はちゃめちゃな闘いぶりに体温が上がる;『 SISU/シス 不死身の男』は屈しない精神の映画

『SISU/シス 不死身の男』(2022・ヤルマリ・ヘランダー監督)

 映画評論家・内海陽子

 夫と男児を殺された女が立ち上がる『女は二度決断する』(2018・ファティ・アキン監督)という秀作がある。この映画を非常に気に入ったわたしは、試写室で観終わった年配の紳士が怒ったという噂を聞いて驚いた。この世に、法で裁けない悪を個人で制裁するという物語は溢れているのに、こんなに説得力があり、情感豊かな映画に怒る人がいるとは信じられなかった。女が復讐するのが気に入らないのだろうか。たとえばこの『SISU 不死身の男』を観たら、試写室の紳士はどう思うだろうか。

 もっともこの『SISU』の主人公は、私的な復讐をいちおう済ませており、この映画では降りかかる火の粉を払うだけである。払うだけとはいっても、時は1944年、敵は焦土作戦を展開してフィンランドを焼け野原にしたナチスの戦車隊だ。ことのほかたちの悪いやつらで、さりげなく通っていく主人公アアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)を黙って見過ごすわけにはいかないとばかりにちょっかいを出す。しかしこれがみずからの首を絞めることになろうとは夢にも思わない。薄汚い老いぼれにしか見えない男が、じつは伝説のSISUだとわかったときには、もう引っ込みがつかなくなっていた。

「SISU」とは、フィンランド語で「勇敢で粘り強い魂」を意味するそうだ。「彼は不死身ではない、死なないだけ」とある女が誇らしげに証言するように、とにかく彼は絶対死なないのである。『ダイ・ハード』シリーズを思い起こさせる描写もあるが、もっと陰惨で血なまぐさく、死んだと思った人間が何度でも甦って挑んでくるイメージだ。“死なない”という描写の一つ一つが妙に律儀で、それがそこはかとなく笑いを誘わないでもない。しかし彼自身はにこりともせず、ただ黙々と火の粉を払い続ける。『ダイ・ハード』系アクション映画のようなスポーツ感覚はない。

 ほぼすべてのシーンが具体的なので、いちいち紹介すると見る楽しみを奪ってしまう。ひとつだけ、ガソリンをかぶるシーンを書かせてもらう。追われて車の底にへばりついたコルピは、鼻の利く犬たちをかわすため、あえてガソリンタンクからガソリンをかぶる。そこまではいい。水際まで逃げた彼は、みずからの身体に火をつけ、犬を怖れさせた後、水に飛び込む。一度炎に包まれた人間の身体がどんな損傷を負うか、想像できるだろう。水に飛び込めばどうにかなるものでもないと思うが、彼は死なない。火傷ひとつ負わない。なぜなら彼はSISUだからだ。ほとんど問答無用の世界で、わたしはどんどん気持ちがよくなる。

 さすがのならず者たちも、あのジジイはただ者ではないと気づく。調べると、フィンランド最強と言われた元特殊部隊員で、今では組織を離れた“一人暗殺部隊”だとわかる。司令官に状況を伝えると「あの野郎だけは怒らせるな」「Uターンしてノルウェーに向かえ」と命令されるが、それに素直に従うようなやつらではない。というより、追い詰められた者ならではの倦んだ心に、火が付いてしまったのだろう。戦車隊の中尉(アクセル・ヘニー)は、コルピに対して畏怖と敬意がないまぜになった戦闘心を覚え、この好敵手を失いたくないという心理に陥る。どんなに痛めつけてもとどめは刺さない。いっぽう、部下たちはすでに武器以下の存在で、どんな無慈悲な命令でも下せる。このあたりに最もぞっとする。

 もう敗戦が決まっているのに、頭に血が上った上官によって無駄死にさせられる兵士たちは無残というほかないが、SISUが彼らに情けをかける義理はなく、彼はまるで与えられた餌を飲み込むように、わけへだてなくきっちり殺していく。これはまるでSISU道を極めんとする武士のようではないか。その指にはまだ結婚指輪があり、ナチスに囚われていた女たちには武器を与え、打てば響く女たちが武器を手に立ち上がるシーンへと至る。まるで美しい儀式を見るようである。

 荒唐無稽と決めつけてしまえばそれまでのことだが、この映画の荒唐無稽さには一目置かなければならない。世の中には闘うことでしか晴らせない恨みがあり、つぶさなければならない相手がいる。女であろうが、年寄りであろうが、武器とチャンスがある限り、我々は油断することなく立ち向かわなければならない。この映画はそういう精神性を存分に味わわせてくれる。体温が一度ほど上がって強くなった気になる。

●2023年10月27日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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