楽しく読む7冊の憲法論

 何年か前に、ある雑誌に憲法について書かれた本を7冊ほど紹介してくれないかといわれて、応じたことがあった。そこそこ反響があったらしく、その原稿は週刊誌のネット版に転載され、さらに某ネットマガジンにも掲載された。しかし、これらの転載・掲載ではまことに残念なことに、なぜか7冊が4冊に減らされていた。7冊の選定にかんしてはそれなりの意図があったわけで、ここでは、当初の意図を読み取ってもらえれば幸いである。(東谷暁)

 憲法学者の『憲法学』『憲法原論』の類をいくら読んでも、その講義を何度聞いても分かったような気がしない。そもそも、さっぱり面白くない。しかも憲法学者は左派でも右派でもそれは同じなのだ。
 いわゆる主流派といわれる東大系の憲法学者はもとより、傍系の憲法学者の書いたものでもほとんどの憲法学は「日本国憲法は守らねばならない」という点で一致している。呆れたことに改憲を唱えている少数派の憲法学者が書いた本でも、概念の選択や論理の組み立ては護憲派と瓜二つ。
 たとえば、政治学や社会学で、学派がちがっても概念や論理が同じなんてことがあるだろうか。そして繰り返すが、他の社会科学の場合には、希に面白い本もあるが、憲法学に限っては面白い本なんかありはしないのだ。
 護憲派は改憲反対を唱えていればよく、改憲派もポツダム宣言の「自由、平等、人権」を疑っていないのだから、スリルもなく知的刺激もないのが当然だろう。憲法について楽しく考えるには、憲法学者の憲法学以外から、面白い憲法の本を探すしかない。

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 井上達夫著 毎日新聞出版 2015年6月
 リベラリズムの唱道者が九条の削除を主張したことで注目されたが、井上はすでに十数年前から同じことを論じていた。護憲派と改憲派の双方の自己欺瞞を批判。リベラリズム研究者が改憲を言い出したということより、井上が自らの思想にしたがって首尾一貫した議論を展開していることが素晴らしい。だから、この本は面白いのだ。

『全訂 日本国憲法』 宮澤俊義著 日本評論社 1978年9月(事実上の初版だった法律学体系版は1955年)
 戦前は美濃部達吉の「天皇機関説」の祖述者、戦中は神権憲法論者、戦後は「八月十五日革命説」主唱者。時代に翻弄された学者だが、読めばわかるように文章はクリアでどこか明るい。それは宮澤が、憲法学は単に時代状況に合わせて憲法を解釈する政治の婢であると見切ったからだ。戦後憲法学を俯瞰するにはこの一冊で十分である。

『天皇制の国民主権とノモス主権論』 尾高朝雄著 書肆心水 2014年3月(底本は1954年)
 ポツダム宣言受諾により日本に「革命」が起こったとする、珍妙な宮澤俊義の「八月十五日革命説」を批判し「ノモス主権」を提示した尾高の記念碑的著作。歴史と伝統によって形成される法的秩序「ノモス」こそ主権であって、宮澤の主張は空虚だと論じたが、論争のテクニックに勝る宮澤に翻弄されて、憲法学の表舞台からは後退した。

『国家とは何か』 福田恆存著 文春学藝ライブラリー 2014年12月(「当用憲法論」の初出は1965年)
 現憲法は当時の状況の圧力で作られたが、当用漢字が作られた経緯と同じで、だから「当用憲法」なのだという。しかし、現憲法は明治憲法の改正手続きで生まれたのだから、現憲法を廃棄すれば明治憲法が復活する。それを自分たちで改正すべきだと論じた。明治憲法の復活というより、日本人の「憲法意識」の復活を課題としている。

『「日本国憲法」を読む(上・下)』 西部邁著 イプシロン出版企画 2007年8月‐2008年9月
 1990年、湾岸戦争の勃発をきっかけに日本では改憲論ブームが起こった。その魁となったのが、すでに改憲案原稿を雑誌に渡していた西部だった。その後、西部は成文憲法を必要としないとの立場を鮮明化するが、何冊も憲法論を書いている。その集大成というべき本書は、自らの思想による憲法解釈が縦横に展開され実に刺激的だ。

『九条を読もう!』 長谷川三千子著 幻冬舎新書 2015年9月
 この新書は、まず、その薄さに驚かされる。100ページないのだ。また、テーマが九条と聞いて耳タコだと思う人もいるだろう。しかし、この本は面白い! 間違いなく筆者の哲学者としての力量を感じさせる。九条の一項と二項を徹底的に解釈することで、制定当時の政治力学を浮かび上がらせ、問題の重大性に新鮮な光を当てている。

『一九四五年憲法―その拘束』 江藤 淳著 文春学藝ライブラリー 2015年4月(底本は1980年)
 いまや、日本国憲法の制定は占領下における米軍の国際法違反だったと論じる人は少なくないが、江藤は自ら渡米して公文書を渉猟し、詳細にその歴史的事実を明かした。なぜ文芸評論家がそこまでやるのかと言われた。その後、多くの類書が出たが、文章から立ち上る憤りと歴史の闇を解明する情熱において凌駕するものは皆無である。

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