MMTの懐疑的入門(3)水平マネーと垂直マネー

 前回、MMT派の考える経済が、「横の関係」と「縦の関係」から成り立つことを説明した。彼らはこれらを「ホリゾンタル」と「ヴァーティカル」と呼んでいるので、以降はこの用語に従うことにする。
 すでに説明したように、MMTの考え方では、会計上のお金の動きだけに注目すれば「ホリゾンタル・マネー」の会計上の合算はゼロになり、経済を拡大・委縮させているのは「ヴァーティカル・マネー」であるということも容易に推測できるだろう。
 なんだかあまりに単純で、拍子抜けする読者もいるかもしれない。もちろん、この構図はMMTが抱いている経済のシンプルな全体像であって、この経済を大きく動かしているのが「統合政府」がホリゾンタルな部分に流し入れてくる(あるいは税金として引き上げる)ヴァーティカル・マネー。ホリゾンタルな「民間部門」を動かしているのがホリゾンタル・マネーだということである。
 前回も説明したが、ホリゾンタルな部分、つまり銀行・企業・家計(外国もあるが、それはいまは省略して)の民間部門における会計上のお金の合計はゼロだが、リアル・アセットつまり土地建物や自動車などは、モノとしてはみ出して存在している。
 しばしば、MMT派のL・R・レイが例としてあげるのは自動車だが、これだってもちろんバランス・シート上では、左の「資産の部」に有形資産として記載されている。家計ではバランス・シートを作成する人は多くないが、銀行や企業の場合には当然のことであり、そしてバランス・シートの右側にある「負債の部」には自動車を買うためのローンが記載されるわけである。
 わたしのような、ごく普通の人間の場合、この土地建物、自動車、テレビ、ステレオ、ジャケットなどが多くなればなるほど「豊かな生活」と考えるわけだが、MMTの経済学者は必ずしもそうではないようだ。レイによると、先ほどの自動車も、すべてを統合政府が買うようにすれば、家計はローンの負担を抱えずにすむという。
 それだけではない、MMT派は統合政府が自動車を買い上げて、家計を楽にさせるのと同じように、失業者に職を与える費用をヴァーティカルに支出すれば、働きたいのに職がない人に仕事を作り出すことができると主張しつづけてきた。
 しかも、この「非自発的失業者」をなくすのは「統合政府」にとってそれほどの負担にはならないので、「失業をつくりだしているのは政府である」とまで断じるのである。つまり、政府は実は「やるべきこと」をやっていないというわけだ。たとえば、MMT派の経済学者ビル・ミッチェルの著作のひとつも『放棄された完全雇用』なのである。
 こういう発想あるいはレトリックというのは、むかし、アメリカでカーター大統領が大統領選に出馬したとき、「なぜ、ベストを尽くさないのか」と連呼したのを思い出す人もいるだろう。わたしは、日本共産党の政治家が、生活費すべてを党によって賄ってもらっているイメージを描いてしまったが、まあ、ちょっと違うかもしれない。
 全体の構図を述べていたのに、少し先走って各論に入ってしまったが、ともかく、MMTというのは高い失業率に苦しんでいた欧米の政策的課題を背景にもっており、働きたい人が職を得られるための経済学として、自らを鍛えてきたという事実は、いくら強調しても強調しすぎることはない。
 これで簡単ながらMMTの全体の構図を描いたことになる。これから細部を埋めながら、はたして妥当な主張をしているのか、ゆっくり見ていくことにするが、その前に、「ホリゾンタル」と「ヴァーティカル」について、ちょっとだけ学説史的なことを付け加えておきたい。これはどうでもいいようなことだが、なぜ、MMTがこうした発想をするようになったかの、ひとつの説明にもなるからだ。
 すでに報道でも知られるようになったが、MMTはケインズ経済学左派やアメリカの異端経済学者ハイマン・ミンスキー、さらにはマルクス経済学から影響を受けている。「ホリゾンタル」と「ヴァーティカル」の区別は、ケインズ左派のポスト・ケインジアンから引き継いだ考え方である。
 1980年代に次第に成立した「内生的貨幣供給理論」は、バズル・ムーアを中心に推進された学説で、ホリゾンタル・マネーが信用創造を繰り返して金融経済を動かしていくと論じた。これはアメリカのミルトン・フリードマンの説が、中央銀行からの貨幣の供給を中心に論じる「ヴァーティカル」で外生的なものだったのに対抗して生まれたといわれる。
 ところが、ムーアは「ホリゾンタリスト」と呼ばれるように、あまりにもホリゾンタルな内生的側面を強調したので、中央銀行あるいは政府の役割が軽視されているとの批判が生まれた。やがて、民間部門の内生的側面に加えて、統合政府の外生的な側面も盛り込む「ストラクチュラリスト」が台頭することになる。このストラクチュラリストの中心人物が、MMT派の形成者のひとりであるL・R・レイである。
 ムーアは1979年に編まれたポスト・ケインジアンの論文集のなかで、当時のホリゾンタリストとストラクチュラリストとの論争を次のようにさりげなく記している。「ポスト・ケインジアンは、中央銀行によって決められるベース・マネーについて、コントロールという意味では明らかに外生的であるけれど、現実の世界つまり統計的な意味においては、内生的なものであると主張する」。
 内生的貨幣供給理論を掲げているはずのMMTが、やたらと統合政府の外生的な貨幣コントロールを強調することが不思議に思えた人は多いと思うが、それにはこうした論争史があったからである。内生的、外生的でいえば、ムーアは内生的でフリードマンは外生的であり、例によってケインズは『貨幣論』では内生的だが『一般理論』では外生的である。

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