情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき

『バースデー・ワンダーランド』(2019・原恵一監督)

 映画評論家・内海陽子

 かつては、わたしが住む町内にも映画館が2館あったそうだが、いまは自転車で10分ほどのところにあるシネコンに行く。今までで一番楽しかったのは『六月燈の三姉妹』(2014・佐々部清監督)を見終わったとき、初老のおじさんに声を掛けられたことだ。
 鹿児島市内の和菓子屋の三姉妹を描く人情ドラマの余韻に浸っていたら、 おじさんは言った。「あなたも鹿児島のひと?」。おじさんと連れのご婦人は鹿児島県出身者なのだろう。そう思ったら、数10人いる観客がみな鹿児島のひとに見えてきた。
 妙にあわててしまい「いえ、ただの映画好きです」と短く答えたが、あとになって「そして鹿児島好きです!」と付け加えればよかったなあ、とけっこう悔やんだ。おじさんともう少し話を続ければ、東京足立区の映画館が鹿児島の映画館に思えてきただろう。映画を観ることは一種の旅だが、映画館そのものが時空を飛んで移動するような気分を味わえる絶好のチャンスを逃したような気がした。
 この『バースデー・ワンダーランド』は、少女アカネ(声・松岡茉優)が訪ねた叔母チィ(杏)の店の地下室が異世界への入り口になる。時空を飛ぶ映画館の入り口のようなものだ。異世界から、小人ピポと一緒に現われた錬金術師ヒポクラテス(市村正親)は、水不足で色を失いつつあるその世界の危機を救うのは“緑の風の女神”であるアカネだと言う。彼女は“前のめりの碇”というネックレスをつけさせられ、いやおうなく異世界への旅に連れ出される。好奇心旺盛なチィが勢い込んでついてくる。
 アカネはまだ世の中との折り合いがつかないので何かにつけ腰が引けている。これはよくある設定なので、わたしは、松岡茉優がこのヒロインをどう演じるかということに興味津々である。彼女は『はじまりのみち』(2013・原恵一監督)で宿屋の娘を演じており、原恵一監督の信頼が厚いのではないかと推測できる。その安心感からなのか、だんだんと声優が誰であるかということは二の次になってくる。
 おなじみのアニメーション『クレヨンしんちゃん』シリーズで実力を発揮した原恵一監督のセンスは健在で、次第に大冒険アクションに転じていく物語は、ユーモアと情感とスピード感を失わない。いきなり高い塔のてっぺんに着地して見る町のパノラマ、まんまるくふわふわした羊の群れの触感、赤く鮮やかな鶏頭の花畑、車に乗っていくつもの町を通り、四季の変化を短時間で体験する興奮。せっかちではあるけれど贅沢な時の流れをともに味わうかんじである。
 それに水を差すようにどんどん凶悪になるのが、奇怪な風貌のザン・グと手下のドロポで、町で大暴れしては鉄材を奪い、人々の食糧、水をも強奪して行く。宿屋の食堂でアカネを見る眼には何か含むものがありそうで、アカネの心はすくむいっぽうである。やがてザン・グは市場のある町の井戸の破壊をもくろんでいるとわかる。この井戸は、特殊な能力を持った王子が“しずく切りの儀式”を行う場所で、魔法によって鉄の人形に変えられた王子が復活するまで、なんとしても守り抜かなければならない。いよいよアカネの出番がやってきたのである。
 成長するということには痛みが伴う。一般の女子として生まれたアカネと同じように、王子にも、能力のある者として生まれたゆえの苦痛や恐怖がある。おそらくそれを瞬時に理解したアカネの情熱が、王子の復活と決断を促すことになる。その情熱は明晰さに裏打ちされてこそ力を発揮するものだろう。ここで、松岡茉優演じるアカネは決死の思いを全力で伝え、王子の決断を崇高なる行為に昇華させてみせる。ここにはすぐれたものがすぐれたものに触れたときに生じる確かなスパークがある。
 ところで、物語がクライマックスを迎え、これからみごとな着地が待っているはずだと思っていたら、映画館の同じ列に座っていた初老の男性がすっと立ちあがり、出口へと向かって行った。エンドクレジットが始まったのならともかく、まだ映画は終わっていないのである。ひとの好みはさまざまだから、クライマックスになにか面白くないものを感じたのだろうか、とも思ったが、結局、さほどの興味も持たずにこの映画を見に来たひとなのだろうと考えることにした。前列の席には可愛い女の子が保護者と一緒に座っていたので、前列の席に座ればよかったなと少し悔やんだ。
 あとで知ったことだが、ザン・グの声を演じているのは『クレヨンしんちゃん』のパパ、ひろし役の藤原啓治で、ドロポの声を演じているのは、しんちゃん役の矢島晶子である。たまたま、前日に『クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン~失われたひろし~』(2019・橋本昌和監督)を観ていたので、幸福感で胸が高鳴った。表現がオーバーだろうか。いい映画を観ると感じやすくなるのである。

内海陽子プロフィール

一九五〇年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、一九七七年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。一九七八年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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