ウクライナ戦争と経済(31)ついに日本を食料危機が襲う?

いよいよ10月から日本では値上げの嵐が始まる。それはウクライナ戦争の影響や円安の結果にとどまらない。これまでの農業と食料にかんする政策の根本が、破綻することでもあるのだ。必要なものは安いところからいくらでも買ってこられる。この素朴グローバリズムは、いまのような危機の時代にはただの妄想と化すことになる。

すでに物価高が始まっていて、しかも、ウクライナ戦争も円安も長期化しそうなのに、日本人はいまもどこか呑気に構えている。その代わりというわけではないだろうが、英経済紙フィナンシャルタイムズ9月8日付が「日本は自分に食わせることができるのか」という長い記事を掲載し、日本がいかに能天気に食料問題と農業問題を考えてきたかを、あれこれ指摘している。

読んでみると、登場するコメンテイターの多くが、農業問題や食糧問題でお馴染みの日本人評論家なので、それほど新味のあるものにはなっていない。しかし、ウクライナ戦争や円安といった新しい条件を加えてのコメントもあって、いま日本が置かれている状況を再確認するには、ざっと見ておいても無駄ではないだろう。以下は、前出記事の紹介とそれにかんする私の感想である。

先に結論から言ってしまうと、「日本は高いクオリティをもつ、自前の生産物に低い依存率のフード・システムを作りあげ、これはグローバリズム繁栄の象徴のようなものだった。しかし、いまやグローバリズム崩壊の象徴となりつつある」ということである。グローバル経済を十分に使って、必要なものを必要なだけもってくる食料システムを作ったからこそ、逆に国際環境と経済環境の変化には弱いわけで、インフレと食料危機をうまく回避できないということだ(以下のグラフと写真はすべて同記事より)。

しかし、注意深く見てみれば、いまのような事態になる以前に、すでに日本の食料市場は48%もの価格上昇を、あたかも無かったかのように、巧妙に吸収してきていたことが分かる。それは、評判の悪い輸入食料品の価格維持制度を含め、まさに日本の食料システムが可能にした、おどろくべきマジックといってよかった。「しかしながら、いまや世界的な価格上昇分を、日本の消費者に転嫁しないかぎり、食料市場のビジネスは立ち行かないところまで来てしまった」。

このうえさらに、台湾海峡で台北と北京との戦いが開始されたら、食料市場への衝撃はきわめて大きいものになる。「緊急の農業改革でも行わないかぎり、洗練された最先端の日本の食生活は、1940年代のご飯とサツマイモだけのわびしいものに戻ってしまうだろう」というわけで、ともかく日本の食料システムは終わりだと同紙は言いたいらしい。しかし、もうすでに指摘されてきたことばかりだから、いまさら驚くには値しない。

まず、何といっても、いまのような状況においては、食料自給率が38%しかないというのは、「脆弱にもほどがある」ということである。しかも、個々の農産物を見ていけば、小麦などは83%が輸入、大豆も78%、食用油も97%が海外から買っているわけで、もう食料安全保障なんかは、ここで指摘される以前に、政治家たちの頭から消え去っていたわけである。

この自給率の低さを指摘して、何とかしたいといった日本の政治家もいたことはいた。しかし、私の記憶によれば、「日本の自給率は意味のないカロリー計算であって、日本は農産物の生産額で見れば世界で5位の農業大国だ」とぶち上げた本が出版されると、それだけで世界に勝ったような気持ちになった読者が大勢でてきた。自給率をカロリーで計算するのは、孤立したときどれほどの戦略的時間があるのかを計算できるからなのだが、そんな議論は「時代遅れ」「世界の非常識」としてどこかに捨てられてしまった。

ウクライナ戦争が始まって、小麦が高騰したのは予想できたが、意外に思われたのが肥料の高騰だった。肥料の原料となるカリウム、リン、窒素の3つは、私も中学校で習ってはいたが、漠然とどこにでもあると思い込んでいた。しかし、それは化合物のかたちで製造国から輸入するもので、世界一の輸出国は誰あろう、プーチンのロシアだった。これで世界に大きな影響がでないわけがなく、日本もモロッコやカナダに新しい輸入先を求めたが、これだけではカバーできていないようだ。

そうした海外からの購入が不可能になっていったとき、問題なのは国内でどこまで生産できるかである。しかし、それこそが自給率38%国家の欠陥が露呈するときといってよい。代替しようにもその労働力が少なすぎるのだ。これには多くの問題が複雑にからまっているが、同紙は若い人たちが農業に参入しないと指摘するいっぽうで、すでに農業従事者の平均年齢が68歳を超えてしまっていることをあげている。

なぜ若い人たちが参入しないかといえば、それは農業の生産性が低いからで、日本全国平均の1農家あたりの耕地は3.1ヘクタールにすぎない。(私はそれだけではないと思うが、とりあえず話を進めよう)北海道などは30ヘクタールに達しているので、耕地面積を上げることが重要だが、制度的な問題が多いために進んでいないという。元モルガンスタンレーのロバート・フェルドマンは、唯一の外国人コメンテーターとして登場していて、「農業改革は進んでいるが、日本の食料サプライチェーンを強靭な存続可能なものにするには、かなり大きな危機がないと進展しないだろう」と語っている。激しいショックが必要だというわけである。

モルガンスタンレーの分析によれば、日本人は1人当り1年で、1962年には118キロのコメを食べていたが、それがいまでは53.5キロにまで減っている。1日1人当りのカロリーを、日本人はコメによって519キロカロリーを摂取し、さらに小麦から324キロカロリー摂っている勘定になる。ということは、たとえば大きな危機が日本を襲い、小麦が入ってこなくなったとき、はたしてコメで代替できるかといえば同紙はとても無理だという。

コメでカロリーを確保しようとすれば、コメの生産量を62%上昇させなくてはならないが、そのためには水田を拡大するか、あるいは同じ面積の水田の生産性を上げるしかない。水田を増加させるには90万ヘクタールの水田を新たに増設することになるが、これはまったく不可能で、たとえば政府が2020年に復活させようとしていた水田の面積は、わずか9万ヘクタールにすぎない。同じ面積で62%もの増収を得ようとするのは、ある試算によると、毎年着実に生産性を向上させていっても、なんと262年かかるという。

こうした試算はやや不自然なものだが、いまの日本の農業がいかに厳しい状況にあるかを示唆しているとはいえる。最も肝心で困難なのは、農業従事人口の維持であるといってよい。しばしば、経済評論家などが「若い人たちにとって、農業が魅力あるものにすれば希望はある」などというが、農業人口の減っていく速度が毎年10万単位で、新規に積極的に農業に参入するのが千人単位なのだから、ちょっとくらい明るい話題があったからといって、すぐに増えるとは思えない。そもそも、これまで農業従事者の団体を、まるで悪の巣窟のように批判しておいて、こんどは農業が魅力ある仕事だと口でいっても、若い人たちの農業観がポジティブに変わるわけがないのだ。収入だけではない、仕事に誇りが必要なのはいまも同じだと思う。

もちろん、この記事が示唆するように危機にあることは確かでも、今日明日中に日本の農業が崩壊するわけではない。しかし、中長期的にみればいまの状況は最悪といってもよい。私が感じている最もひどいものは、農家が政府に補助金を受けていることが、諸悪の根源であるかのようにいう論者たちである。現代の資本主義で農業の生産性は相対的に製造業より低くなるのが普通であり、農業に何らかの形で補助金あるいは保障を与えるのが悪いならば、すべての先進国の農業政策は悪行であり、農業は成立しないことになる。まず、そうした誤った認識から変えねばならないので、道は険しいというしかない。

この記事の最後では、以前より日本の農業と食料が危機にあると指摘してきた日本の食料問題専門家が、無念の思いを込めながら、次のように締めくくっている。「農産物を安易に海外に求める傾向は、改めなければならないといわれてきた。すでに、それは限界にきているという兆候すらあった。にもかかわらず、日本人は一時的な現象にすぎないと思いたがっていたのだ。いまになって、それを改めようとしても、もうすでに手遅れだろう」

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