『Winny』は人生のドラマ;東出昌大という俳優の復活をみる

『Winny』(2023・松本優作監督)

  映画評論家・内海陽子

 今はやむなく愛用しているが、パソコンに慣れるまでに時間がかかったので、パソコンに熱中する人を見るのは好きではない。薄暗い部屋で目をギラギラさせてパソコンに向かっているオタクっぽい男にも好感を覚えないが、彼が体形を変えた東出昌大だとわかり、気を取り直して身を乗り出す。抱いた偏見というのは恐ろしいもので、どうも彼のやっていることはよくない行為に違いないとぼんやり思う。そうこうするうち、彼が演じる主人公、金子勇はあっさり逮捕されてしまう。

 逮捕されたとたん、金子勇は世間ずれしていない“いい人”だとわかる。わたしはよくわからないが「Winny」というソフトを開発した天才で、そのシステムが悪用されたことで大問題になり、ついに警察によって「著作権法違反幇助」の罪を着せられたのである。刑事(渡辺いっけい)に言われるとおりに調書を書き、検察官(渋川清彦)のたくらみにもまんまとのせられていく。素人目にも官憲は時代劇のワルたちのようで、とにかく金子勇をこのままにしておけない、なんとか救出しないと、という気持ちになってくる。

 その先鋒となるのが、サイバー犯罪に精通している弁護士・壇俊光(三浦貴大)。彼の熱意によって結成された弁護団は一丸となって裁判に立ち向かう。彼らは、世の荒波にもまれていない善良な男を守る騎士団のようで、仕掛けられた罠にどう対処すべきか、必死に考え、彼に対処法を叩き込んでいく。おずおずとそれらを飲み込んで、金子勇は決戦の場である第一審に臨むことになる。

 弁護団の一員になった辣腕弁護士・秋田真志(吹越満)が、作戦の打ち合わせ中に「裁判はラ~イブです」と粋な身のこなしを見せる。吹越満の独特の色気にうっとりしたわたしは、事件そのものへの興味より、裁判というエンターテインメントを楽しみたい無責任な野次馬と化していく。この映画には、そういう野次馬レベルの観客を丁寧にもてなす良さがある。つまり劇中の金子勇と彼の弁護団は、ライブを最高のものとして観客に提供すべく努力を惜しまないのである。

 この裁判と並行して描かれるのが某県警であらわになる不祥事で、警察組織の悪しき慣習に断固たる態度を貫く警官・仙波敏郎(吉岡秀隆)に焦点が当てられる。彼は窮地に追い込まれるが、その際、彼を応援するかのように「Winny」を活用したデータが世に流れる。このエピソードは、正義感に支えられた「Winny」のさっそうたる使い道という印象を与えるが、この類の話がもっと多く盛り込まれないと、開発者・金子勇に対する援護射撃にはならないような気がする。このあたり、実話の映画化の難しいところだろう。

 東出昌大とW主演ということになっているが、明らかにすぐれた助演の力を見せるのが壇俊光弁護士役の三浦貴大だ。東出昌大同様に、体形はもっさりしたものに変えているが、頭脳の働きは目覚ましく、アナクロな知識しか持たない他のベテラン弁護士にきびきびと指示を与えるなど、信念に支えられた熱い弁護活動を見せて、金子勇に対する観客の好意を醸成していく。裁判というエンターテインメントの名演出家といった役どころだ。

 その演出に応えるかのように、東出昌大演じる金子勇はときに嬉々として自分の研究内容について語り出す。その様子は、彼の天才ならでの純真さを周囲に強く印象づけ、裁判官や傍聴席の人々を煙に巻く、という予期せぬ効果を生むまでになる。つまるところ、第一審の判決は被告にとって残念なものになるが、弁護団ともども彼は存分に戦い、今後も戦う意思を曲げないということが鮮明にされる。

 最後にわずかに流れる金子勇本人の映像が、物語で描かれた以上に無防備なお人好しに見えるのは、すべて演者である東出昌大の仕事の成果である。彼が順風満帆の俳優人生を送っていたなら、まずこの役柄を演じることはなかっただろうし、演じたとしてもはまり役にはならなかっただろう。彼の実人生のくすみが、金子勇の無念をあぶり出したようなところがあり、そこにわたしは感動する。

 そして金子勇という無二の天才は志半ばで命が尽きてしまったが、彼は東出昌大という俳優に失地回復のチャンスを与えたことで、一種の復活を果たしたとも言える。世の中にはこういう不思議なめぐり合わせがある。映画がこのめぐり合わせを作ったのであり、観客はそれぞれに感慨を抱くはずだ。わたしはこのめぐり合わせに臨めて幸運である。

●3月10日より全国公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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