刃の上を歩くような恋;『燃ゆる女の肖像』から匂い立つ輝き

『燃ゆる女の肖像』(2019・セリーヌ・シアマ監督)

 映画評論家・内海陽子

 女性が厭う顔の皺のひとつに、ほうれい線というのがある。そもそも漢字で豊麗線とも書き、頬が豊かなら当然生じる皺だと思うが、美容上、あってはならないもののように言われている。特に子を産んだ女性はめだつようになる、と断言する男もいて恐れ入る。しかし、この映画の令嬢エロイーズを演じるアデル・エネルのほうれい線を見てほしい。きれいな横顔の、深くはない繊細なほうれい線が、彼女の内面の苦悩をたおやかに表す。頑固な意思の表れにも見え、その頬にそっと触れたくなる。

 18世紀。伯爵家の令嬢エロイーズ(アデル・エネル)の見合いのための肖像画を描くべく、孤島にやってきた画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、前任の男性画家が失敗したと知る。残された画には顔の部分が無く異様である。マリアンヌは画家であることを隠し、散歩の相手としてふるまうことになるが、エロイーズは警戒して打ち解けない。笑顔のない彼女の硬い表情を、重ねる両腕を、マリアンヌは必死に記憶してこっそり肖像画を描き始める。やがて少しずつエロイーズは心を許し、マリアンヌを肖像画家として受け入れる。

 大きな感情の動きはないように見えるが、二人の女が惹かれ合っていく様子が空気の震えとともに伝わる。伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)が出かけた後は、明るく率直なメイドのソフィ(ルアナ・バイラミ)が加わり、三人の女の日常がバランスのいい緊張感を伴って続く。エロイーズもマリアンヌも修道院育ちで、エロイーズは閉ざされた世界が性に合ったようだが、自立心の強いマリアンヌは早く脱出したかったということがわかる。二人の相性はわるくないが、男性社会でどう生きていくか、何を受け入れていくか、二人の道ははっきり分かれている。それぞれの強い自我と諦観。それが画面からひそやかに匂いたつ。

 事件らしい事件といえば、ソフィが身重だとわかり、伯爵夫人が留守のうちに堕胎する決意をすることだ。エロイーズもマリアンヌも、ソフィの相手を詮索することはなく、彼女の手助けをする。海辺で何度も疾走するソフィ、見守る二人。修道院育ちゆえに、二人はこのような場面を体験しているのかもしれない。ソフィの相手は、きっと前任の男性画家だろうと察しがついているのかもしれない。だがそういう事実を明らかにすることにこの映画は全く興味がないように見える。穏やかな語り合いの中で印象的なのは、ギリシャ神話「オルフェウス(オルフェ)」についてのそれぞれの思いである。

 オルフェの妻エウリディケが命を落とし、妻を愛するオルフェは冥界の王に妻を生き返らせてくれと懇願する。後ろを振り返るなという約束をオルフェが破ったためにエウリディケは冥界に引き戻されてしまう。妻を心配するあまりオルフェは振り返った、けれども……と会話は続くが、エロイーズは「わたしを見て、と妻が誘ったのかも」と言う。その後、マリアンヌは白い衣裳のエロイーズの幻影とも実像ともつかぬ姿を見る。二人は既に「夫と妻」になったからであり、マリアンヌは別れがたい思いに苛まれているからである。

 映画の前半ではただ不機嫌な顔で押し黙っていたエロイーズが、後半に差し掛かるとひどく能動的になる。マリアンヌの心にしみる愛を得たが、今生で結ばれることがないならば、いっそ冥界に落ちてしまおう。彼女はそうやって受け入れがたい男との結婚を承諾し、冥界に去って行く。それが彼女の決断であり、花嫁衣裳とも死に装束ともつかない、こわいくらい白く輝く衣裳で、マリアンヌを見送るのである。

 つまり、愛は禁じられてこそ完全燃焼するのである。誰からも祝福される輝かしい恋は、この恋にくらべれば二流の恋である。二流には二流の幸せがあり、そこで満足する者が大多数だが、一流の恋を手にした者たちは、一流であるがゆえの覚悟と断念を求められる。燃え上がる白い炎のような花嫁衣裳=死に装束のエロイーズのイメージとそれゆえの心の傷を抱いて、マリアンヌは一人で生きていく。

 ラストカットのエロイーズの表情に、アデル・エネルという若き名女優の真価が発揮される。物語の上で少し年を重ねてほうれい線は和らぎ、まるで美しいほころびのようである。深い恋心を隠し持ち、その恋の相手が目の前に現れても動揺を隠しおおせること。刃の上を歩くような苦痛をしのび続けること。それがエロイーズの覚悟である。到底真似はできない境地だが、その気持ちは手に取るようにわかる。わたしも恋を知っている女だから。

◎2020年12月4日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

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