MMTの懐疑的入門(18)国家の債務は消えてしまわない

 MMT(現代貨幣理論)の理論家たちは、しばしばMMTが前提としている世界観でいまの経済を分析してみせて、いとも簡単に「解決」を示すことがある。もちろん、これはMMTの正しさや応用可能性を信じてのことだが、そういうときこそMMTの問題点が明らかになるのである。

 とくに、MMT理論家が「債務」について論じるさいには、いまの制度と彼ら理論との差が大きいために、いまの制度を前提に経済を考えている者を啞然とさせることが多い。これは、すでに述べた貨幣の起源論においても当てはまるが、実際に進行中の経済問題に応用した場合には、ぎょっとするようなシュールな言葉が発せられることになる。

 たとえば、L・R・レイが入門書のなかで、アメリカの「債務問題」について論じている部分があるが、彼の記述を読めば、MMTを応用しただけで、問題は簡単に解けてしまうような印象を与えている。

 レイによれば、現在の債務問題はたいしたものではない。なぜなら、国債は償還期がくれば準備預金に変わってしまうからである。アメリカ政府は「もう国債の発行をやめれば」、おのずと国債の発行額は少なくなってゆき、債務額の上限を切ってしまう。「こうなれば債務問題は解消してしまう」。

財務省資料より

 もちろん、これは「アメリカのケース」であって、MMT理論家たちがナンセンスだと考えている「国債発行額の上限(デット・シーリング)」に達しないようになったということにすぎない。国債発行額の上限を決めていない日本には、まったく適用できない「解決法」である。そもそも、これが「債務問題の解決」と呼んでいいのかも疑問だ。

 では、いまの制度のなかで、国債発行をしないで政府支出を増加させていくにはどうするかといえば、レイは法律的に制約がない当面の処理のために存在するギャランティ債やプラチナ債(ジョークだと断っているが)の発行でで調達すればいいなどと述べている。なんだか、ネット上に散見される日本の無利子国債論とか政府紙幣論そっくりではないか。そもそも国債発行などしなくても、自国通貨で支出できるとしているMMTで、いまの問題を論じるというのがナンセンスなのである。

 もっとシュールに聞こえるのが、国債や税金に関するステファニー・ケルトンの発言である。来日したさいにも、繰り返し述べていたが、「国債は単なる過去の記録」であって、それが増大していくことを恐れる必要がないという。しかし、これもMMTの立場からすればという前提がなければ(実は、これから述べるように、たとえ、あっても)とても信じられるものではない。

「国家の債務というのはドルすべてについての歴史的記録以外の何物でもありません。政府が経済に支出して、徴税していない分のなかで、安全なかたちで保有されているのがアメリカ国債なんです。それが国家の債務ですね。だから、債務が大きいとか小さいとかいう問題(あるいは将来的にある時点で大きくなりすぎるとかの問題)は、実は、これから10年、20年、50年の期間、国債を保持する人にとって、安全な資産が多すぎないかどうかという問題なんです」(CNBCでのインタビューより)

 しかし、果たして降り積もった国債は「歴史的記録以外の何物でもない」のだろうか。それはケルトンのようなMMT理論家たちにはそうであっても、いまの制度のなかでは政府が償還しなければならない債務である。さすがにMMTの理論家も償還しなくてもよいとは言わないが、政府が自国貨幣を発行できるから債務は自国通貨で償還すればよいと考え、原理的にはインフレが起こらない限りいくらでも可能だと主張する。

 ただし、ケルトンの発言のなかで興味ぶかいのは、「完全雇用に近づくにつれて、追加の財政支出にはインフレのリスクが伴う」と言うのは当然として、外需が急速に伸びたとき完全雇用に近ければインフレの可能性があり、また、バブル状態になった場合にインフレのリスクがあることも認めていることである。

 さらにケルトンは、アメリカ経済はこの1世紀間ほどデマンドプル・インフレは起こっておらず、たいがいはコストプッシュ・インフレであると指摘している。つまり、アメリカ国内の状況によると、このところ需要が急激に増えることでインフレが起こった例はなく、石油ショックや医療費などの価格が、急騰することで起こるインフレがほとんどだという。

 これは石油ショック直前にも4~6%のインフレだったことを考えると、慎重に検討しなければならないが、注目すべきなのは、純金融資産だけの動きだけで論じるMMTの議論のなかに、実物資産や実体経済の動向が入ってくると、MMTが提示してきた前提が大きく揺らぐことである。そして、私たちが体験している経済は、MMTが対象とする純金融資産だけではなく、民間部門のホリゾンタルな世界でのバブルや不況を含めた、実体経済以外の何物でもない。

 ケルトンは来日したさいに、「国債は歴史的記録にすぎない」と繰り返しただけでなく、「国債はすべてを日銀が購入してもよい」と盛んに語ったが、国債の残高を日銀が保有しているか民間の銀行が保有しているかは、日本経済全体(実体経済を含む)にとって必ずしも同じではない。いや、かなりの違いがある。

 たしかに、償還期がくれば国債は準備預金になってしまうが、これはゼロになって債務がなくなるということではない。この点を勘違いしているMMT信奉者がいるが、そんな馬鹿なことが起こるわけがない。しかも、償還期を迎えた国債がどこに位置しているかによって、純金融資産の世界だけでなく、ホリゾンタルな世界である実体経済に大きな影響が出てくるのである。

 まず、ケルトンがいうように国債すべてを日銀が買ってしまったとしよう。このときには償還のさい日銀のバランスシートの資産側に利子のない現金が生まれてしまう。これではバランスが崩れるので、将来は新規あるいは既発の国債でバランスを取るとしても、当面は政府短期証券でつなぐのが普通だ。

財務省資料より

 このさい日本では「60年ルール」があって、6分の5は償還されずに借り換え債でつなぐことになっている。しかし、いずれにせよ債務の返済分は特別会計から支出される。MMTならば政府貨幣で支払うから、こうした手続きが不要だというわけではない。MMTの場合も新規の貨幣が大量に発行されるので、債務の「返済」じたいは同じことなのだ。そしてこの貨幣発行には、これまで見てきたインフレだけでなく、為替、資源、バブルといった制約がちゃんとある。

 では、日銀が引き受けずに民間銀行がすべてを保有している場合にはどうなるのだろうか。この場合には償還期が来た国債は同じく準備預金になるが、もし、日銀がこれに付利(サポート金利)を付ければ、あまり積極的でない民間銀行は、新たな投資先などさがさずに準備預金のままで保有するかもしれない。

 積極的な経営を行っている民間銀行ならば、実体経済のなかに投資先を見つけて高いリターンを追求するか、すくなくとも国債などの金利付きの債権を購入してバランスシートを好転させようとする。このとき、大量の資金が新しい投資先を見つけようとすれば、景気がよくなるかもしれないし、状況によってはバブルを引き起こすこともある。いっぽう、実体経済が沈滞していれば、リターンを得られず民間銀行は経営不振に陥るだろう。

 ケルトンなどに典型的なMMT理論家のエッジの利いた発言は、その国の貨幣はすべて政府が発行しているから、国債はその貨幣の代替物として安全が保証された利子付きの資産にほかならず、インフレで国民の生活をよほど圧迫しないかぎり、いくら多くなってもかまわないという認識から生まれてくる。

「実際のところ、国家の債務が時とともに増加することによる、唯一の潜在的なリスクというのはインフレーションであり、あなたがアメリカに長期のインフレ問題があると信じていないのなら、アメリカが長期の債務問題に直面するとは考えるべきではないのです」(同)

 しかし、まず、インフレが起こらないという前提はいったいどこからくるのだろうか。それはいうまでもなく、現在のアメリカ経済(および世界経済)がインフレ基調の傾向をもっていないという実体経済からの判断だろう。そして、もうひとつは、MMTの基本的な税金の考え方に従って、たとえインフレが起こっても、そのときは徴税すればインフレは簡単に阻止できると考えていることだ(ケルトンはそれほど単純には考えていないというが、残念ながら日本のMMT輸入元の多くはそういってきた)。

 もちろん、世界はデフレではないものの、インフレ基調にあるとはいえないから、実体経済を考える論者ですら、純金融資産だけの世界を描きがちである。しかし、いったん純金融資産が「レバレッジ」を掛けられて実体経済を拡大していく「ホリゾンタル」な世界を考察すれば、けっして安定した、いまの延長線上にある未来が広がっているとはいえないのである。

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