後悔を乗り越えるための戦い;リーアム・ニーソン『MEMORY メモリー』の憂愁とりりしさ

『MEMORY メモリー』(2022・マーティン・キャンベル監督)

 映画評論家・内海陽子

 いつものところにあるはずの物がない。これはけっこう恐ろしい。仕事を終え、車の鍵がいつものところではなく、服のポケットにあったことにほっとするアレックス(リーアム・ニーソン)だが、不安が消えたわけではない。こういうことが起こり始めてだいぶ時間が経っている。そろそろこの稼業に見切りをつけなければ、と思いつつまた次の仕事を引き受けている。彼は殺し屋で、自分がアルツハイマー病になっていることを自覚しているが、いまのところ殺す相手がわからなくなるということはなく、定評は高い。

 老いを逆手に取ったかのごとく、このところ、リーアム・ニーソンが憂愁の魅力を振りまいている。名うての強盗の引退後を演じた『ファイナル・プラン』(2021)、元海兵隊員の狙撃手を演じた『マークスマン』(2021)が記憶に新しいが、本作では、アルツハイマー病を患う殺し屋である。といっても、果たして彼は本当にアルツハイマー病なのだろうか、という疑問が生じる。車の運転ができ、ターゲットのいる場所に到着でき、相手を間違えることもない。そしてなによりも、自分が「忘れる」ということを強く自覚している。年相応の健忘症を気にしすぎている、アルツハイマー病恐怖症なのではないだろうか。

 舞台はアレックスが生まれたテキサス州エルパソとその周辺。アレックスの仕事のいっぽうで、FBI捜査官がおとり捜査を仕掛け、人身売買の事実を暴こうとしている。それに失敗した捜査官セラ(ガイ・ピアース)は、上層部に責められ、地元警察との連携はうまくいかず、いつしか孤立感を募らせている。やがて、父親に売春をさせられていた少女ベアトリスをめぐって、アレックスとセラが接近遭遇することになる。

 アレックスの左腕には忘れてはいけないことのメモが書かれているが、これはすぐさま、名作『メメント』(2000)を想起させる。すでにガイ・ピアースが登場しているので、映画ファンなら、この映画はガイ・ピアース主演『メメント』へのはるかなオマージュであることもわかる。とはいえアレックスは『メメント』の主人公ほど深刻に記憶と向き合っているわけではないようで、このメモは洗えば消えてしまうのがおかしい。

 FBIが追っている事件とアレックスの復讐心がからみ、アレックスの仕事の失敗(拒否)が彼を窮地に追い込むことになる。もはや生き延びることに執着しない彼は、どうしても許せない人間たちを始末することだけを考えるようになる。そしてセラたちを挑発して巻き込もうとするが簡単にはいかず、やむなく後の始末をセラに託すことになる。メキシコからの移民問題や、収容施設で行われている忌まわしい出来事が告発され、社会派映画の側面も強いが、アレックスの思いとセラの思いがクロスする瞬間、この映画のテーマは“連帯感”だということがわかる。

 印象的なセリフがある。アレックスが開巻始めの仕事を終え、メキシコシティの友人で同業の男を訪ねた際、彼が「おまえは繊細で芸術家だからな」と言う。これこそはアレックスがなんらかのノイローゼである証拠ではないだろうか。不遇な少年時代を共に過ごした実兄は、明らかなアルツハイマー病患者で施設に入っている。兄を見舞ったアレックスは、人生のはかなさを感じ取り、遺伝的に自分も兄のようになると思い込んでいる。あるいは、忘れてしまいたい人生ゆえ、兄と同じようになることを望んでいるのかもしれない。

 このアレックスの気分がこの映画のサスペンスの基調になっている。いかに不幸な生い立ちといえども、若く自信に満ちていた時代はあった。殺し屋としてのテクニックも極めた。しかし晩年になり、思うような達成感は得られず、虚しさがつのる。自分も組織の捨て駒に過ぎないということが身に沁みる。そこで他の組織である「FBI」にいる、自分と同じ匂いのする人間たちに最後の望みをかける。リーアム・ニーソンは、そういうセンチメンタルな思いだけで物語を引っ張るのである。

 なんといっても『メメント』のガイ・ピアースがリーアム・ニーソンを立て、心情的に付き従うのだから、映画ファンたるもの、ここは同調するのが当然の喜びというべきだろう。卑しい職業、それも数多の後悔が伴う職業を通じて主人公が得た苦しみと、それを乗り越えるための戦い。今現在のリーアム・ニーソンのりりしい“仕事ぶり”を味わえる。

●5月12日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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