「少女」を演じる宮本信子が温かい;『メタモルフォーゼの縁側』は生きて行く活力を伝える

『メタモルフォーゼの縁側』(2022・狩山俊輔監督)

 映画評論家・内海陽子

 生きて行くためには活力が必要だが、その活力は自分で生み出さなければならない。しかし活力というのは年齢を重ねれば体力とともに減退し、雑事に追われているうちに生み出すのが困難になる。ある暑い日、夫の三回忌を終え、くたくたになって書店に逃げ込んだ高齢の雪(宮本信子)に手を差し伸べたのは、デリケートな咲良と佑真が愛を伝え合う物語、いわゆるBL(ボーイズラブ)漫画と呼ばれる「君のことだけ見ていたい」だった。

「応援したくなっちゃうのよ」。女子高生で書店のアルバイト店員、うらら(芦田愛菜)と知り合った雪は盛んに「咲良と佑真」の魅力を語り、問いかける。訊かれたうららはくすぶっていた気持ちを晴らすかのように、ほかのBL漫画の紹介と説明にも意欲を注ぐ。気がつけば、二人は年齢を超えて心が結ばれ、生き生きとした少女同士のようになっていた。雪は腰に持病を抱え、うららは引っ込み思案で将来の展望もはっきりしないが、漫画の話になれば時を忘れて語り合うことができる。互いが互いの活力源になる。

 先が見えてしまったと思う高齢の雪も、未来がわからず、なにかとおよび腰のうららも、物語の展開がわからないことに関しては同じ場所に立っている。咲良と佑真に対して「負けるなっ、幸せになれっ」と興奮気味に語る雪は、その言葉が自分自身とうららにも向けられていることに気づいているが、若いうららは、未来の重さに押しつぶされそうになっていて、ちょっと勘がわるい。老いの絶望より若さの憂鬱のほうが深刻なようである。

 うららの憂鬱の原因は、幼なじみの男子・紡(高橋恭平)の関心が人気の美少女(汐谷友希)に向けられていることにもある。うららは成長し、彼を「特別な男子」として見ているのに、彼のほうは彼女のことを気の置けない幼なじみとしか見ていない。こじれた気持ちはコンプレックスを生み、いまあるはずの活力をもそぐ。うららは雪との交遊も辛くなり、受験を口実に距離を置こうとする。年齢を超えた交遊にもスランプの時期がやってくる。それとなく察した雪の寂しさがよくわかる。

 長い時間を生きているということは、包容力に奥行きがあるということだ。雪は強制するわけでもなくうららに漫画を描くことを勧め、うららはその助言を受け入れて作品執筆にとりかかる。漫画を読む側の人間から、描く側の人間になる、その体験をすることが、うららの心身に大きな変化をもたらす。そして小さな奇跡をもたらすことになる。どれもこれも、興味のない者は見過ごしてしまいそうな小さな世界の出来事だが、小さな世界が大きな世界を動かすのだということが、よくわかる。小さな苦しみをたくさん味わうことが、大きな幸せを得ることに繋がることがある。

 ありきたりな人生訓を垂れることなく、生き生きと柔らかい「少女」を演じる宮本信子が素晴しい。原作漫画では痩せた老婦人の風貌だが、宮本信子の肉体はほどよい重さを感じさせ、日常のふとした調理の場面でも、身体がリズミカルに動いて、みずから生み出した活力が全身を小気味よくめぐっていることがわかる。かつてきれいな字が書けなかったことにコンプレックスを抱いて書道を習いだし、書道教師になったという経歴にも無理がなく、居間の掛け軸の文字「好加減」が彼女の人生を象徴して、なんとも言えず温かい。

 うららの憂鬱を繊細さの表れという風に捉えれば、芦田愛菜はまさに適役である。雪という大先輩の「少女」の心の隅々にまで想像力を働かせ、彼女の発信するものを確かに受け止め、自分の中できちんと咀嚼して答えを出す。うららはときどき猛スピードで走り出すが、その走りっぷりには、未来へ向かうためらいのない強固な意志がある。芦田愛菜もきっと宮本信子との共演を貴重な体験として心身に刻み、理想的伝承者となるだろう。

 この映画が発する活力は、これ見よがしのものではなく、押しつけがましいものでもない。生きる上でなにか楽しみを見出すということが、どれほど自分を豊かにしてくれるかということを、そっと伝えてくれるだけである。これからわたしはBL漫画を読もうとは思わないけれど、好きな映画をさらに大事に発見して行こうという思いを新たにする。

◎2022年6月17日より全国公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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