フク兄さんとの哲学対話(9)エラスムスとルターの共闘と決裂

少し前に静岡県を訪れた。このときフク兄さんは付いて来ることになっていたが、仕事が入ったとかでドタキャンになった。今回はわたしの仕事場で対話をすることになったが、妙に静岡県にこだわるのは、そのせいだと思っていただきたい。例によって( )内はわたしの独白である。

フク兄さん 静岡県というのは、かなり広いんじゃよ。伊豆半島が静岡県だといわれて、あれ、そうだったのか、と思う者はけっこういる。わしは、静岡県が好きでのう。今回はまことに残念じゃった。とはいえ、まあ、弟も気がきかないわけではないから……。

わたし 前回、ちょっとだけ触れたけど、ヨーロッパの哲学史をなぞっていくには、やはりルネッサンスと宗教改革の時代を無視するわけにはいかない。むかしは思想史などの講義では、西洋近代の夜明けと称して、イタリア・ルネッサンスに登場した人文主義者ピコ・デラ・ミランドラの「人間は神にもなれるし、野獣にもなれる」という言葉を聞かされたものなんだ。

フク兄さん おお、それはよく分かるぞ。人間は立派なことを口ではいっていても、実際には残忍なことを平気でやりおる。ま、わしらからすれば常識じゃな。

わたし もちろん、そういう2面性もいっているわけだけれど、それまでの中世的拘束から解放されて、人間の可能性を大きく羽ばたかせるという意味だとされていた。でも、ルネッサンスというのは明るい側面ばかりじゃなかったんだ。有名なブルクハルトは『イタリアのルネッサンス文化』で人間中心の傲慢さが花開いた時代として捉えたわけだからね。それと、もうひとつ忘れてならないのは、このルネッサンスが宗教改革を促したということなんだ。

フク兄さん わからんのう。人間中心の傲慢さが、どうして神さまを信仰する宗教改革をうながすんじゃ?

わたし ルネッサンスでは、ギリシャ語やベブライ語の古典研究が盛んになった。これは新約・旧約聖書の研究のためだったのだけれど、ラテン語に翻訳されていた新約聖書を元のギリシャ語で読むだけでなく、古代ギリシャの哲学を読むという方向にも進む。古典を研究する人たちは、ラテン語の教養を意味するフマニタスからヒューマニスト、人文主義者と呼ばれるようになるんだね。

フク兄さん ヒューマニストといえば優しい人のことかと思うと、これが違うんじゃな。どうも、「わたしはヒューマニストだから」などという奴に限って根性が悪いのは、それと関係がありそうじゃな。

わたし 直接関係があるかはともかくとして、今日とりあげるエラスムスとルターのうち、エラスムスという人は「人文主義の王」とまでいわれた代表的ヒューマニストだった。

フク兄さん そのエラスムスさんは優しかったのかな、それとも根性が悪かったのか……。

わたし 結論を急がないで、まず、エラスムスの人生をたどってみよう。彼はロッテルダムで生まれた。父親は司祭で母親は医者の娘だったというのだけれど、当時の聖職者には結婚は許されていないから、当然、私生児ということになる。でも、彼は修道院系の学校に入れてもらって才能が認められ、修道士になってからも得意のラテン語を駆使して古典を読み漁ったらしい。パリに留学して頭角をあらわし、イギリスにいってイタリアで人文主義の学問を学んだコレットなどの刺激で、ギリシャ語も本格的にやり始めるんだ。

フク兄さん なるほど、お勉強好きじゃったんじゃな。ふむ、ふむ……

わたし イギリスでは後に『ユートピア』を書いたトマス・モアと知り合って仲良くなる。つまり、学友だね。パリにもどってからは著作を始めるんだが、これが人文主義にもとづく新しい神学をめざしたものといわれる。1504年に書いた『キリスト教徒必携』は、ギリシャ語の新約聖書を読むことで「聖書そのもの」に戻ること、儀式偏重をやめて「信仰そのもの」に戻ることなどが強調されていたんだ。

フク兄さん ふむ、ふむ。話もたけなわだが、ここらで静岡のことを思い出してくれんかのう。まさか、手ぶらで帰ってきたわけではないじゃろう。

わたし (ちぇ、せっかく調子がでてきたのに)そうそう、ちゃんとお土産があってね、ほらね、フク兄さんが好きそうな銘柄にしたんだよ。

フク兄さん おお、「花の舞」ではないか。浜松の銘酒じゃ。おっとととと、ぷふぁ~、これはなかなかじゃ。ふくらみがある酒じゃ。……せっかくだから、なにかツマミはないのかな。あ、今日は寒いから、湯豆腐なんかはどうじゃ。

わたし ええ? 湯豆腐。あ、ちょっと冷蔵庫を見てみよう、あ、昨日の味噌汁の残りがある。あ、もう一丁あるから、ま、温めてみるか。

フク兄さん あ、だし昆布をわすれんようにな。……おお、もうお湯が煮立ってきた。いい香りじゃ、ダシもとれたようじゃ。お、あふ、あふ、あふ、……これは花の舞にぴったりじゃのう(ああ、めんどくさいなあ)。

わたし それでエラスムスは堰き切ったように著作にはげむんだが、1509年に発表した『痴愚神礼讃』は、当時の教会や権力者たちをからかったユーモアに満ちた作品で、当時、発達した印刷術によって大部数が印刷されて、いまでいうベストセラーになった。とはいえ、これはラテン語で書かれていた。読者は、ある程度の教養層だったということ、にもかかわらず国境を超えてヨーロッパ中で読まれたということなんだ。

フク兄さん そんなにラテン語を読める人がいたのかのう。

わたし もちろん、庶民がラテン語を読めたわけではないから、聖職者や貴族など知識階級に限られていたんだろうけど、こうした一連の著作の成功によって、エラスムスはヨーロッパ中で知られるようになり、彼の発言や著作が常に注目されるようになった。そして、まさにエラスムスが人文主義者としての名声がピークに達しようとしたとき、ウィッテンベルグ大学のルターという神学者が、『95カ条の論題』といわれる、カトリック教会への抗議文を発表したんだ。

フク兄さん それは、あの免罪符とかいうのを、やめろというやつかな(え? 何で知っているんだろ)。

わたし そうそう、免罪符、贖宥状ともいうけど、これを買うと罪が許されるという名目で、カトリック教会が財閥のフッガー家と組んでドイツで庶民に売りつけていた。そんなものは、信仰とは関係ないじゃないかというのが、ルターの主張だったわけだけど、もちろん、当時のことだから、ちゃんと神学的に反論しているわけなんだ。

フク兄さん そのルターさんという坊さんは、どういう人だったのかのう。ヒューマニストだったのか? あ、ちょっと待って、もう少しお酒を注ぐから。

わたし ルターも当時の神学者としてラテン語、ギリシャ語、それに神学をしっかりと学んだ学者だった。とはいえ、ただの坊さん学者がカトリック教会にたてつくような発言をするわけないよね。肖像画が残っているけれど、強情そうな面構えをしていて、「信念の人」であることを示唆している。父親は農民から鉱山経営者に転じた立志伝中の人だったらしく、頭のいい次男のルターにも、俗世で成功してもらうのが願いだったらしい。

フク兄さん それはそうじゃな。それに、坊さんになってもカトリック教会にたてついたら、もう出世はできないじゃろ。え~と、ネギか何かないのかのう?(そんなもの、ないに決まっているじゃないか)

わたし エルフルト大学では法学部に入っているから、そのままいけば弁護士か何かになっていたんだろう。ところが、ある日、道を歩いているときに、ものすごい雷がなって、思わず、「聖アンナ様、お助けください。修道士になりますから」と叫んでしまう。我に返ってから、何ということを口にしてしまったのかと後悔したけれど、もう約束したことだからというので、本当に修道院に入ってしまった。このエピソードが示すように、決めてしまうともう絶対に変えない、ある意味で融通の利かないお坊さんだったんだね。

フク兄さん ………、あ、ちゃんと聞いておるぞ。ほら、冷蔵庫の中にあった、マイタケを鍋にいれたら、これもいい味じゃのう(勝手なこと、するなよ)。

わたし 当然のことながら、ルターはカトリック教会の弾圧にあうようになり、呼び出されてカトリックの神学者と論争をさせられるはめになった。論争といっても勝つ見込みはなくて、何か失言したら火炙りにされるかもしれない糾弾なわけだ。ルターはこうしたなかでエラスムスに援護を頼む手紙を書いて、連携して宗教改革を進めようとするんだけれど、エラスムスは動かない。エラスムスは『キリスト教徒必携』では宗教改革を唱え、ルターがカトリック教会を批判しはじめた最初のころは彼を擁護していたんだけれど、カトリック側の法王や有力諸国の国王たちから、ルターを批判してくれという要請が殺到していたんだ。

フク兄さん お、マイタケを口に含んで、花の舞を飲むと、香りが鼻腔にひろがって、なんともいえないぞ。……え、あ、ちゃんと聞いているから。

わたし エラスムスはカトリック派からはルター派と見なされ、ルター派からは裏切り者とされて、ついにはルターの主張にたいして反論を書いてしまう。エラスムスの批判は、ルターの思想のいちばん微妙なところを衝いたもので、『意志自由論』と呼ばれている。それによると、ルターは「キリスト教徒は神の恩寵にすがるべきであって、自分で判断するという意味での意志の自由は与えられていない」といっているが、それはおかしいとエラスムスはいうわけだ。これに対してルターは『意志不自由論』を書いて、エラスムスの自由論だけでなく、彼の優柔不断をも叩くという事態になってしまうんだね。

フク兄さん ………。あ、きいちょるぞ。頭のいい仲よしがこじれると悲惨なもんじゃな。

わたし エラスムスは人文主義者として、「神が人間に何の自由も与えていないとしたら、そもそも判断をする機会も与えるはずがないではないか。人間は自分で判断する力があるといえるのだ」と主張する。それに対して、ルターは「キリスト教徒はすべての上に立つ自由な君主である。そして同時に、キリスト教徒はすべてに奉仕する奴隷なのだ」と論じた。つまり、キリスト教徒は原罪から解放されることが自由であり、いったん自由になればすべてのものに奉仕するといういみで奴隷なわけだ。

フク兄さん ………。

わたし エラスムスはその後もヨーロッパの知識人の原型といわれて、その学識や文章の見事さを称えられ続けたけれど、現実の政治問題についてはぎりぎりのところで逃げてしまうという点でも、現代の知識人の先駆者なのだといわれることがある。いっぽう、ルターは宗教改革への強い姿勢は守ったかもしれないが、そこから人間の自由という問題には、本当は答えていないのではないかと思う人は少なくない。ルネッサンスの人文主義者と宗教改革の神学者が、同じく宗教改革を唱え、人間と神を宥和させるかに見えて、結局のところ対立を含んだまま、将来の課題として……あれ、フク兄さん、フク兄さん。

フク兄さん zzz、zzzz

わたし 豆腐とお酒を、お腹の中でしっかりと宥和させて、気持ちよさそうに寝ているなあ。

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