僕の人生は喜劇だ!;ホアキン・フェニックスの可憐な熱演

『ジョーカー』(2019・トッド・フィリップス監督)

 映画評論家・内海陽子

 “笑い”とひとくちに言うが、何を笑うか、どういうときに笑うかは人さまざまで、笑いかたのタイミングひとつで粋な雰囲気を醸し出すこともあれば、お里が知れることもある。『ジョーカー』の主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)の笑いは病的なもので、笑い出したら止まらず、人には「気味悪い」と言われる。べつだんおもしろくもないのに、人の気を引くためだけのように笑うからだ。彼の場合、笑ってその場をしのぐしかない人生そのものに問題があるので、いくら薬を飲んでも治りはしない。

 ゴッサムシティで介護が必要な母(フランセス・コンロイ)と暮らし、ピエロ派遣業の会社に雇われているアーサーの夢はスタンダップ・コメディアンになることで、憧れは大人気のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)だ。あるときピエロの化粧のまま乗っていた電車内で、エリート証券マン三人に絡まれている女性を助けようと笑い出したら殴られ、彼は持っていた拳銃で三人を射殺してしまう。事件は治安の悪い街にくすぶる大衆の怒りを刺激し、ピエロの犯行は英雄視され、傲慢なエリート層への反感が高まっていく。

 アーサーがたまたま持っていた銃は、悪意とともに元同僚がよこしたもので、ピエロ化粧の彼のためらいのない犯行は、ピエロという霊体=ジョーカーが生き生きと動き始めたように見える。さらにアーサーの被害妄想と復讐心がジョーカーに力を与え、みるみる肥大して行く様子が描かれるが、これを現実にのっとった不運な男の悲壮な物語と見るか、アーサーを弄ぶブラックなジョークと見るかは意見が分かれるだろう。わたしは後者に立つ。始まりはとても笑えないが、じわじわと笑いにパンチが与えられ、ついには盛大に弾ける。

 実力派ホアキン・フェニックスの演技には可憐で純朴なところがあり、熱演していてもどことなく滑稽味がある。それは彼の意図しないところから滲み出るようで、トッド・フィリップス監督はそこを的確におさえ、アーサーとジョーカーを自在に塗り分けているように見える。演技者の心づもりと、演出家の仕掛けは必ずしも一致しているわけではない。創作とはそういうものだろう。物語は十分に悲惨なのだが、奇妙にとぼけた空気をはらんでいて、わたしには手の込んだジョークのように思えてくるのである。

 最も痛快なジョークは、アーサーの素人芸がマレー・フランクリンの目にとまり、彼の番組で共演するシーンだろう。すでにアーサーをマークして警察が動き出しており、彼はジョーカーとして解放されつつあり、何をしでかしてもおかしくはない状態だ。それでもやはり“そのシーン”は唐突であると同時に必然であり、わたしは思わずひざを打つ。このとき、おそらくすべての観客はジョーカーのなすことに快哉を叫ぶのではないだろうか。なぜなら、マレーは鼻持ちならない嫌なやつだからだ。

 嫌なやつはもうひとりいる。アーサーの母がしきりに手紙で窮状を訴える相手、元雇い主のトーマスだ。手紙の返事が来ることはなく、あるときアーサーは母の書いた几帳面な文字の手紙を読み、相手が有名人のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)であり、自分の父親であると悟って衝撃を受ける。屋敷に直談判に行けば、幼い息子のブルース(ダンテ・ペレイラ・オルソン)に会う。ご存じ、のちの「バットマン」だ。アーサーの出自にかかわる真相ははっきりわからないが、トーマス・ウェインという男が悪人であることはもはや明らかだ。

「悩むかと思ったけどスッキリした」と、アーサーが犯行後の心情を語るシーンがある。犯行はヘタな薬より彼の心身に効いたということだ。それからクライマックスへの引き金になるセリフ「僕の人生は喜劇だ」が放たれる。さまざまに受け止めることのできる表現だが、ヒントになるのは音楽だろう。なにしろ彼の心情を彩る楽曲は、チャーリー・チャップリン監督・主演『モダン・タイムス』(1936)のテーマ曲「スマイル」である。ヒステリックな高笑いから、あたたかく優しい「スマイル」へ。アーサーからジョーカーへと転身する彼の幸福感と充実感がそこに漲っている。

 エンディングのおまけのようなドタバタ騒ぎにも、チャップリンへの目配せがある。靴の底を血で真っ赤に染めて刑務所の廊下を逃げまわるジョーカーの様子は、まるでいたずらっ子だ。アーサーからジョーカーへ、悪のカリスマと化したと言われるけれど、実は単に世俗の悩みから解放されただけの子供なのである。それをブラックジョークにしてしまうのは不謹慎かもしれないけれど、笑ってしのぐしかない人生なら、幸福な笑いを勝ち取るべきであり、そういう笑いを勝ち取ったアーサーを祝福するべきだろう。そんなメッセージが、高まる「スマイル」とともに聴こえてくる。

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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