ジムのトラックのナンバーから住所を割り出した彼は、家に火を放つ前にジムの勲章を見つけてポケットに収めている。そこにあるのは畏怖に似た何かで、どんな手段を使ってでも乗り越えたい、打ち砕きたいものをジムが持っているのだろう。ジムがクレジットカードを使ったガソリンスタンドを割り出し、罪のない少女店員を撃ち殺すシーンは音のみだが、マウリシオの焦りと怒りがかえって強く伝わる。まるでジムはマウリシオの顔も知らない父親で、突然現れて彼の息子をさらって行ったとでもいうかのようだ。三世代の男のうち、父と息子の両方に捨てられたような不幸な存在、そう思い込んでいるのがマウリシオなのかもしれない。

 こういう男に追い詰められてジャクソンを亡くしたジムは、慰めようとするミゲルに心ない言葉を投げつけてしまう。ここではミゲルの悲しみが痛切に伝わる。我に返ったジムは反省し、ミゲルの母を弔うために教会へ向かう。この一連の流れの中でミゲルは確実に成長し、ジムの老いを理解する。ミゲルが想像する以上に、ジムは人生に打ちのめされている。それでも、自分をシカゴに連れて行こうとしている。一方のジムは「亡き妻が導いている気がする」と言いつつ、ミゲルの中に聡明さを見出し、彼をいとおしむ。そして二人は“ある儀式”を経て、その絆を確固たるものにする。あとは決戦の時を待つのみだ。

 わたしが少し残念なのは、ジムの亡き妻の連れ子であるサラ(キャサリン・ウィニック)が警備隊のチーフ格で登場し、義父のジムとの仲も良好そうなのに、さっそうたる場面が見られないことだ。もっとも警備隊員や警官の一部は麻薬カルテルによって汚染されており、サラも身動きの取れない状況だということは描かれる。そういう現実の苦さが、声高でなくさりげなく織り込まれているのもこの映画の特徴である。

 最も肝腎なのは、この映画の底流にあるのは苦さではなく、前進できる者への確かなエールだということだ。ジムはミゲルに「おまえは幸せになる、おふくろさんが見守っている」と告げ、別れ際に手渡す勲章には、ジムの誇りとミゲルに託した希望が込められている。ミゲルがその価値を胸に抱いて生きて行くのは間違いない。バスに乗ってそっと目を閉じるジムの顔には疲労が張りついているが、自分の望んだ人生を生き抜いた者の安堵感が美しい祈りのように漂っている。

◎2022年1月7日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

内海陽子のほかのページもどうぞ

『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり

『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき

『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく

『町田くんの世界』:熱風がユーモアにつつまれて吹き続ける

『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ

『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ

『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ

『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!

熱い血を感じさせる「男の子」の西部劇

RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い

『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション

俺はまだ夢の途中だぁ~!:草彅剛の持ち味満喫

相手を「発見」し続ける喜び:アイネクライネナハトムジーク

僕の人生は喜劇だ!;ホアキン・フェニックスの可憐な熱演

カトリーヌ・ドヌーヴの物語を生む力

悲しみと愚かさと大胆さ;恋を発酵させるもうひとりのヒロイン

獲れたての魚のような映画;フィッシャーマンズ・ソング

肩肘張らない詐欺ゲーム;『嘘八百 京町ロワイヤル』

あったかく鼻の奥がつんとする;『星屑の町』の懐かしさ

高級もなかの深い味わい;『初恋』の三池崇史節に酔う

千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』

成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて

関水渚のふてくされた顔がいい;キネマ旬報新人女優賞受賞

情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る

受賞者の挨拶はスリリング;キネマ旬報ベスト・テン 続報!

年を取るってすばらしいこと;波瑠と成田凌の『弥生、三月』

洗練された泥臭さに乾杯!;『最高の花婿 アンコール』

生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!

ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』

わたしはオオカミになった;『ペトルーニャに祝福を』

心が晴れ晴れとする作品;『五億円のじんせい』の気性のよさ

「境目」を超え続けた人;大杉漣さんの現場

老いた眼差しの向こう;『ぶあいそうな手紙』が開く夢

オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ

現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう

長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作

幸運を呼ぶ赤パンツ;濱田岳と水川あさみの『喜劇 愛妻物語』

刃の上を歩くような恋;『燃ゆる女の肖像』から匂い立つ輝き

どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力

挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ

おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』

弱い人間への労りのまなざし;波留の『ホテルローヤル』

内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました

小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる

娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい

感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて

最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開

チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな

「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする

役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり

異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!

恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」

王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』

「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ

漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力

ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ

ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる

底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情

早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地

二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』

おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』

生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』

前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』

小さな人間にも偉大なことはできる;妻の仇討ち物語『ライダーズ・オブ・ジャスティス』


『女優の肖像』全2巻 ご覧ください

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください