けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描き抜く

『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』(2018・ガブリエレ・ムッチーノ監督)

 映画評論家・内海陽子

 イタリア人が大勢集まると、とにかくかまびすしい。風光明媚な島に住む、裕福な夫婦の金婚式を祝う集いに家族が揃うとなればもう大騒ぎである。誰が誰やら、人間関係がさっぱりわからない十数人が、港でいかにも親しげに挨拶を交わす。なにか匂うなあと思うのは、わたしがひねくれ者だからではない。イタリア語のせいばかりではなく、親しげに交わす言葉がどことなく大仰で耳障りなのである。
 次第に人間関係がわかってくる。金婚式を迎えるのはピエトロ(イヴァノ・マレスコッティ)とアルバ(ステファニア・サンドレッリ)。豪邸にやってきたのは、彼らの長男、長女、次男をはじめ、配偶者や子供たち、ピエトロの姉とその息子二人、遠縁の娘といったところ。すかさずヒステリックに叫び出すのは長男カルロ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)の妻ジネーヴラ(カロリーナ・クレシェンティーニ)で、カルロの前妻、その娘とボーイフレンドまでが招かれたことに憤懣やるかたない。カルロは別れて暮らす娘への愛情を抑えられず、妻への苛立ちが募るいっぽうである。
 作家として成功したものの夢見がちで地に足がついていない次男パオロ(ステファノ・アコルシ)は、あからさまに情熱を伝えてくる従妹イザベッラ(エレナ・クッチ)の行動力に逆らえず、深みにはまる。長女サラ(サブリナ・インパッチャトーレ)の夫ディエゴ(ジャンパオロ・モレッリ)には愛人がいて、翌日のパリでの逢瀬に気持ちは飛んでいる。そのことは一族のもてあまし者リッカルド(ジャンマルコ・トニャッツィ)にばれており、身重の妻のために金策をしなければならないリッカルドへの協力を拒めない。
 また、リッカルドの兄サンドロ(マッシモ・ギーニ)はアルツハイマー病を患っており、介護に追われる妻ベアトリーチェ(クラウディア・ジェリーニ)は疲れきって不機嫌な顔を隠せない。晴れやかな金婚式からパーティ、レストランでの豪勢なディナーへと移りゆく時間の中で、それぞれの胸のうちが次々にむき出しにされ、抑えが利かなくなる。まるで戦場で矢が飛び交うように棘のある言葉が乱れ撃ちされ、あげくが天候悪化でフェリーの欠航が決まる。このすさまじい“家族戦線”は終わる気配を見せない。
 カルロの娘とボーイフレンドの初々しい様子を見ればわかるように、すべてのカップルには恋の始まりという心浮きたつときがあったはずだが、それは永遠に続くものではない。金婚式そのものも、穏やかな愛の確認というより、愛という名の紐をあらためてきつく結ぶ儀式のように見える。アルツハイマー病のサンドロが「あの年で結婚式をやるのか?」と妻に言うのが苦いユーモアになり、彼女がどんどん落ち込んでいくのがわかる。この夫婦のエピソードだけは笑い飛ばすわけにはいかないが、この映画ではほかの夫婦の問題とほぼ同列に置かれている。それがわたしには少しひっかかる。
 長逗留が決まった後は、絶望感で逆上したジネーヴラの嫉妬の炎がいっそう燃え盛る。前妻の娘への中傷が始まり、カルロがそれに怒ればさらに言い募る。前妻に対しても悪態をつく様子は常軌を逸していて、彼女はなぜそんなにまで自分に自信を持てないのだろうと思う。たしかにカルロの前妻エレットラ(ヴァレリア・ソラリーノ)はどこか超然としており、嫉妬に苦しむジネーヴラを見下しているようにも見える。しかし、妻の隙を見てカルロがエレットラに話しかけ、交際相手はいないのかと聞くと、彼女はやや恥じらいながら答える。「わたしには恋愛という拘束がだめみたい」。
 彼女がカルロと離婚した理由がわかるような気がするし、カルロがジネーヴラを選んだ理由もわかるような気がする。自分にあまり執着心を持たないエレットラに物足りないものを感じたカルロは、正反対の執着心の強いジネーヴラに心惹かれたのだろう。だが結婚生活を続けていくと、彼女の依存心が強くなって疎ましくなる。その気持ちが伝わって彼女の不安をかきたてる。ジネーヴラは自分の情熱を確実に受け止める男を欲しているのだ。最後にもう一つの事情が明らかになるが、それは内緒だ。
 それにしても、なかなかのイタリア美女を揃えたものである。たとえ嫉妬に顔を引きつらせてもカロリーナ・クレシェンティーニのブロンドは輝き続け、いかに夫の介護に疲弊してもクラウディア・ジェリーニの亜麻色の髪は風にやさしくそよぐ。リッカルドの身重の妻ルアナを演じるジュリア・ミケリーニは、クライマックスの引き金を引く啖呵を切って颯爽たるものである。エレナ・クッチはあからさまに官能的でわたしの好みからは外れるが、だからこそ男性は抵抗できないということがよくわかる。そしてやはり抜きんでて美しいのはステファニア・サンドレッリで、ボリュームを増した身体にふんわり巻きつけたショールまでまるごと魅惑的だ。
 本来なら青春ストーリーの主人公になってもおかしくない若いカップルは、まるで壁に飾られた古い絵のようにしか感じられない。いま、まさに生きている大人たちに比べて生きているように感じられない。彼らがじたばたする大人たちを冷めた表情で観察して二人なりの愛情を育んでいる、という解釈もあるようだが、わたしはそうは思わない。二人は単に若くて自分たちのことしか見えていないだけである。大騒動の渦中にいても、いずれ自分たちがそういう大人になるということなどまったく考えずに、青い欲望に突き動かされているだけである。ようやく動き出したフェリーに乗り、若いカップルをまぶしそうに見守るカルロの心中にあるのは、年を取るということへの感慨である。「おれたちにもああいうときがあったのに」。「あの子たちもいずれおれたちのようになるのか」。
 この映画の長所は、そういう大人たちを活力ある存在として描き抜いているところにある。彼らは誰も自分の生き方を諦めていない。サラは夫の愛人に立ち向かう意思を示し、パオロはイザベッラとの未来に希望を見出し、ベアトリーチェは夫のそばで生きて行く決意を固める。ピエトロが妻に「家族なんて、くそ食らえだ!」と言うのも、愛すべき毒舌として笑って聞き流すべきなのである。

内海陽子プロフィール

一九五〇年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、一九七七年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。一九七八年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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