浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ
『エリカ38』(2019・日比遊一監督)
映画評論家・内海陽子
いくらエステに通ってもブランド物を身につけても、肉体の衰えを止めることはできない。きめの粗い映像によってあからさまになるヒロインの表情は、ときどき無残なほど老けて見えるが、それこそがこの物語に求められている女優の顔である。人工的に手入れされた肌の女優では絶対に演じられない女に、浅田美代子はすんなりとなりおおせる。そこには演技力を問われる以前の女優の力があり、いまある肉体そのもので勝負する潔さがある。
渡部聡子(浅田美代子)は60代。バーのホステスとして働きながら、あやしげなサプリメントを扱うビジネスを切りまわしている。喫茶店で仲間をあおる彼女の明るい弁舌を耳にした伊藤(木内みどり)は、聡子をスカウトし、みずからのビジネスに誘いこむ。平澤(平岳大)を紹介され、彼が牛耳る途上国支援事業の手伝いをすることになった彼女は、その仕事に楽しさを見出す。世間には“途上国支援”というプライドをくすぐる言葉にのせられ、配当金目当てに金を差し出す人々がけっこうたくさんいるのだ。最初は支援者から受け取った金を平澤のもとに運ぶだけだったが、聡子は奇妙に目を光らせる。
しばらくは平澤と男女の仲になって有頂天になるが、彼は中年の人妻とも関係したとわかる。自分の年齢を考えれば当然の話だが、聡子の胸に去来するのは数十年前の父の姿だ。女好きでだらしないくせに、母には暴君として振る舞う父を聡子は憎んでいた。いまの平澤はその父を思い出させる。彼から支援ビジネスのテクニックを学んだ彼女は、年輩の男を誘惑して愛人になり、豪邸を手に入れ、そこでビジネスを展開する。湯水のごとく金を浪費し、ホストクラブで遊び、タイで窮地を救った若い男とつきあうようになる。
ふと連想させる映画がある。宮沢りえ主演の『紙の月』(2014・吉田大八監督)で、銀行に勤め出した主婦が、客からの預かり金の横領に手を染め、若い男に貢ぐようになる物語だ。この映画は、宮沢りえの痩せた身体が実在感を薄めたせいなのか、どこか観念的で、はらはらさせる大冒険を共に味わうような気がしたものだが、『エリカ38』はそうではない。冒頭で末路がはっきり提示されるからというわけではなく、浅田美代子のやつれた肉体は、豊かになり得た人生を、どこかで放棄した女の負の部分を明瞭にするのである。その原因が過去の父と母のことにあるというだけでは描写が足りないと思うが、それを補ってあまりある“虚”を浅田美代子は漂わせる。
聡子が年輩の男を“たらしこむ”演技で連想させるのは『後妻業の女』(2014・鶴橋康夫監督)である。こちらははつらつたる体躯を誇る大竹しのぶが巧妙に演じて、さっそうたるピカレスクロマンになっている。むろん『エリカ38』に『後妻業の女』の明朗さはないが、小憎らしさもない。大竹しのぶには底知れない演技力があるだろうが、浅田美代子には磨き上げた演技力というものはなく、代わりに独特の寂しさとおぼつかなさがあるだけだ。しかし、「エリカ38歳」と偽ってタイで過ごす彼女のうしろ姿には、地に足の着かないまま、60代を迎えてしまった少女のおもかげがある。『釣りバカ日誌』シリーズの主婦・みちこさん役には見出せない、途方に暮れた少女のおもかげが確かにある。
この映画の企画者である樹木希林は、浅田美代子の、この少女性をいとおしんだのではないだろうか。タイで知り合った若い男と聡子とのラブシーンでは、丁寧な照明が当てられ、衰えの目立たない肩や背中がクローズアップされる。かなり大胆な体位でのラブシーンもあるが、若い男におぼれる初老の女というよりも、奔放な不良娘のようなイメージである。意外なことに、聡子は38歳という年齢すら気に入らず、ほんとうは18歳と偽りたかったのではないかと思うほどだ。それくらい、ひとは一定の年ごろのまま生き続けることがある。
いままで似ているとは一度も思わなかった樹木希林と浅田美代子が、母娘に扮したら非常によく似ているとわかったのも意外だった。といってもこれはほとんど台詞のない樹木希林の演技力によるものであり、浅田美代子のしぐさや表情から読み取った上で、彼女の母の姿を作りあげたものに違いない。かつての名物ドラマ『時間ですよ』(1973・TBS)の樹木希林らしい芝居がちらりと見えたようだが、気のせいだろうか。ともかくふたりはいつしか疑似母娘関係を作りあげていたのだろう。ひどい女の物語でありながら、どことなくさっぱりとした印象が残るのは、母のひそやかな愛情の支えがあるからである。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
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