MMTの懐疑的入門(19)雇用保障制度は機能しない

MMTが主張してきた「ジョブ・ギャランティ」については、すでに「MMTの懐疑的入門(8)蝶番としての雇用保障制度」で触れておいたとおり、その実現にはかなりの困難がつきまとっている。MMT理論家たちは、このジョブ・ギャランティを採用すれば、アメリカの失業問題が解消するだけでなく、物価の安定にも寄与すると述べている。

 しかし、そもそも最低賃金をそれ以前より高めに固定して完全雇用を目指せば、インフレが起こると考えるのが普通だろう。日本のMMT輸入元たちは「それなら最低賃金を下げればいい」とか「税金を上げればいい」というのかもしれないが、それが間違いであることは、S・ケルトンですら、この単純な議論を繰り返し否定していることからも分かるだろう。

しかも、このジョブ・ギャランティそのものも、実は、アメリカで論争になり、もう下火になったといえば、MMTの信奉者でも「え? そんな話は聞いていない」というかもしれない。しかし、この話は本当で、昨年、アメリカの民主党内部で複数のフェデラル・ジョブ・ギャランティ(連邦雇用保障制度)の案が提示され、経済マスコミが頻繁に取り上げて、注目を集めた論争だったのである。

その結果というわけではないだろうが、社会主義者であるバニー・サンダースは、雇用問題の解決は掲げるにしても、MMTを応用することは考えていないことを明らかにした。つまり、こうした問題の解決には、お金のあるところにちゃんと課税して費用を賄うことを表明したのである。そのことは、MMT信奉者もご存じだろう。

さて、ジョブ・ギャランティそのものについて話を進めよう。論争になったことによって、この雇用保障制度は問題が大ありだということが明らかになった。そもそも、L・R・レイは『現代貨幣理論』において、アメリカのGDPの1%を大きく下回る費用でジョブ・ギャランティが可能だと述べていたが、かなり違うことも分かってきた。

こうした問題は、どこまで保証するかということで大きく違ってくるが、労働者1000万人を対象にした場合でも、GDPの2.4%は必要だということが、他でもないMMT理論家たちが行なったシミュレーションで明らかになったのである。

ひとくちに2.4%といっても、分母はGDPである。分かりやすいように日本の約600兆円で計算すれば(ちょっと荒いが便宜的に)、14兆4000億円ということになって、とてもではないが、安倍政権が採用するはずのない金額に達する。

Paul et al (CBPP) 2018 より

こうしたジョブ・ギャランティの試算は他にもあって、昨年の論争では「財政政策優先センター」というところの、マーク・ポールを中心とする研究者たちのシミュレーションが論争のひとつの中心となった。このシミュレーションによると、1000万人対象でもGDPの2.9%、1500万人対象となると4.3%ということになる。これも日本に当てはめるとざっと25兆円かかることになって、おそらく日本社会党が復活して政権を取っても無理だろう。

あれこれ論じられたテーマで、なんといっても第1に問題とされたのは、こうした余りに巨大な費用だった。ざっといって4.5兆ドルのアメリカ政府予算であっても10%から20%も雇用対策にもっていかれては、とてもじゃないが政治が成り立たない。だいたい、いまの経済制度でそんなことができるのか、という当然の疑問もでてきた(アメリカの動向については「いきなり社会主義ですか?;米国のマネをしても日本経済は救われない」を参照)。

もうひとつの大きな疑問は、この制度の導入は事実上の賃金値上げであって、そのことによってインフレーションの可能性が高まるだけでなく、生産性を下げてしまうのではないかという疑いである。これは、そのときの景気によって左右されるだろう。ちなみに、レイやケルトンは、レヴィ経済研究所のチェルネバによるシミュレーションにしたがって、最低賃金を時給15ドルにするのがよいと主張した。いっぽうM・ポールたちの考えでは11ドル80セントに押さえているが、仕組みや評価が違うせいで総額が逆転している(いちばん上の表参照)。

この仕組みを導入した結果として、政府の管轄下に入ってくる労働者1000万人あるいは1500万人という巨大な人員をちゃんと管理できるのかという問題も大きいものだった。この数字は、世界中のウォルマート職員の10倍に相当するそうで、細かく管理しようとすれば、おそらくそのための部署というのは、ひとつの政府ほどになってしまうだろう。

Tchernova 2018 より

また、そんなに公共セクターに労働力を回してしまったら、民間に労働力がなくなってしまうのではないかとの、かなり勘違いを含んだ批判もあった。少なくともMMTのジョブ・ギャランティでは、失業者を公務員にしてしまうのではなくて、「雇用プール」に吸収して最低賃金を払って待機させるわけで、職員にして抱え込むわけではない。しかし、景気動向によっては失業者の数が大きく変動するので(上から2番目のグラフ参照)、それに対応できるのかという問題はある。

これと似たような誤解に、最低賃金が時給15ドルと高めに設定しまうと、他のもっと低いところから労働者が殺到してしまって、この15ドルが守れなくなってしまうのじゃないかという疑問があったが、これは労働力のモビリティや可塑性(賃金が高いところに、仕事はなんでもいいから移動する、ということにはならない)を考慮していない説とされた。とはいえ、この最低賃金の設定は景気との関係もあり難しい課題だといえる。

最低賃金(雇用プールに入ればもらえる金額)が最初15ドルでも、やがて20ドルを要求するようになり、さらには25ドル……と際限がなくなってしまわないかという問題も論じられた。この問題は、L・R・レイも入門書で論じていたが、彼は労働者の判断力を考えれば、そういうことはないだろうと楽観的な結論を導いている。しかし、これが政党間のバラマキ競争になった場合には、とんでもない事態が生じないとも限らない。

(実は、論争に出てきた争点というのはこれだけではないが、ただ並べてみたところで、問題の核心に触れることはないので、このくらいにしておく。何か大事なものを書き忘れた気がするが、それはこれからでも補足していくことにしたい。)

いずれにせよ、昨年、アメリカでは一時的にこのジョブ・ギャランティ論争はかなりの盛り上がりを見せたが、実現は不可能と思う人が多くなったのか、このところあまり論じられなくなった。こうした事実も、日本のMMTの輸入元あたりは紹介しないので、いまだにレイの入門書などをみて「なんだ、GDPの1%なのか。簡単、簡単」などと思っているMMTの信奉者は多い。罪なことだと思う。

最後に、イギリスではブレグジット反対派の経済エリートが読む代表的雑誌とされる『ジ・エコノミスト』の当時のジョブ・ギャランティ論争に関する評をざっと訳しておくことにする(つまり、ブレグジット同情派は、多少、値引きをして読んでもかまわない)。

The Economist ; Make Work does’nt work より

「米民主党がいま(大恐慌期にあった)ジョブ・ギャランティを復活させたいとしているのは、どうにも奇妙な話なのである。なぜなら、FRBのエコノミストを含む経済学者たちは、いまや完全雇用を超えてしまっていると判断しているからだ。彼らの目からすれば、失業率(3.9%)は不自然なくらいに低く、もし政治家たちがさらに刺激策で維持しようとすれば、インフレが起こるだろうからである」(括弧内は東谷)

値引きしたとしても、これはむしろ日本経済にあてはまるコメントだろう。日本は失業率2.2%で、事実上の人手不足となり、出鱈目な移民政策で労働力を増加させようとしているくらいなのだ。そんなとき日本で、オーストラリアあたりから「MMTの名付け親」を呼んで、アメリカの社会主義者によるグリーン・ニューディールのお墨付きをもらおうとしている人たちがいるらしい。自分たちの景気刺激策を正当化するためだとしても、何ともご苦労な話というしかない。しかし、日本の場合は問題がもっと別のところにあると思うのだが。

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