フク兄さんとの哲学対話(17)ジョン・ロック①波乱万丈の時代を生きる

家族みんなで信州の白樺湖に行ってきた。かつては新しく造成された行楽地として人気があったが、いまやコロナ禍が続いているせいで、温泉ホテルも平日にはガラガラ。お陰でゆったりとお湯につかり、ぶらぶらとホテル内を歩き、さらに湖畔をまわる遊歩道を楽しんだ。もちろん、フク兄さんはお酒を手放さなかったが、夕食のあとは哲学対話に応じてくれた。いつものように( )内はわたしの独白。

フク兄さん さっき遊歩道を歩いていたら、マラソンをしている一団と出会ったぞ。あれは学生さんかのう。すごい勢いでわしらを追い越していった。

わたし たぶん駅伝の選手たちの合宿なんじゃないかと、かみさんは言っていたけど、さすがにマスクはしていなかった。まあ、シャウトしているわけではないから、人のほとんどいない遊歩道を走っているぶんには、誰も感染はしないよね。……さて、今日はジョン・ロックという哲学者を取り上げたいんだけど、知ってる?

フク兄さん もちろん、知らん。(ま、予想通りだな)でも、名前だけは聞いたことがあるかも知れんなあ。音楽のロックとか、ウイスキーのロックとか、ほっほっほ。(ま、そういうことだよね)

わたし このロックという哲学者は17世紀英国の哲学者なんだけど、ともかく守備範囲が広い。いわゆる認識論から始まって、政治論、道徳論、宗教論、それから貨幣の本質についての経済論にまで及んでいるんだ。でも、不思議に日本人は名前だけは聞いたことがあっても、あんまりロックを尊敬していますという学生はいないんだよね。

フク兄さん ほう、ほう。そりゃまた、なぜなんじゃ?

わたし いくつか理由があると思うけど、1960年代まではロックというのは近代民主主義の思想家として、彼の『統治論』は必読だとされていた。とくに、アメリカ流の民主主義の思想的源流になっているというので、アメリカを理解するためにロックを読むという人たちもいた。でも、ふつうの学生からすれば、読んでみたけれど、何だか神様の話ばかり出てきて、どこが近代民主主義なんだと、ワケが分からなくなる。

フク兄さん キリスト教の神様が出てくると、日本人はとたんに興味を失うというのは、よくあることじゃな。なんだか、うざったい感じがするんじゃよ。

わたし そのいっぽう、ロックは英国の経験論哲学の祖として知られている。ざっというと、人間がいろいろなことを認識して考えて発言が出来るのは、生れながらにしてではなく、生後いろんな経験を重ねるからだというわけだけど……

フク兄さん そんなの、当たり前のことじゃないのかのう。わしですらそうじゃからなあ。(え?)生まれてすぐに話始めたのは、お釈迦様だけだと、聞いたことがあるぞ。ほっほっほ(お釈迦様でも、それは無理だったような気もするけどね)

わたし ともかく、そういう哲学の祖とされているんだけど、どうも読めば読むほど、神様が前もって人間に何らかの能力を与えたことは認めているんだ。それで、このロックという人は、どこが経験論哲学の祖なんだろう、ということになってしまう。

フク兄さん なるほど、ワケが分からないことを解いてくれるはずの哲学者が、逆にワケが分からないことを生み出しているということかのう。

わたし ともかく、ロックの人生から話始めることにするね。え~と、この哲学者は……

フク兄さん ちょっと待った! その前に、気合を入れるために、必要なことがあるぞ。まず、喉をうるおして、気持ちをはずませれば、理解も鋭くなる。まだ、残っているじゃろ、あれは……

わたし しょうがないなあ、では、日本酒「高天 からくち」にしよう。昨日、茅野駅の前のコンビニでお酒を物色していたら、店長さんが推薦してくれたんだよね。飲んでみたら、これが旨い!

フク兄さん そうじゃ、そうじゃ。しかも、値段もお手頃ときている。おっとととと、……ぐび、ぐび、ぐび、ぷふぁ~! おお、やっぱり旨いのう。脳みそに沁み込むような旨さじゃのう。(あんまり、沁み込まれると困るんだけどなあ)

わたし あ、あんまり多く注がないでね……ぐび、ぐび、おお~、旨いなあ。それで、ロックなんだけど、彼は、1632年、英国サマセット州のピューリタンの家庭に生まれた。お父さんは治安判事の書記だったらしいんだけど、1642年、王党派と議会派の対立が深まって内戦が始まると、ピューリタンが主導していた議会派の騎兵隊将校として戦った。上官に有力な政治家となるA・ポファムがいて、この人物が1649年にピューリタン革命が成就すると、何かと援助してくれるようになったらしい。ただの小寒村の書記の小せがれジョンが、その後、名門のウエストミンスター・スクールに入れたのは、そのお陰だったらしい。

フク兄さん ほう、ロックという人は、家柄はそれほど立派というわけではなかったのじゃな。

わたし ただ、やっぱり子供のころから賢いことでは目立っていて、ウエストミンスター・スクールを出ると、こんどはオックスフォード大学に進学することになる。これも、父の後見人となったポファムのサポートがあったからのことだった。でも、オックスフォードでよい成績を上げて学位もとり、研究者として過ごしている最中に王政復古があって、父の後見人ポファムが失墜する。それは同時にロックの地位の危機でもあったんだね。それで父親に手紙を書いて、いかに不安定な状態になったかを悲嘆まじりで書いている。

フク兄さん しかし、それは随分と自分中心のような気もするがのう~。

わたし そうした地位の危機に直面したけれど、ロックは何とか切り抜けたところをみると、それだけ研究者としての力をつけていたのだろうね。このころまでにロックは、フランスの思想家、とくにデカルトやガッサンディの著作を読んで、それまでのスコラ哲学から新時代の哲学に移行していったといわれる。自然科学や医学にも通暁していたらしい。

フク兄さん ……………(もう、寝ているぞ)

わたし え~と、(あ、起きた)ロックにとってのこうした後見人の問題というのは、これで終わりではなかったんだ。1666年、有力貴族アシュリー卿がオックスフォードを訪れたとき、彼はロックと意気統合して、ロックは侍医としてロンドンにあるアシュリー邸で暮らすことになる。アシュリーがシャフツベリ伯となり、王政復古の時代が続いているうちはよかったが、シャフツベリ伯がカトリック化を推進するジェームズ2世と対立するようになるや、再びロックの周辺もあわただしくなった。

フク兄さん おお、なんだかロックという人は、内乱や反逆とつねに一緒にいるような男なんじゃのう。

わたし まさに、そうした運命に魅入られていたわけで、1682年にはシャフツベリ伯はオランダに亡命したものの、そのまま客死してしまったので、ロックも英国に帰れなくなってしまう。またしても、ロックは後見人を失い悲嘆にくれた。流れが変わるのは1688年、オランダのオレンジ公ウィリアムと妻メアリーを英国の共同統治者にするという名誉革命が起こってからで、翌年、メアリーといっしょに英国に帰国している。この名誉革命というのは、英国の王党派も議会派もこのままでは英国は終わりだという共通認識に達して、英国王室出身のメアリーが嫁いでいたオレンジ公を巻き込んで、ジェームズ2世を追い出したものだったといわれる。まあ、逆にオレンジ公が混乱に乗じて英国乗っ取りをはかったという説もある。

フク兄さん なんだか時代の最先端で政治に翻弄されたという感じじゃのう。それでは、気持ちが安定しないから、バラバラなことを言うようになっても不思議はない。

わたし そうとも言えるけれど、実は、そうした波乱万丈の生涯のなかで、ただひとつ、一貫していたのが、ピューリタンとしての神に対する信頼と義務なんだ。つまり、神に対する強い信仰のみがロックを支えていたわけで、実は、政治論における民主主義も、認識論における経験主義も、蝶番のように存在する神への信仰がなければ書けなかったともいえるわけなんだ。

フク兄さん …………あ、寝ていないぞ。聞いておる、聞いておる。

わたし 今夜の話はロックの生涯なんだけど、こうした政治に翻弄される人生というのは、この時代の哲学者にとっては珍しいことではないんだな。これまでもデカルト、スピノザ、ベーコン、ホッブズという人たちを取り上げたけど、みんな悲惨な戦争と陰湿な政治が背景にあったことに改めて気づかされるね。

フク兄さん ……………(平和な顔だなあ)

わたし やっぱり、寝てしまったか。……あれ? 「高天 からくち」が空っぽじゃないか。フク兄さん、いつの間に飲んでしまったんだろ。あ、一口分だけ残ってるな。……ぐび、ん、旨い。これはいい。

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