ウクライナ戦争と経済(19)米国インフレ8.6%に対してクルーグマンはどう考えるか

アメリカの5月のインフレ率は8.6%に達し、FRBが金利を上げることは確実になった。このインフレは継続するという論者と、あくまで一時的なものだとする論者の論争があったが、アメリカ国内の問題だけでなく、ウクライナ戦争が始まったことで議論は難しいものになった。人気経済学者ポール・クルーグマンは一時的派だったが、いまのFRBをおおむね是認するようになっている。もちろん、そこには彼一流の理屈がある。

クルーグマンがニューヨークタイムズ電子版に連載している人気コラム6月10日付「ちょっとオタク的に論じれば:どうして金融政策はこんなに難しくなったのか」は、その理屈を述べてくれるものかと思ったら、「今回はFRBや欧州中銀(ECB)が何をすればよいかについては述べない」で始まる。もちろん、これは彼一流のレトリックというべきもので、ちゃんと述べている。

そのレトリックを楽しんでもよいのだが、それはクルーグマン・オタクにお任せして、その結論部分から先に述べてしまえば、FRBはいまの方針でいいが、ECBはちょっと過剰反応だということである。なぜか。これも結論からいってしまえば、アメリカのインフレは食料やエネルギーを除外した数値でも立派にインフレだが、ヨーロッパの場合はウクライナ戦争の影響があまりに大きく、食料やエネルギーの問題を金融政策では解決できないからということになる。

アメリカについても、彼に言わせれば「これくらいのインフレは初めての経験ではない」。それは図版を見ればわかるように(左図)、2008年ころにもあったことで、もう少し低いインフレなら2011年ころにも経験している。では、いまのFRBは何が問題かといえば、自分たちが決断を下すための条件を、自分たちにとって楽なように設定しているということだという。つまり、ちょっとでもインフレの兆候が見えると、緩和をやめて金利を上げるという発想が、生まれやすくなっているというわけである。

それは、失業率とFRBが推計しているNAIRU(インフレを起こさない失業率)との関係をグラフにしてみれば明らかだという。このグラフを見れば、ほとんどインフレが気にならない状態だった2016年ころには、すでにFRBのNAIRUは失業率とクロスしてしまい、その後は失業率がNAIRUより低い状態が続いている。これは何を意味するかといえば、本当はまだアメリカ経済はGDPを上昇させて、その結果として失業者に職を与えられたのに、それをやっていなかったということになる。

実は、こういう議論は、クルーグマンの場合、1980年代からずっと一貫していて、当時のボルカーFRB議長のインフレ退治には反対だった。1990年に刊行した『期待逓減の時代』という奇妙なタイトルがついた本のなかで、「英雄視されているボルカーは実は可能だった経済成長を抑え込んで失業を増やした」と論じて物議をかもしている。ここらへんは、MMT派が「現代国家は、本当は失業をゼロにできるのに、そうしないのは責任を果たしていない」と批判するのと似ていて、クルーグマンがMMT派とちょっとオタク的な論争をしたのも、自分と共通点があると思ったからであることは繰り返し指摘されてきた。

それはともかく、今回もクルーグマンは、8.6%のインフレはちょっと高いが、いまだFRBがインフレターゲットを2%において論じていることにいら立っているというのが本当のところだろう。それが証拠には、同じ連載コラム6月3日付では「ちょっとオタク的に論じれば:インフレはどこまで低くすべきなのか」で、やっぱり4%くらいがいいのではないのかと述べていることからも分かる。これは1998年のインフレターゲット論「イッツ・バ~~~~ク」でもインフレ目標値は4%としたこととつながっている。

「ともかく、わたしが言いたいのは、一般的にいって、中央銀行は常に難しい判断に直面している現実を、みんなもっと知るべきだということだ。FRBやECBが多少停滞気味の経済を相手にしているなら、もう少し楽かもしれない。しかし、自分たちが心地よい仕事をしたいだけのために、大らかな基準を設定するのは、正しい政策目標とはいえない」

誰かのように40%のインフレでも世界は大丈夫と言っているわけではないが、ポール・ボルカーのインフレ抑制を批判したクルーグマンであればこそ、ウクライナ戦争が始まる前まで、バイデンの財政出動を支持し、その結果生じているインフレも一時的と見なすことができたのだろう。そしていま、8.6%のインフレが起こっても、基本となっているインフレターゲット2%が、やっぱり低すぎると論じているわけである。

しかし、インフレが昂進する時期には、たいがい戦争が起こっている。それどころか、世界中を見渡せば必ずどこかで戦いが進行している。クルーグマンは失業率とUAIRUとの比較から、FRBが「自分たちが楽をしたいため」と批判しているが、平時に割り出した数値を絶対のものにしてしまって、戦時に判断のスラック(余裕)がなくなれば、政策決定にさいして計算不可能な「不確実性」からくるストレスが大きくなる。政策決定のスラックをどれくらいにするかという点について、クルーグマンはあまりに平時の経済中心だといわざるを得ないだろう。

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