MMTの懐疑的入門(番外編)入門への入門

この「MMTの懐疑的入門」も、すでに10回を超えている。そうなると、書く方は前に述べたことを前提とする部分が増えてくるが、読む側からすれば「そんなことは忘れた」という部分が多くなってくる。また、ネット上の常として「たまたま読んでみた」という人もいるにちがいない。この「番外編」は、基本的なことを振り返るためのレファレンスだ。「早分かり」として読んでいただいてもかまわない(図版は必ずしも文章に対応していません)。

まず、MMT(現代貨幣理論)の背景を簡単に述べておこう。MMTはケインズ経済学、ポスト・ケインジアン、マルクス主義、現代会計学などを理論的源流としていて、アメリカで発達したいわゆる「主流派経済学」(新古典派、ニューケインジアン)とは接触をあまり持たずに独特の発達をとげた。そのため、発想、用語においてかなり違っている。とくに用語は同じ言葉でも違う意味をもつこともあるので注意が必要だ。

MMTの4つの特徴

MMTの主な主張としては、①現代の貨幣は国家発行貨幣であり、国家が独立国であれば、政府の判断でいくらでも発行できる。政府予算は国債や税金によらなくても立てられる。②したがって、財政赤字などは気にせずに、雇用や社会保障に予算を回すことができる。③とくに、非自発的雇用をなくすという意味での完全雇用政策(JG:ジョブ・ギャランティ)を行えば、失業者がいなくなるだけでなく、経済全体に安定が生まれる。④政府が貨幣の発行を続ければ、インフレを起こすことになるが、耐えられないレベルになったら、このときこそ税金でインフレを抑制することができる、というわけである。

MMTの理論的な柱は5本ないしは6本

①まず、あげなくてはならないのは自分たちの貨幣論を強調することである。「貨幣とは借金である」というものだが、それ自体は珍しい説でもなんでもない。MMTの場合はこの認識を彼らの考える経済政策の根拠とすることである。「貨幣は国家が発行している」というのも、いまの時点では当たり前のことだが、19世紀の国家主義的貨幣論や20世紀初頭の貨幣計算手段説、さらには古代メソポタミアまで遡って根拠をもとめている。こうしたこだわりが特徴といえるかもしれない。

②前出のJG(ジョブ・ギャランティ)を経済政策の中心に置くことである。この政策によってMMT理論家によれば「フィリップス曲線を消滅させる」つまり、インフレ率と失業率のトレードオフ(あるいは葛藤)を解決することができるという。

③いわゆる金融政策には依存せず、財政政策を中心に据えた議論を展開する。つまり、政府発行の貨幣あるいは国債発行による資金をつかって、JGを中心とした経済政策が出来ると論じる。これをアバ・ラーナーという経済学者の用語を用いて「機能的財政」と呼ぶ。

④政府と中央銀行は一体のものであるべきだという主張に基づき、中央銀行の準備預金口座を介した国債発行や民間銀行への資金注入について綿密な研究を続けてきた。この研究ではさかんに会計学を用いるので、MMTとは会計学なのかと思う人もいるほどである。

⑤金融システムは不安定で経済全体に悪影響を与えやすいという認識から、政府による財政の巨大化をむしろ積極的に推進しようとする。この考え方は、アメリカの異端の経済学者ハイマン・ミンスキーの思想に従ったもので、ミンスキーの「不安定な経済を安定化する」はMMTの標語のひとつである。

⑥国際金融システムは、ソブリン・ステイト(主権国家)どうしの変動為替相場制を基本として考える。つまり、それぞれの国家が独立していることを前提に、ソブリン・マネー(独立通貨)を発行して、国際金融市場を通じて生まれるそれぞれの貨幣交換レートによって貿易を行えばよいとする。このさい、「輸入は得、輸出は損」であると考える。なぜなら、輸入に用いる自国通貨はいくらでも発行できるが、国内に入って来る製品は他国の資源や労働力によって生み出されたものだからである。

MMTに関連した用語をいくつかならべる(増補予定)

ヴァーティカルマネーとホリゾンタルマネー  政府が政策目的で発行する貨幣あるいは中央銀行の名で発行され、政策的に民間部門に送り込まれる貨幣はすべてヴァーティカルマネーと呼ばれる。それに対して、民間部門の企業・企業・家計のなかを動きまわる貨幣はホリゾンタルマネーという。ヴァーティカルマネーは、主流派経済学でいうハイパワードマネーあるいはマネタリーベースと考えてよい。しかし、ホリゾンタルマネーは主流派のマネーサプライあるいはマネーストックとは異なる。繰り返しになるがホリゾンタルマネーとは民間部門(民間銀行、民間銀行、家計)のなかを巡りまわる貨幣(あるいは帳簿上の数値)のことで、その金融会計上の総計はゼロである。もちろん、これはすべての決済の日が同じだとすればゼロになるという意味で、ホリゾンタルマネーは動きまわって実体経済を膨らましたり縮めたりしている。

ヴァーティカルマネーと財政出動 MMTの入門者にはヴァーティカルマネーが投入されればマネーストックを増やすので、MMTのヴァーティカルマネーとマネタリベースとは違う概念ではないかという人がいる。結論からいうと、これは同じものであり、また、MMTでは分析用語としては出てこないが、マネーストックを増やすというのは正しい。なぜなら、たとえば国債を発行して政府が小切手で何らかのプロジェクトを推進すれば、小切手は民間企業に渡され、民間企業は取引のある民間銀行での預金にするか現金として引き出す。預金や現金は定義上マネーストックに含まれるから、当然、マネーストックは増加する。では、なぜマネタリーベースなのかといえば、民間銀行はこの小切手を日銀に持ち込み、日銀はその金額だけ政府の口座から民間銀行の当座預金口座に動かして初めて、この政策的貨幣供給プロセスが完了するからである。こうしたヴァーティカルマネーによる政策は、マネーストックを増やすから有効だというMMTのファンがいるが、それは昔からやってきた財政出動と同じことで、日本のMMTが違うのは、これが「原理上は無限に続けられる」と途方もないホラを吹くことだけである。MMTのまともな理論家なら、ここにはインフレと資源という制約があることを付け加えるはずであり、普通のセンスをもっている人なら、それをやるには「国民の信頼」が必要になるから原理上限界はある(つまり「無限の国民の信頼」なんてものはない)というだろう。

レバレッジ いまのMMTの文献にはあまり出てこないが、L・R・レイの初期の著作では、ヴァーティカルマネーをタネにして投機的な行為によって見掛け上の金額が膨らんでいくことを「レバレッジ」と述べたことがある。これはマネーストックがマネタリーベースによって拡大されているイメージと似ているが、レイがこれまで使った意味でのレバレッジは、まずヴァーティカルマネーが垂直に下りていくなかでの拡大と、さらにホリゾンタルマネーの増殖現象であって、すでに述べたように、このホリゾンタルマネーでの金融会計の総計はゼロである。これはフィナンシャル・アカウンティングではゼロだという意味であって、たとえば企業のバランスシートの資産側には不動産などの資産が増えている(逆に減っている)こともある。もちろん、MMTのレバレッジは投資理論でいう「てこ」のことでもない。この「てこ」は見せ金で投資金を募集して何倍にも増やして儲けることをいうので、混同しないようにしたい。

デフォルトと財政破綻 これらの言葉はいいかげんに使われるようになっており、特にMMTを論じるさいには注意が必要だ。もともとのデフォルトの意味(もちろん経済において)は、債券を発行して約束の期日までに元本および利子を払えなくなることだ。約束が守れなくなって返済スケジュールを変更することを「リスケジュール」というが、このリスケになってもデフォルトだと考えるのが普通である。1998年のロシア国債はちゃんとデフォルトして(ロシア政府がデフォルトを宣言して)リスケジュールを行ったが、ロシアが消滅したり政体がまた変わったりしなかったのでデフォルトではなかったなどという呆れた論者がいる。財政破綻のほうは最初から定義がはっきりしていない言葉だったので、現在は国家が存続していれば財政破綻していないことになり、まったく逆にインフレが3%くらいになっても破綻だという経済学者もいるので驚く。ちゃんと定義しているか、その定義がそれぞれの議論に有効かを見定める必要がある。

信用創造 これは大事な言葉だが、別に神秘的な言葉でも、MMTが発明した言葉でもない。民間銀行が保有する資金を超えた金額を企業や家計に貸し出せる仕組みのことで、したがって、こうした行為を行えるのは法律によって正式の銀行業のところに限定される。正式でない場合には「シャドウバンキング」と呼ばれて違法である。MMTに関するものを読むときに注意しなければならないのは、ホリゾンタルマネーが膨らんでいくときに信用創造という行為が何かすごい発見であるかのように書いてあるものもあるが、銀行業が生まれてこのかた、ずっとやってきたことで、MMTが新たに導入したり、ましてや創り出した経済学的概念ではないことだ。ただし、この信用創造を政府-中央銀行-民間銀行-企業-家計の貨幣の流れをひっくるめて説明するときには、そこに法律的あるいは経済的な限界があることを意識しなくてはならない。いくらでもお金が作れるという話に結びつける場合にはとくに注意が必要である。

統合政府 中央政府と中央銀行をいっしょにして「統合政府」と呼ぶ。実は、普通の経済学教科書でも2つを分けないでもよいときには政府あるいは政府部門にして説明しているので混乱してしまうのだが、MMTは2つをいっしょにして統合政府として捉えるのに積極的な意味を見出している。いまの先進諸国では中央政府と中央銀行は分離して、中央銀行には独立性があり、たとえば中央政府が直接国債を中央銀行に引き受けさせてはならないと法律で禁止するのが普通である。これは2度の世界大戦中にそうして、終戦後に戦勝国ですら高インフレが起ったからである。しかし、限定された金額であればそれはいまでも可能であり、それどころか中央銀行にある政府の口座を利用して、実は、直接引き受けに近いことをやらせている。そのことを強調して、MMTは統合政府であることを既成の事実だと主張する。しかし、そもそも中央銀行の独立性というのは、金融制度の安定や過剰な直接引き受けが生じないようにする、制度的フィクションであることを理解すれば、MMTの主張はかなり誇大なものであることが分かる。気づいている人もいると思うが、MMT理論家の多くは、統合政府による政府貨幣の発行を理論としては主張しても、実際に中央銀行を潰して政府の名前で新たに政府貨幣を発行しようとはしていない。それは、そんな必要がないからである。

ハイパーインフレ この言葉を使う論者のいかがわしさは、「では、そのハイパーインフレとは、どのように定義していますか」と聞けばすぐに露呈するだろう。こまったことに、ハイパーインフレを脅しに使う経済評論家も、ハイパーインフレなんて起こらないとうそぶくMMT論者も、いかがわしさは同じである。古典的な定義では「1カ月にインフレ率が50%を超える」ときにハイパーインフレーションというが、これを誠実に守る論者はいない。そもそも、ハイパーインフレーションをテーマに書いた専門家の論文でも、1兆倍にまで達したと思われるワイマール共和国のインフレも、300%くらいだったとされるポアンカレ内閣時代のフランスのインフレも同じように「ハイパー」と呼んでいる。しかし、MMTで議論すべきなのは、おそらくせいぜい年率十数%くらいのインフレであって、これでも十分に社会は混乱して1つや2つの政権がふっとぶ。数百%というのは戦争後に生じるものであり、現代でもジンバブエのように内戦状態だと1億倍という事態もある。しかし、ワイマールやジンバブエを例にあげて「すごいインフレが来る」と脅しているのも、「戦争とか内戦がなければハイパーにはならない」とうそぶいているMMTも、どのくらいのレベルのインフレが有効な議論になりうるのか提示していない。だから、両方とも「いかがわしい」のである。

MMTについてのおおざっぱな疑問点

①ここでは、前述したMMTの理論の柱にしたがって述べることにしよう。まず、「貨幣は借金である」「お金は国家が発行している」という議論だが、それがどうしたというのだろうか。借金あるいは負債として貨幣をとらえるのは古代からあり、したがって貨幣の本質は負債ということになって、だから現代の貨幣も負債なんだ……という論理構成は、誤った歴史主義である。ある時点に生じたことを「本質」だと捉えるのは、日本人の本質は織田信長だ、などといっているアホ歴史ファンと同じことだ。さらに、現代の貨幣はあきらかに負債であり、また、国家貨幣であることは間違いないが、そのことを唱えているMMTはだから「正しい」理論だというのにいたっては恥の上塗りであろう。ましてや、負債であるというのは国家が国民に「負っている」ということだから、貨幣は国民の奉仕に使わねばならないなどというのは、ほとんど幼児的イデオロギーにすぎない。わたしたちは現代の貨幣が成立するまでには多くの歴史的過程を踏んできたが、そこには血ぬられた歴史も含まれている。そうしたマイナスの面も含めて成立しているのが現代の貨幣システムなのだと捉えるべきであり、これからも(国家貨幣が暴走した歴史も含めて)多くの経験を振り返りながら、慎重に運用していくべきなのである。自分たちが勝手につくった「理論」とかに都合のよいように歴史を解釈するのは危険きわまりない。

②JG(ジョブ・ギャランティ)はELR(エンプロイヤー・オブ・ラスト・リゾート)ともいわれ、働きたいと思う人を政府が労働力プールをつくって仮り雇いする制度である。これもヒューマニズム的な発想からすると「うるわしい」と感じる人も多いかもしれないが、これで経済を安定させるというのは眉唾である。いったん、完全雇用を至上の目標にしてしまえば、物価が上がることも厭わないことになるわけだから、けっして失業率とインフレ率との葛藤を解消したわけではない。また、この制度は好況のときには安くすむが、不況のときには高くついて、実は、政治的にはきわめて不安定なものである。そもそも、かならず職があるという状態は、モラールの点からみてどうかという問題もある。しかも、こうした制度が注目されるのは、アメリカやヨーロッパであって、いまの2.4%の失業率で労働力不足に悩む日本で喫緊のテーマとは思えない。JGはMMTの最も太い柱だとされるが、なぜ、いまの日本で煽りに煽ってMMTを導入しなくてはならないのか不思議なくらいだ。単に消費増税を阻止したいだけなら、政治制度や経済制度を改造しないと実現しないMMTを、日本に無理に入れる必要も必然性もない。

③MMTはアバ・ラーナーの「機能的財政」をやたらと強調するが、完全雇用を前提として議論をしている段階で、すでに矛盾をきたしていることに気がついていない。アバ・ラーナーはケインズ経済学の左派とも言うべき存在で、ケインズは最後まで財政出動を恒常的に続けることは「社会主義へのイベント」だとして是認しなかったが、ラーナーはこれを恒常的な理論へと衣替えさせた。同時期の「アメリカのケインズ」といわれたアルビン・ハンセンの「補整的財政」は、必ずしも需要の不足をなくするまでやらなくとも経済安定に貢献するという主張だったが、ラーナーの場合には完全雇用まで財政を拡大していくという話である。そのさい、国内で国債を消化すればデフォルトは生じないと論じた。しかし、ラーナーはいまの日本のように、銀行という銀行に国債を詰め込んで、動きがとれなくなるような状態にすることを想定していたわけではなかった。わたしは、この状態をしばらく続けるしかないと考えているが、そもそもMMTの支持者が政権をとって完全雇用を制度化したならば、ラーナーの理論はお払い箱になるのである。

④統合政府については用語のところで述べたので、まだ足りない部分だけを付け加えることにする。MMTは政府と中央銀行の微妙で精妙な、当座預金口座をもちいた金融政策を、おそらくは最も情熱的に研究した経済学派だろう。しかし、その研究を読めば読むほど、これほどのシステムを壊して別のシステムに入れ替える必要はないと思えてくる。無理にやれば、かえって国民および経済にとって弊害が大きいだけだろう。MMTが完全に失敗だったとするEUの金融と財政の分離、ヨーロッパ中央銀行と各国の政府との分離についても、それぞれの国のナショナル・バンクが立ちまわって、なんとか調整をしているというMMTシンパ経済学者の研究すらある。もちろん、これはMMT内の主流からは激しく叩かれたが(なんだか異端審問みたいだった)、問題は金融危機における速攻性の欠落であって、清算や決済の問題ではなかった。もちろん、リーマン・ショックなみの不況に備えなければならないのは、安倍首相の日本だけではないから、このままでよいわけではないが、政府と中央銀行の(制度上のフィクション的な)分離がそれほど決定的に災厄を招くかといえばそうでもない。だからこそ、いまMMTは統合政府を本気になって主張しないのである。

⑤ミンスキーは金融危機が生じるたびに脚光をあび、しばらくすると忘れられるといわれる。しかし、自分たちの学問的始祖のひとりであるハイマン・ミンスキーに対して、MMTの敬意は大きい。それだけでなく、ミンスキーが展開した巨大化する金融機関への懸念は、いまこそ注目されるべきである。ただし、その金融機関に対抗するために政府の財政を巨大にしていけばいいかといえば、それはかなり違うのではないだろうか。ミンスキーは生前、いくつもの制度改革案を発表したが、それには「いまの体制を前提として」と付けてあった。本当はある種の社会主義が理想だったのかもしれない。金融機関の巨大化は政治的に本気になって対決するしかないが、政府の財務官僚組織を巨大化したら、また別の弊害が生まれるのは火を見るより明らかだ。「いまの体制を前提として」対策を考えたほうが現実的であるし、弊害も少ない。

⑥おそらく、MMTにおいてもっとも脆弱なのが国際金融システム論ではないかと思われる。それは「である」ということと「であるべきだ」ということを混同しているからである。MMTの理論家たちは、研究に自信のある銀行システムを論じるさいには「ディスクリプティブ」つまり記述的であって、理念的に論じているのではないという。ところが、国際金融システムを論じる段になると、もうほとんど子供のような夢想を始める。それぞれの国家が主権をもっていて、主権貨幣(ソブリン・マネー)を発行し、国家間の貨幣レートは変動相場制に委ねれば、たとえ途上国であってもMMTによる経済政策が可能だなどという。巨大な国家、たとえばアメリカは、こうした規範的な国際金融システムを自国に都合のいいように変更し、裏に回って叩き潰し、何食わぬ顔でなでつけてきた。また、歴史をみても、そしていまもなお、ヨーロッパの経済的に有力な国々は、規範的な国際金融ルールを曲げながら自国の存在感を高めてきたというのが現実である。ほんの少し前まで、世界を弱肉強食のグローバリズムが横行する空間と論じていた日本の論者が、MMTを称揚するようになったら、MMT式の素朴な理念主義者になっているのは驚くしかない。

こうして述べてくれば、MMTというのは皮肉なことに中央銀行システム研究では見るべき成果を上げた学派だが、現実問題としての産業の活性化とか人材の育成とかの問題には、ほとんど関心のない経済学だとわかる。それは現代貨幣理論なのだから当然だろうというかもしれないが、このMMTが唯一政策らしい政策を提言しているのはJGによる完全雇用だけであり、これはすでに述べたようにインフレを起こすこと、また、政治的には激しい摩擦を起こすことを、ほぼ運命づけられている。

この種の経済理論を、労働市場が過熱している日本にもってきたいと思う人たちの気が知れないというのが、わたしの素直な感想である。そしてまた、日本はデフレなのだから、財政出動を続けても大丈夫だと日本のMMT派はいうが、すでに1%弱のインフレを継続して、しかも、統計的に問題もあるが需給ギャップがなくなっている国でやる意味があるのかも大いに疑問である。おそらく、本当にMMTが日本に適用されれば、インフレ加速の足はけっこう速いのではないかと思われる。

このインフレとは、もちろんいかがわしいハイパーインフレなどではなく、十数%に達するような類のもので、十分その危険性はあると思われる。単に消費税増税に反対して、財政緊縮を避けたいというのであれば、有害でよけいなおまけがたくさんついているMMTなどを導入する必要はなく、もうすこし慎重な世論形成をこころがければいいだけのことである。目的のためなら手段を選ばない、感情に訴えても目的を達したいというのなら、やめておくべきだろう。

興味深いのは先日来日したステファニー・ケルトンで、比較的プロが多いところでは、MMTは規範的な役割をはたすという発言もあったとのことである。アメリカのMMT内部には経済研究を地道にやろうというディスクリプティブ派と、理論をもとにして規範的な政治的主張を強めようとするノーマティブ派があるといわれているが、ケルトンはやはりノーマテイブ派なのかもしれない。そのケルトンにしても、インフレが起ったとき税金でとめられるかと質問されたとき、綿密な状況の調査とインフレ部門の識別が必要だと答えていた。単に「インフレが起ったら増税でとまる」「前もって何%のインフレで増税をすると決めておく」などと主張している日本のMMT派にくらべて、はるかに実際的で真剣であるように思われた。

以上、かなり荒っぽく書いたが、「MMTの懐疑的入門の入門」ということで読んでいただければ幸いである。まだ連載は続くので、なるだけ以前に掲載したものを参照していただければと思う。もっとジャーナリスティックなものはHatsugenTodayで何本か書いているので、こちらも読んでいただければ、ややお堅い書き方の連載も分かりやすくなると思う。新しい経済理論という触れ込みで日本に入ってきたものには、まず、眉に唾したほうがいいというのは、この30年ほどのわたしの経験からの実感であり、さらには、それ以前にも多くの歴史的な眉唾理論があった。経済理論は信仰の対象ではない。信仰を求めるなら別のものを探すべきである。もし、理解したいと思うなら、自分の頭でゆっくり(ゆっくりでいい)受け止め、納得できるか否かじっくり考えてみることが大事だろう。

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