挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ

『ヒトラーに盗られたうさぎ』(2019・カロリーヌ・リンク監督)

 映画評論家・内海陽子

「ヒトラー」という名がタイトルについていると自動的に身構える癖がある。恐ろしいこと、悲惨なこと、二度と見たくないことが描かれることが多いからだ。この映画も、たとえば農場暮らしの少女が、ヒトラーのナチスドイツによって可愛がっていたうさぎを奪われ、ひどい目に遭うのかと想像したら、そういうお話ではない。ベルリンに住むユダヤ人少女の父が辛口の批評を書いてヒトラーににらまれたので、一家で亡命するお話である。

 子どもには社会の大きな変動などわからない。10歳の誕生日が近いアンナ(リーヴァ・クリマロフスキ)はベルリンの古い家を去るのが嫌でたまらない。ママ(カーラ・ジュリ)が楽譜をどっさりトランクに入れるのに、自分はぬいぐるみをひとつ選ばなければならないのも気に入らない。最後まで迷ったピンクのうさぎを残してきたが、時がたつにつれ恋しくなる。スイスへ向かう列車内ではママが異様に緊張し、余計なおしゃべりは許されない。先に出立した大好きなパパ(オリバー・マスッチ)の風邪がうつったか、彼女は高熱を発するが、もしかしたら知恵熱かもしれない。

 居を構えたスイスの田舎の小学校は“男尊女卑”で、ベルリンとはだいぶ違う。側転の下手な男子にコツを教えようと実演したら、パンツが丸見えになってみんなに笑われる。幸いなことにアンナは少々のことではへこたれない。第一、アンナは可愛いから、男子はみんな興味津々である。よくある「都会から来た転校生物語」みたいだ。リーヴァ・クリマロフスキはフランスの人気女優ジュリエット・ビノシュを連想させて吸引力は抜群で、彼女のやることなすことから目が離せない。一挙一動が頼もしく、ときに滑稽で愉快だ。

 ようやくこの地になじんだ頃、パパが存分に仕事をするためにパリへ移ることになる。「さよなら小道、さよなら大きな石、さよならおバカさん(男子)」とアンナが短く別れを告げるシーンの情緒がすばらしい。子どもの生命力かもしれないが、アンナはぐずぐずしたりもじもじしたりしない。暗雲を押しのけるようにして新しい住処に飛び込んでいく。

 ところが残念なことに、パリでは新聞のコラムが一本とれただけで、パパはたいして稼げないとわかる。一家はすっかり貧乏暮らしだ。面白いエピソードがある。アンナと一緒にシナゴークへ行った折、ある紳士がパパに挨拶し、名刺をよこした。彼はかつてパパが酷評した劇作家だそうで、アンナから見ると感じがいい。後日、ママとお兄ちゃんと3人で彼の邸宅を訪れると、食べ物は豊富で、着なくなった衣服をくれるという。お腹いっぱいになってご機嫌で帰宅すれば、「あんな道化からものをもらうとは!」とパパは不機嫌極まりない。気位の高い演劇評論家も稼げなくなると情けない。ヒトラーが台頭していた時代に限ったことではなく、社会が危機に陥ったとき、ある種の知識人はみじめである。

 ここからが実話ならではの妙味で、パパが書いた脚本が高い評価を得る。肩身の狭い思いで生きてきた一家の形勢は逆転、意気揚々とさらなる新天地、ロンドンを目指すことになる。金がないと知ると急に冷たくなっていたアパートの管理人に、パパが去り際に何か告げるのだが、何を言ったかは明らかにされない。このあたりの抑制の利いた演出がスマートで、サクセスストーリーに嫌味を与えない。ポイントは、一家は全員が困難に立ち向かう気概の持ち主だということであり、ママは慣れない家事に精出し、お兄ちゃんは一番の成績を取り、アンナは作文を褒められて、10フランの賞金を受け取る。彼らの笑顔は達成感によるものであり、何かを自慢しているわけではない。

 仮に何もかも思い通りにいかなかったとしても、この一家は次なる挑戦をやめないだろうし、新たな地平を目指すだろう。コインが沈んでいる池にはいってそれを拾うことを厭わないアンナは、どういう状況にあっても、そのたくましさで道を切り拓くだろう。そののびのびとした姿勢のひとつひとつが目にやさしく飛び込んでくる。「ヒトラー」とタイトルにある映画でリフレッシュしたのは初めてかもしれない。アンナのようにどこか知らない町に行って住んでみたくなる。

◎11月27日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

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