幸運を呼ぶ赤パンツ;濱田岳と水川あさみの『喜劇 愛妻物語』

『喜劇 愛妻物語』(2020・足立紳監督)

 映画評論家・内海陽子

 男優に対する形容として不適切かもしれないが、濱田岳は可憐である。舌足らずではないが独特の幼げな口調が耳に心地よく、彼が画面に出てくるとほっとする。ところが、この映画の彼は常とは違う野太い声で「おれは草食系男子ではない」と言い、赤いパンツをはいた妻のおしりを見つめるのである。その赤いパンツは年月を経て毛羽立っている。そして彼がいくらせがんでも、妻はセックスの要請に応じてくれない。

 ちょっとひるんでしまうオープニングだが、この毛羽立ったパンツをはいた妻に扮するのが水川あさみとなれば話は違う。彼女が夫を拒絶する口調はきわめて辛辣で、並の男だったら屈辱感に耐えかねてプイと家を出て行ってしまいそうである。しかし水川あさみが演じるチカは舌鋒鋭くてもどことなく間が抜けている。人がいいのだろう。だから彼はまったくめげることなく妻の罵詈雑言を聞き流し、執ようにセックスをせがむのである。

 豪太(濱田岳)がチカ(水川あさみ)に頭が上がらないのは、生活費を稼いでいるのが妻だからだ。彼は脚本家として看板を出してはいるが、いっこうにまとまった金が入ってこない。弟子扱いしていた男にも先を越され、失望の種はふえるいっぽうだが、彼は能天気で夢を捨てる気はなさそうだ。今回は以前に出していた企画をプロデューサーが承認したので、四国の高松まで取材の旅に出た。妻を拝み倒して車の運転を頼み、家族旅行を兼ねる。しかし生活費を削っての旅行はみじめさをぬぐえず、酒好きなチカはしばしばボトルに入れた酒をストローですすっている。

 それにしても貧すれば鈍す。彼の企画は既に他所で漫画化、映画化が進んでいるとわかり、チカは暴発寸前である。豪太への罵詈雑言にも拍車がかかり、同行の娘(新津ちせ)にも悪影響が及んでいる。チカをなだめようとする豪太の反論や周囲への気遣いのことごとくがチカの怒りをあおり、彼女はまるで呼吸するように彼を罵倒し続ける。どうも豪太はあらゆるところでグッドタイミングをつかめない男のようだ。押しどころ、引きどころ、粘るべきところ、それらの判断がことごとく裏目に出るのである。

 欲求不満ゆえに妄想は膨らみ、深夜の街にさまよい出た豪太は、泥酔した若い女の股間を覗こうとして警官に捕まってしまう。幸いにも、たたき起こされたチカが猛烈な勢いで警官に食ってかかり、豪太は最悪の状況を免れる。持つべきものは喧嘩馴れしたたくましい妻であるが、豪太の男は下がる一方である。まもなく豪太がとことんツキに見放された男であることを証明するかのような、仕事上の決定的なトラブルが見舞う。

 ついにチカが爆発する。豪太と離婚すると言い放って手の施しようがない。観客としては、ようやくこの瞬間が巡ってきたかとワクワクしないでもないのだが、この期に及んでも豪太は諦めがわるくチカにしがみつく。豪太の男は下がり続けて深い穴を掘り続けているが、それでも彼は踏ん張る。絶望して泣きわめくチカを前に「おれ、がんばってるもん」「おれだって泣きたいよ」と繰り返し、それがまたチカの怒りの火に油を注ぐことになり、一家は絶体絶命の危機に陥ってしまう。

 監督は『百円の恋』(2014)、『嘘八百』シリーズの脚本家として知られる足立紳で、自身の夫婦生活を丸ごとさらしたような物語である。冒頭に登場するパンツは、希望に胸を膨らませていた若き日に、夫婦がそれぞれに手にした「幸運を呼ぶ赤パンツ」とわかるが、豪太自身はもうはいていない。いまだにはいているのはチカだけで、夢の実現を諦めていないのは、実は豪太自身よりもチカのほうだとわかる。夫は妻の熱意に引っ張られてここまでやってきたのであり、これからもやっていくのだろう。ダメ男の豪太にとって、きっとチカは「幸運を呼ぶ赤パンツ」の化身であり、決して離してはならない存在なのである。

 いわゆる“ダメ男映画”は数限りなくある。わたしは、特に芸術畑の自惚れ男に、純朴な女が盲目的に尽くすというタイプの作品が苦手だが、この映画はそういう安直な構造を持ってはいない。がんばって、がんばって、がんばって、それでだめでもまたがんばる。そういう人間と、そういう人間を信じる人間の粘り強さを、おおらかに見つめる喜劇である。ゴールはないかもしれない。いやきっとゴールはいらないのだ。

◎9月11日より全国公開

内海陽子の『喜劇 愛妻物語』作品評 『キネマ旬報』9月下旬号(No.1849)に、内海陽子の「それぞれのシーンに宿る妻への思慕、信頼感」が掲載されています。『喜劇 愛妻物語』についてさらに深く掘り下げて論じ、足立紳監督が師事した相米慎二監督作品からの影響についても述べています。

足立監督についての意外なエピソードも紹介していて、この映画を理解するだけでなく、今後の監督の活躍を展望するうえでも、ぜひ読んでいただきたい作品評です。なお、同号は『喜劇 愛妻物語』の「作品特集」を組んでいます。他にも、足立監督を中心とする座談会や主演の濱田岳さんと妻役の水川あさみさんの対談などが掲載されているので、さらに作品と監督についてお知りになりたい方は、ぜひ、どうぞ。(文・サンイースト企画)

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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