阿部サダヲの『アイ・アム まきもと』は温かい;死を通じて人と繋がる静かな高揚感

『アイ・アム まきもと』(2022・水田伸生監督)

 映画評論家・内海陽子

 大きく現実離れしてはいないが、どこか浮いていてシュールなイメージを醸し出す名優・阿部サダヲが『おみおくりの作法』(2013・ウベルト・パゾリーニ監督)のリメイクに挑む。わたしには不安があった。静かで冷え冷えとしていて、やや辛抱を強いるが、ラストに圧倒的な感動をもたらす名作の主人公を彼はどう演じるか。観ながらあらためて気づいたのは、阿部サダヲは人を楽しませずにはいられない俳優だということだ。『アイ・アム まきもと』は随所でくすりと笑えて温かい、暖色系の優しい映画になっていた。

 山形県庄内市の福祉局おみおくり係の牧本(阿部サダヲ)は、職務に忠実というよりもやや偏執的である。孤独死したひとたちの葬儀を丁寧に行い、遺族からの連絡を待ち、遺骨はできるだけ長く保管する。自分の机の周囲も遺骨で溢れ、清掃係の女性に小言を言われ続けている。家に帰れば簡単な料理を作り、立ったまま食べ、調理器具は洗浄されて清潔だ。きわめて簡素で合理的な暮らしぶりで、職務以外に考えるのは天涯孤独の自分自身の死後のことくらい。墓地の一等地を確保してあり、ときどき寝転んで空を見る。いい気分だ。

 ある日、向かいのアパートの住人が死後だいぶ経って発見された。その男、蕪木(宇崎竜童)は思い出の品をたくさん残しており、なかでも可愛い少女の写真が気になった。折から、おみおくり係が新任の局長によって廃止されることになり、蕪木の葬儀が最後の務めとなった牧本は、異様な熱意をもってこの葬儀に取り組む。誰に頼まれたわけでもないのに、私立探偵のように蕪木の人生をたどり、家族を探す。すると、面白いように(というと語弊があるが)関係者が見つかり、蕪木の人物像がどんどん明らかになる。彼は無口で乱暴者だが、正義漢で筋が通っていて、女にもてる男だったことがわかる。

 魚港の食堂の女主人・みはる(宮沢りえ)は蕪木の娘を生んでいて、その娘には赤ん坊がいる。そして蕪木の成長した長女・塔子(満島ひかり)を養豚場で見つけることができた。蕪木には立派な家族がいる。これだけでも大収穫である。おまけに蕪木が転々とした職場で知り合った人々は彼の思い出を大事にしており、それはホームレスになったときも同じだったとわかる。牧本はどこか有頂天になって、いっそう職務に邁進する。いや、それは職務ではなく、まるで自分自身の夢の葬儀のために走り回っているように見える。

『おみおくりの作法』では階段に腰かけただけですまされたホームレスとの会話は、酒を酌み交わす宴会に変貌する。炭鉱にいた時代、蕪木に命を救われたという槍田(國村準)は盲目で施設に入っているが、大事にされており、國村隼がまるで大親分のように見える。食堂「みはる」につどう男たちの荒っぽい応対も、牧本には素晴らしく新鮮だ。見知らぬ男の人生をたどるだけで、こんなにも豊かな気持ちになれるとは。頑張ってよかった。

 そう、もはや牧本は蕪木と一体化してしまったのだ。だから、自分が確保した墓地を蕪木の家族に譲ることに何のためらいも持たない。そして、蕪木が白鳥の写真を撮ることにこだわった理由を突き止め、その思いを代行しようとまで考えるようになる。それは塔子への恋心ゆえだと言うこともできるが、それ以上に、蕪木を通して多くの人と豊かに繋がることができた高揚感、とでもいうべきものではないかと思える。その高揚感が思いがけない悲劇を生んでしまう。

『おみおくりの作法』を初めて観たとき、この悲劇について「好事魔多し」という言葉が思い浮かび、そんな簡単な言葉で片づけるのは間違いだと自分の頭を叩いた。だがこの『アイ・アム まきもと』の印象は大きく異なる。牧本のほのかな恋心、蕪木一族との一体感は、何物にも代えがたい大事なものになっていたのであり、空を往く二羽の白鳥の姿は牧本の眼に得難いものと映ったはずだ。つまり、彼は悔いがなかったように見える。

 おそらく世界中の多くの映画作家が『おみおくりの作法』のリメイクを考えたであろうし、今もどこかでなにかしら企画が進行しているかもしれない。人の死をどうとらえ、どのように弔うかはさまざまな文化や感情の基礎になるものだからである。『アイ・アム まきもと』は日本における孤独死の問題をいくぶんリアルに織り込みながら、日本人の持つ死に対する情緒だけではなく、死が人と人を結びつける過程を、ひとつの成熟として描きたかったのではないだろうか。それは見事な成果を上げている。

◎9月30日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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