手ごたえのある人生を勝ち取る;『ウィ・シェフ!』の深い味わい
『ウィ・シェフ!』(2022・ルイ=ジュリアン・プティ監督)
映画評論家・内海陽子
有名女優が冒頭から華やかさを振りまく映画は文句なくいいが、見慣れない顔の女優が次第にインパクトを増していく映画もまた素敵だ。本作は後者で、主演のオドレイ・ラミーは十分なキャリアを感じさせ、ほどよい生活感をにじませながら、この映画のヒロインを肉付けしていく。すべり出しはどちらかといえば地味だが、映画から「彼女と付き合って損はさせないよ」という控えめなアピールが聞こえる。
高級レストランのスーシェフ(副料理長)のカティ・マリー(オドレイ・ラミー)は、彼女の創作料理に売れっ子シェフが身勝手な仕上げを施そうとしたことに猛反発。誇り高い彼女は職を辞するが、案の定、世間は冷たく、しかたなく彼女を受け入れてくれそうなところへ行くと、そこはレストランではなく、とある就労支援施設だった。施設長(フランソワ・クリュゼ)の人柄はわるくなく、太めの教師サビーヌ(シャンタル・ヌーヴィル)はなかなか愉快な人物だ。ため息をつきながら、カティ・マリーはそこにとどまることにする。
施設にいる子どもたちは同伴者のいない未成年で滞在許可を待つ外国人、いわゆる移民たち。カティ・マリーは食堂の料理人として雇われたと知ってがっかりするが、持ち前の負けん気で事態の改善を図る。ひとりで何十人もの食事を用意するには助手が必要だが、むやみに厨房に入れるわけにもいかない。好奇心旺盛で前向きな、コンゴ出身の少年ギュスギュスに後押しされ、やる気と根気のありそうな子供たちに調理の訓練を施すことになる。畑での食材の調達や、野菜の刻み方、肉の下ごしらえなどを指導するうち、子供たちもどんどん乗ってくる。カティ・マリーの右頬にえくぼが浮かぶようになる。
子供たちはみなサッカーが大好きだ。彼女は厨房におけるチーム編成をサッカーにたとえ、適任者を配置していく。ゴールキーパーにあたる最も重要な部門は「洗い場担当」で、そこを任されたギュスギュスが得意満面の笑顔を見せるところは非常に感じがいい。子供たちは打てば響く。厨房も食堂も清潔になり、食事のグレードはぐんと上がり、誰もが生き生きとしてくる。数学の授業に野菜がたとえとして使われると、子供たちはきびきびと正解を出す。施設全体が、独特の明るいリズムを刻むようになるのだ。
やがてカティ・マリーがここにとどまった理由のひとつが明らかになる。彼女は施設育ちで、カティは助産師の名前、マリーは料理を教えてくれた人の名前だと言う。レストランで下働きをした際に作った料理をシェフが認めてくれ、道が拓けたとはにかみながら語る顔は、幼いころから自分の足で歩いてきた女性ならではの柔らかな威厳がある。彼女が辞めた有名レストラン「リナ・デレト」に大挙して繰り出せば、最初に出てくるのは“ビーツのパイプオルガン ハチミツとハイビスカスのカティ風”で、高慢ちきなシェフのリナ・デレトに侮られた彼女の創作料理である。お世辞ではなくみんなが喜んでくれ、観ているわたしまで嬉しくなり、報われる。
さて、ここからはクライマックスに向けてどんどん面白くなるので、細かくは書けない。ハリウッド映画のようにわかりやすい盛り上げ方ではないが、カティ・マリーの意地がじわじわと本領を発揮する過程と、テレビの料理番組の俗臭ふんぷんたるありさまがテンポよく描かれる。省略が効いていて理解が追いつかないところもあるが、カティ・マリーは実在の人物をモデルにしているとのことで、くどくならないようにという配慮があるのだろう。とにかく大事なのは、カティ・マリーは“戦いに勝つ”ということである。
“勝つ”ということがどういうことかと言えば、カティ・マリーの場合は、世間的な評価を得るということではない。施設で育った人間が味わったはずの屈辱感を乗り越え、手ごたえのある人生を勝ち取ることである。それは、たとえばテレビに出てちやほやされる“三流勘違いスター”になることではなく、確かな信頼を得て、自分がいるべき場所を見つけ、そこで人と関わりながら自信をもって生きて行くということである。それは一朝一夕に成し得ることではないからこそ、価値がある。
「ウィ・シェフ!」。ギュスギュスが元気いっぱいに、カティ・マリーへの最大の敬意をこめて叫ぶ声が、大いなる幸福の鐘の音のようである。
●2023年5月5日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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