MMTの懐疑的入門(7)マネタリー・ベースと税金

 これまでの説明から、MMTによる経済全体像は、金融機関を含めた民間部門のなかを動きまわるホリゾンタル・マネーと、政府と中央銀行が一体となった「統合政府」によるヴァーティカル・マネーによるコントロールであることは理解していただいていると思う。

 もちろん、統合政府から民間部門に入って来るヴァーティカル・マネーと民間部門の中で動くホリゾンタル・マネーとの違いは、かなり微妙なところもある。民間部門に生まれた貨幣需要に対して中央銀行から追加されるマネーは「内生的」なものとされるが、中央銀行が利子をコントロールするために当座預金に積んだマネーは「外生的」とされることは第4回で触れておいた。

 しかし、ざっくりいって、MMTが全体の議論で重視するのは、ヴァーティカル・マネーであるハイパワード・マネー、つまり、マネタリー・ベースの動向なのである。金融機関に勤めていたり、経済評論家でもやっている人間でもなければ、興味関心の中心はホリゾンタルなマネーがどのように実体経済を拡大していくかなのだが、MMTに関する限り、議論は「どこまで行ってもマネタリー・ベース」であるといっても言い過ぎではない。

 ということは、アベノミクスの「第一の矢」とされた「インフレターゲット政策」と同じではないかと憂うる人もいるかもしれない。インフレターゲット政策では、日本銀行券+貨幣(コイン)+日銀当座預金からなるマネタリー・ベースを急激に増加させることで、2%のインフレを起こすことになっていたが、見事に失敗したのである。

 それでは、どう違うのだろうか。それを知るには、日銀が行なったインフレターゲット政策と、その追加であるかのように行なわれた大規模な異次元金融緩和によって拡大したものが、何であるのかを見ればよい。アベノミクスがまだ始らなかった2012年12月から、2019年6月までの間に、マネタリー・ベースのなかで急伸したのは日銀当座預金である。

 日銀当座預金というのは、民間金融機関が日銀にもっている口座で、日銀はこの口座を用いて通貨の流通量をコントロールしようとしてきた。アベノミクスの場合はここに多額の勘定を追加して、そのことで市場に流れる通貨の量(マネー・ストック)を拡大して、インフレを2%に持っていこうとしたわけである。

 では、同じマネタリー・ベースを用いて、MMTは何をしようとするのだろうか。インフレターゲット政策の場合は、あくまで金融のなかに留まる。しかし、それでは金融市場で資金への需要がなければ、日銀の当座預金に積み上がったままになってしまう。せっかくお金があっても使われなければ景気はよくならない。この虚しく積み上がった資金を「ブタ積み」と揶揄する言葉もあるようだ。

 MMTは金融の世界だけにとどまらずに、実体経済に入り込もうとするわけだが、彼らが最初からメインの目的としているのが「完全雇用」のための政策にヴァーティカル・マネーを使うことである。この完全雇用政策はJG(ジョブ・ギャランティ)あるいはELR(エンプロイヤー・オブ・ラスト・リゾート)などと呼ばれているが、これは回を改めて詳しく説明しよう。

 簡単にいえば、このJGでは労働力のプールを作っておき、不況のときには仕事を希望する人に仕事を提供することを通じて景気を回復させ、また同時に経済を安定させるのだという。いずれにせよ、これは政府を通じた実体的な政策となるから、そのための資金はMMTが主張する政府通貨あるいは国債を発行して調達することになるだろう。

 こうした政府支出は、MMTの考え方では、政府が発行することのできる貨幣でまかなうので、財政赤字や税収には関係なくできることになっている。しかも、JGを実行するには大不況期でもなければそれほどの資金は要らないので、むしろ、これまで政府がやってこなかったのは責任放棄であり、「政府は失業をつくってきた」とすらいうのである。

 とはいうものの、こうした政府支出には少なくとも2つの制約が存在する。もし、大量の通貨を発行し続ければ、いつかはインフレを引き起こすことになる。もうひとつの制約は、MMTを紹介する場合にあまり触れられないことだが、リソース(資源)という制約を認めている。つまり、何かを作ろうとすれば原料がいるだろうし、事業を起こすには人材がいる。また、なにより労働力が必要である。

 では、インフレが起ったらどうするのか。インフレが起ったら、新たに税金をかけるか、政府支出を縮小させればいいとMMTの理論家たちは主張する。また、労働力についてはJGあるいはELRによって柔軟な対応ができるので、その点からもインフレが起る可能性も低くなるという。これだけを読めば、わたくしが楽天的な側面を強調しつつ紹介しているのだろうと思うかもしれないが、MMTが論じているのは、ほとんどこのように絵空事に聞こえてしまうような、オプティミスティックな説なのである。

 ここで初めて税金の話が登場したが、これも初めての読者は驚くような話とセットになっている。そもそもMMTは、政府通貨を制約となるインフレの発生や労働力の限界がくるまで、どんどん発行できることにしているので、政府が政策を実行するための資金として徴税をするという考え自体を否定(!)している。

 では、税金はいらないことになるのかというと、そうではなくて、政府が発行する通貨で税金を徴収することで、発行通貨を流通させるために役立つのだというのである。これがMMTの入門書や教科書に頻繁に出てくる「税金はお金を動かす」という標語であって、「税金を払うと公的サービスが受けられる」ではないのである。

 話をヴァーティカル・マネーに戻すが、前回の「三面等価の原則」から導かれた、政府が支出をすればするほど、つまり財政赤字を積み上げれば積み上げるほど、同じ額だけ民間の貯蓄になるという説を思い出していただきたい。この政府支出と貯蓄との関係でいえば、MMTが目指すのは、マネタリー・ベースを民間部門に注入することによって、完全雇用をはじめとする良好な経済を実現させることであり、さらに社会保障を確立しようとしているわけである。

 こうした、わたしに言わせれば、かなり楽観的な世界観の上に建てられた砂上楼閣を、MMTの理論家たちは本気で信じているわけである。また、ところどころ換骨奪胎して輸入した日本のMMT派の論者たちも(彼らはさすがに失業率2.5%の日本で「完全雇用」を売り物にはしていない)、このMMTを掲げて消費税増税に反対し、これからも耐えられないようなインフレが起るまで、大胆に財政出動していくつもりでいるらしい。「まだ足りない」が日本MMT派の掛け声である。

 興味深いのは、ある日本MMT派の論者が景気への悪影響を理由に消費税反対を唱えるいっぽうで、内部留保への課税もしくは法人税減税の撤回も主張していることである。内部留保については完全な勘違いで、内部留保と呼ばれる「利益余剰金」は、すでに課税された後の残りであるから二重課税になる。また、法人税減税をやめて増税してしまえば、当然のことながらヴァーティカル・マネーの「引き揚げ」になってしまい、景気に悪いだけでなくMMTの論理からいっても矛盾しているといわざるをえない。

 もっとも、日本はもうかなりヴァーティカル・マネーを民間部門に「貯蓄」してきた。2007年に世界金融危機が始まったときには(上の日銀の図版資料を参照)、1990年に始まるバブル崩壊の後始末で、すでに世界に冠たるヴァーティカル・マネー大国だった。その後、アメリカやEUが急速にマネタリー・ベースを投入したが、いまの日本の「貯蓄」には及ばない。対GDP比のマネタリー・ベースは、アメリカが2014年には約28%までいったが、現在は約16%まで低下。EUはいま約19%。それに対して日本は約90%で、どこが「足りない」のか。

 結局、問題なのはヴァーティカル・マネーを上から下の民間に投入しても、それが金融機関の日銀当座預金で「ブタ積み」になることである。さらに、非金融企業に公的事業の代金として支払われ、大幅の法人税減税によって経営にゆとりが生まれたとしても、内部留保で可能になった余裕が波及性のある投資に向かわずに、「現金」や「預金」に向けられてしまっているのである。

 報道によると、この内部留保によって生まれた余裕が、特に現金に向ってしまう傾向が大きいのは建築業界の大ゼネコンらしい。この点から言っても、MMTによって危うい政府支出を創出し、大きな土木工事とか巨大ビルを建てたとしても、それほど簡単に波及効果が見込めないのではないかと、疑ってみたほうがよさそうである。

 とはいえ、インフレターゲットは失敗したが、財政支出を増加させた2013年には、明るい見通しもあったことを思い出しても損はない。いまからやり直せといっても、もう遅いとは思うが、別にMMTでなくとも、従来型の経済危機対策である財政支出と金融緩和のポリシー・ミックスは、それなりの効果をもっていた。深慮すべきは、超マクロ的視点の夢のような話ではなくて、どこに政策資金が投入されるべきかといった、ある意味でしみったれた地道な調整なのかもしれないのである。「足りない」のは、たぶん別のものだろう。

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