笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!

『記憶にございません!』(2019・三谷幸喜監督)

 映画評論家・内海陽子

 いつのころからか、コメディアンとしての中井貴一にひどく惹かれるようになった。年下の彼に対して失礼だと十分わかっているが、理由は簡単、彼がジジイになってきたからである。むろん、ただのジジイではなく、気さくで何をやってもおかしい、自分をよく知っている素敵なジジイになってきたからである。

 もう少しちゃんと惹かれ始めた時機を思い起こすと、テレビドラマ『最後から二番目の恋』(2012・フジテレビ)あたりからだ。人気の高い岡田惠和の脚本で、鎌倉市役所職員に扮した中井貴一と、テレビの番組プロデューサーに扮した小泉今日子が隣人同士となり、イイ年をした大人ふたりがつつき合いながら恋を育んでいく物語である。小泉今日子の、ときにヤンキー口調にもなる小気味よい演技もいいが、受けて立つ中井貴一の、身のかわし方というか、いなし方というか、とにかく女心に向けてのリアクションがきわめて上等なのである。無器用でご清潔、といったタイプではなく、普通にだらしなくスケベなところもある男という設定にぴたりとはまり、度を越すことがない。このあたりは持って生まれたものと鍛え上げたものを見事に融合させているのだろう。

『記憶にございません!』は、観衆からの怒りの投石によって記憶喪失になった、嫌われものの内閣総理大臣が、まるで人が変わったように善人になってしまうところから始まる。記憶喪失によって性格が激変する、というドラマの作り方はあるが、この映画の場合は、本来の中井貴一の人の好いイメージにどんどん近づいていく、という単純でコミカルな流れである。余計な理屈をつけないところがきっぱりしていていい。主人公は生まれたての子どものように周囲の出来事に初心であたり、よいと思うことはどんどん吸収し、疑問があればそれを提起し、やむなく、正々堂々と生きて行くはめに陥る。そのことをわきまえた中井貴一は、おとぼけを忘れず、やりすぎず、快調にとばすのである。

 内閣総理大臣・黒田啓介(中井貴一)が記憶喪失になった事実は、首相秘書官・井坂(ディーン・フジオカ)、事務秘書官・番場(小池栄子)、秘書官補の三人だけの秘密にされた。それで切り抜けられるとは到底思えないが、政治の実権は官房長官・鶴丸(草刈正雄)が握っているし、井坂は黒田をバカにしきっているし、番場は黒田を軽蔑している。つまり、誰も本気で黒田のことを心配していないうえ、国のことも心配していないので問題なし、状態なのである。ところが、黒田が舌足らずな囲み取材を終えて去る際に、転倒した女性記者を助け起こした行動が注目され、徐々に周囲の彼への見方が変わっていく。

 開巻ほどなくして突きつけられるショッキングシーンは、野党第二党党首・山西(吉田羊)と黒田の密会の図。なにがなにやらわからない黒田を前に、山西は慣れた身ごなしで白いスーツからしどけない黒いランジェリーに着替え、黒田をなめらかにソファーに誘い、彼の服を脱がそうとする。慌てふためいた黒田が、まるでかどわかされた小娘のように抵抗する様子が、映画的快楽のパンチのように観客を見舞う。ここで笑いのツボを押さえられたら、もう笑いのお座敷列車に乗せられたのも同然である。

 助演として好演するのは吉田羊だけではない。官邸の料理人として10年間勤めてきた寿賀さんに扮した斉藤由貴も独特の凄みを見せてくれる。彼女は、帰宅した黒田に妻と間違えられて抱擁されてもさほど動じないが、ここには彼に抱擁されたことがなかったとはいえない色っぽい間がある。その後、本物の妻である聡子に扮した石田ゆり子が、夫に抱擁されて硬直する(内心では悲鳴?)という落ちがつくのだが、双方にほんの少し探りを入れたくなる余情が漂うのである。並みの助演女優にはこういう楽しみを与えてもらえない。

『THE 有頂天ホテル』(2006・三谷幸喜監督)では、逃げ隠れする汚職政治家に扮した佐藤浩市が、金のためなら汚い仕事も平気で請け負うフリーライターに扮しているのもおかしい。彼は、先ごろ公開された『空母いぶき』(2019・若松節朗監督)で、苦悩する内閣総理大臣に扮して誠実な演技を見せているが、総理大臣よりもふてくされたフリーライターのほうが楽しいぜ、といわんばかりの上機嫌な演技である。ゴルフ場のキャディーに扮装するシーンでは、そこまでやらなくても…というおふざけぶりがまた愉快だ。

 三谷幸喜監督の作品は、とにかく個々の人物描写が細かく巧みだが、どうかすると細部に凝るあまり、それぞれが独立したコントのように感じられてしまうことがある。一つ一つの場面の意図と面白みは理解できるものの、それがうまく連動して行かず、なんだか作っている当事者だけが楽しそうだぞ、というしらけた気分に襲われることがある。いったん、そういう気分になってしまうと、どんなに演技陣ががんばってみたところで、もはや観客は置き去りにされたままである。『ギャラクシー街道』(2015・三谷幸喜監督)など、宇宙に置き去りにされた気分だったことを思い出す。

 しかし今回はすこぶる好調である。演技者ひとりひとり、ひとつひとつの演技が、美しい数珠のようにきれいに繋がり、輪になり、幾重にも連なっている。この世も政治も、よくなることは考えられないけれど、重要人物の奇跡のような“生まれ変わり”が実現すれば夢ではない、という夢を見せてくれる。いや、そういうオバカな夢を見る余裕を与えてくれる。中井貴一という素敵なジジイの求心力を信頼し、結束した末に生まれたこの『記憶にございません!』は、三谷幸喜監督のコンダクターとしての力をも再認識させる幸福な映画になった。

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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