MMTの懐疑的入門(8)蝶番としての雇用保障制度

 今回は、MMTの理論家たちが主張しているJG(ジョブ・ギャランティ)制度について、もう少し詳しく述べておくことにしよう。前回、すでに簡単に触れたように、このJGはインフレを抑制できることになっている。

 MMTの考え方で財政と金融を管理していったとき、制約となるのはインフレと資源であることはすでに述べたが、完全雇用を達成するために統合政府の支出をコントロールしていくことが目的のひとつであるMMTにとって、インフレが鬼門となる。したがって、このJGこそがMMTの「肝」というべきものなのである。

 その前に、雇用とインフレとの関係について、これまで経済学がどのように捉えてきたか、簡単に復習しておく必要がある。戦前はおくとして、戦後、アメリカを中心に普及をみた米版ケインズ経済学においては、フィリップス曲線が採用された。

 この曲線は英国の経済学者であるA・W・フィリップスが1958年に発表したもので、横軸に失業率をとり、縦軸にインフレ率をとると、右下がりの曲線が描かれることになる。つまり、失業率を下げようとして経済を刺激して加速するとインフレ率が上がり、インフレ率を下げようとすると失業率が上がるのである。
 そこで、1960年代に米経済学界を代表するポール・サミュエルソンは雇用とインフレとの間には「トレード・オフ」の関係があり、それは政権の選択の問題だと述べた。これは本来、非自発的失業をなくすとしていたケインジアンからすると裏切りのように思えたので、ある日本のケインジアンなどは「サミュエルソンは議論のハイジャックをしてしまった」と嘆いた。つまり、フィリップス曲線を使っていらぬ妥協をしたというわけである。

 しかし、仲間内で論争をしているうちはよかったが、60年代後半にはミルトン・フリードマンがこの「トレード・オフ」であるという主張自体に疑問を呈し始めた。70年代になるとフィリップス曲線がサミュエルソンたちの予想を裏切って回転するようになり、まったく「トレード・オフ」を示さなくなったので、フリードマンは自信をもって「自然失業率」があると主張するようになった。

 この自然失業率というのは、経済の仕組みや構造から生まれるものであって、それ以下にまで下げようと経済を加速するとインフレが起るというわけである。その後、ニュー・ケインジアンたちが、インフレを引き起こさない失業率(NAIRU)という概念を提示して、短期的にはトレード・オフが成立するが、長期的には経済を加速させるとNAIRUに突き当ると論じるようになった。このNAIRUによるフィリップス曲線は垂直であり、ポール・クルーグマンは教科書のなかで、NAIRUと自然失業率は同じものだと認めている。

 このように、ニュー・ケインジアンたちも、短期では失業率とインフレ率はトレード・オフの関係があり、長期では自然失業率に突き当るという、いわゆる「古典派の二分法」を認めるようになっていたわけだが、MMTはこうした考え方にも真っ向から反旗を翻した。

 MMT理論家によれば、まず、短期と長期による二分法を拒否して、その中間的なフィリップス曲線が成り立つという。また、このフィリップス曲線をなく(エリミネイト)することができると主張するようになった。今回、注目しておきたいのは後者のほうで、いったいいかなる方法でフィリップス曲線を抹殺するのだろうか。

 ここらへんは、ビル・ミッチェルがMMTの論文集『政府支出』(右の図版:作成がまだなので、とりあえず写真で表示:3種類のフィリップス曲線)に書いているので、それを見ていくことにしよう。彼らが提示しているのが、いうまでもなくJG(ジョブ・ギャランティ)制度である。これも細かいことを言い出すと長くなるので、かなりはしょることになるが、ともかく、MMT理論家たちは雇用と失業を細かくわけ(下の写真:同じく『政府支出』より)、ケインズの『一般理論』で論じられたたような非自発的失業者を抹殺すべく構想している。

 まず、非自発的失業者は政府がつくった「雇用者プール」(JGE:ジョブ・ギャランティ・エンプロイメント)のなかに入ることになる。JGEの人たちは最低賃金を保障されて政府から仕事をもらうことができる。この雇用プールには、たとえば技術力があっても満足できない職しかないような失業者も当面属すことができる。

 次に、政府が注意を払うのはBER(バッファ・エンプロイメント・レシオ:緩衝雇用率)の数値である。BER=JGE/E(JGE=プール雇用者数、E=総雇用者数)で示される数値は、経済が加速すれば下降し減速すれば上昇する。この数値を観察するとともに、民間の雇用動向にも気配りするのが政府の仕事となるわけである。

 そこで、民間部門に賃金上昇への圧力が生まれたと思われたときには、金融および財政でのてこ入れ政策を少しばかり抑制する。その抑制の結果として、民間部門の労働力がJGEにトランス(移動)されるというのだが、要するに、緊縮された結果として雇用を失った労働者が、政府の雇用者プールに入って来るというわけである。ミッチェルは述べている。

「定義上、失業者は労働市場価格をもっていない。というのは、彼らの労働への需要が存在しないからである」
 それはそうだろう、失業者(正確には非自発的失業者)はすべて雇用者プールのなかに繰り入れられているわけで、そもそも失業者は存在しないことになるわけだから。

 しかし、これが本当に実現するかといえば、多くの障害が予想されるだろう。まず、財界はこうした失業者ゼロの状態を喜ばないだろうし、たとえば、人材産業は自分たちの仕事をかなり取られてしまう。さらに、組織率が著しく低くなったアメリカの労働者が、こうした制度を望むかどうかすら不明なのだ。結局、かなりの独裁的政府が必要になる。

 とはいえ、このJGがMMTの主張する新しい財政・金融制度にとって、きわめて重要であり、さらにいえば、この制度がなければ彼らのいう財政・金融制度が成り立たないといってもよい。JGはMMTの蝶番のような機能を果たしており、わたくしが「MMTは欧米の高い失業率を背景に注目されるようになった」と述べていることも、けっして誇張ではなく、充分に納得いただけるのではないかと思う。

 この制度が成り立つか否かは、もう一度、回を改めて細かく検討することにして、気になるのは日本のMMT派の主張である。彼らはさすがに失業率2.4%の下で、「フィリップス曲線をなくしてみせます」ということは避けている。しかし、それでは彼らの「蝶番」になるのは何なのだろうか。

 先走っていえば、完全雇用はMMT理論家たちが思うほど安定した蝶番とは成りえないと思うが、その上限は急速な移民政策でも再開しなければ間違いなく存在しており、それがインフレを抑制すると考えることは論理的にはそこそこ可能だ。しかし、たとえばこの完全雇用の代わりに「災害対策」とか「日本の防衛」を据えたとき、果たして蝶番の機能を果たすだろうか。わたくしには、かなり疑問に思われるのである。

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