ウクライナ戦争と経済(18)すでにスタグフレーション下でのビジネスが論じられている

この間まで、日本経済が2%のインフレを達成できないので批判されていた日銀総裁が、「家計がインフレを受け入れつつある」と言っただけで炎上した。たしかに玉ねぎなどは100%を超える上昇率だが、全体でみれば欧米に比べまだまだ日本のインフレは低いのに、マスコミは「インフレは庶民の敵」という70年代のフレーズに回帰している。しかし、まだ回帰していないのがインフレに向かうなかで行なうべき政策の変更である。

インフレターゲット論もMMTもインフレは怖くないと、あれほど言っていたのに、日本のマスコミには、まるで学習効果がなかったようだ。ただし、インフレが怖くないのは給料も同じペースで上がってくれて、景気も回復すればのことで、そうでなかったから1970年代の先進国は必死にインフレと戦い、経済学の主流も変わったのである。8%台程度のインフレでも、すでに不況をともなうスタグフレーションが懸念され、アメリカでは経営者たちの中にも迷う者が増え、経済誌はそのためのノウハウを掲載し始めている。

重々しく理論的に説明しようとしているのは、いつものように英経済誌ジ・エコノミストで、同誌6月8日号に「スタグフレーションの時代のビジネスはどうすべきか」を掲載している。「いまのアメリカのCEOの平均年齢は58歳で、ポール・ボルカーがFRB議長に就任した1979年には、彼らはまだ大学にも入っていなかった」。インフレファイターと呼ばれることになるボルカーが、景気後退をものともせず、インフレ撃退に乗り出した当時の経営環境は、分からないだろうというわけだ。

「インフレはいましばらくは居座りそうである。6月7日に世界銀行は『数年の間はこれまでの平均以上のインフレになり、そして、平均以下の経済成長が続きそうだ』と述べている。また、元財務相長官ラリー・サマーズたちがいまのインフレは1980年のときとほとんど同じ高さに達していると指摘している。かつての『スタグフレーション』は、すでにいまここにあるというわけだ」。

問題なのは経営者たちで、自分は金融危機も切り抜け、コロナ・パンデミックも乗り越えたと自信をもってしまっている人もいる。ウクライナ戦争によるインフレも同じだと思っているようなのだ。しかし、今度のスタグフレーションは、ちょっと別の道具建てが必要だから、いまから指南しようということらしい。いまのインフレは新しい環境を生み出しているが、切り抜けるための理屈はそれほど難しいものではない。「この環境のなかで投資家が納得する価値を生み出すには、現実問題として、キャッシュフローを増やしてみせなくてはならない。そのためには、売上額を落とさずに、浪費を抑えて、コスト増加は消費者に転嫁するという、組み合わせが必要だということだ」。

経営というものは「いうは易く、行うは難し」であって、もうすでにこの簡単そうに見える理屈が、実践できない企業がいくつも出ている。たとえば、少し前に急激な株価下落に見舞われた流通企業で、ウォルマート社は在庫を増やしてしまい、5月中ごろには市場価値の5分の1に相当する約800億ドルを失ってしまった。また、同じく流通のターゲット社も、在庫を一掃しようとディスカウントを断行して、利益率が5.3%から2%にまで下落している。

では、この時期にうまく切り抜けている企業はあるのだろうか。同誌が取り上げているのが、まず、イーロン・マスクのテスラで、コストを大胆にカットするため10%の人員削減を実行した。また、株価が急伸してきたデジタル産業では、5月だけで1万7000人が解雇された。ブランドに自信のある企業の場合には、価格は維持あるいは値上げをして、消費者に転嫁することで乗り切るところもある。たとえば、スターバックスはコーヒー関連商品の価格をあげても、これまでの経営を維持することができているという。

しかし、こうした対処法で、これから数年間続くスタグフレーションを、株価を維持できるような数値を上げながら、経営を維持していけるだろうか。実は、雇用者の削減や価格転嫁という方法に、多くの企業が傾斜したとすれば、それがますますスタグフレーションを加速することになり、全体のパフォーマンスを悪化させるのは火を見るよりも明らかだろう。この記事の締めくくりが「バフェットに聞け」というのも情けない。

「バフェットに聞け。彼は1980年に彼の会社の出資者たちに送った手紙のなかで、『投資資本を増加させることなく、価格上昇のレベルと比較して利益が上昇していなくてはならない。そうでなければ、その企業は投資家から集めた資本を損壊していることになる』と書いていた。2023年に投資家たちに送る、同じメッセージの手紙が必要なのだ」

もちろん、同誌は分かっているだろうが、同じスタグフレーションといっても、1970年代といまのそれとでは、経営環境も異なれば、同じような手法では切り抜けられない。だから、2023年版が必要だといっているのだろう。同じなのは、あるいは似ているのは、経営に使われている用語だけであり、経営上の法律の制限も、その数値の評価法すらも大きく変わっている。経営者たちに重力のようにかかってくる諸制約は、似ているようでいて、実は、大きな違いがある。

日本の中央銀行総裁においても、実は、もう「インフレ2%」という重力の意味が、クルーグマンが理論を唱えた1998年や、日本がインフレターゲット政策に踏み切った2013年とは、まったく違ってしまっていることを知らないわけがない。本来ならば、「家計が受け入れ始めた」と認識した時点で、政策は大きく変わっていなければならない。

批判されるべきは「十年一日のごとく」まったく同じ発想をしていることで、「インフレは庶民の敵」だからではない。インフレは庶民の敵にもなり、味方になることもある。それは状況にもよるし、庶民の年齢によっても異なる。しかし、多くの論者が指摘するように、黒田総裁は来年4月に退任するまで、いまの路線を変えないそうである。この人物はおそらく、ずっと無重力のなかに生きてきたのだろう。あるいは、この人物の隠れた任務は、ひたすら国債の利回りを上げないこと、だったのではないだろうか。

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