フク兄さんとの哲学対話(19)ジョン・ロック③神は革命を許している

先日、静岡に行ってきた。ほんとうに久しぶりの訪問で、街の中心部分が大きく変わっていることに驚いた。以前、よく来ていたころに必ず訪れた居酒屋が、いまはビルになっていると聞いて出かけていったが、残念なことに「エアコン修理のため臨時休業」と書いた紙が貼ってあった。その後、ホテルに戻って対話した。( )内は例によってわたしの独白。

フク兄さん 残念じゃったのう。よりによって臨時休業じゃからのう。

わたし さっき、かみさんが電話したとき、反応がなかったので悪い予感がしたけど、予感が的中してしまったね。でも、そのあと寄った大衆居酒屋で、意外に美味しいお酒が飲めたから、よいことにしよう。さて、今回はジョン・ロックの3回目。

フク兄さん おお、前回の話で分かってきたが、この人は進歩的ということになっていたが、その実、なんだかやたらと信心深い男なんじゃなあ。

わたし そうなんだね。『人間知性論』がそうだったように、『統治二論』という政治学での主著も、似たような構造をもっているんだ。この本も「社会契約論」を唱えているんだけれど、ホッブズやルソーあるいはヒュームの社会契約論とは違っている。神さまが大きな役割を占めていることで、かなり異質なんだ。そもそも、この本は日本では長い間、後編の部分だけが翻訳されていて、前編が省略されていた。

フク兄さん ほう、そりゃまた何故なんじゃ?

わたし 前編というのが、ロバート・フィルマーという神学者が書いた「王権神授説」に対する批判で、アダムが本当に神さまから世界を支配する権利を与えられたのかとか、アダムの子孫に支配権が引き継がれたというのは正しいのかといったことに、膨大なページを割いているからなんだね。当時の状況からいったら、また、ロックにしてみたら、この議論は重要なんだけど、キリスト教徒でもない日本人にはたいくつでしょうがないからね。

フク兄さん ふむ、ふむ。……で、そこでロックは何を言いたかったんじゃ?

わたし 実は、そのことと関連して、この本がどんな状況のなかで書かれたかを、振り返っておく必要があるんだ。当時、ロックのパトロンであるシャフツベリー伯は、国王との対立を深めていた。ピューリタンのクロムウエルによる共和制から脱して、王政復古したイギリスの国王になったジェームズ2世が、今度はこの国をカトリックの国にしようとしていた。自分がカトリック教徒だったんで、フランスなどと結んで、英国もカトリックにしてしまおうというわけだ。

フク兄さん よく知らんが、英国は自分たちの教会をもっておったわけじゃろ。ロックの第1回目に語ったような気がするが。

わたし 英国はヘンリー8世以来「英国国教会」という独自の教会をもつようになり、しかも、ロックに見られるようにピューリタンも多い国だったんだ。それを、昔のようにカトリックに戻してしまおうというので、シャフツベリー伯は反対派の貴族を糾合して対抗していた。カトリックに戻そうという王党派の連中は、フィルマーという人物の『パトリアーカ』という本を大増刷して、王様が決めた宗教がその国の国教になると主張する論拠とした。そこで、ロックはこの議論を叩き潰す役割を担ったというわけなんだ。

フク兄さん ………

わたし 前編は端折ってしまうけど、ロックの結論は、アダムがたとえ権威と権力を神から与えられていても、その子孫が引き継げるという保証はどこにもない。また、そうできたとしても、アダムの権威と権限を継いだ子孫というのは誰なのか分からないじゃないか、というものだった。それがいまの王様だという保証はどこにもない。つまり、そんな説は成立しないというわけだった。

フク兄さん ………。ふむ、ふむ。(あ、目が泳いでる)

わたし どうしたの? 分かりにくいかな。

フク兄さん そういうわけではないが、ちょっと、その~、ガソリンが切れてきたのでな。さっき飲んだお酒がさめて、集中力が続かんのじゃよ。

わたし でも、お酒買ってこなかったからなあ。ちょっと、コンビニで買ってくる?

フク兄さん いや、いや。それには及ばん。ほらな……。

わたし あ、水筒をもっている。なんだ? それにお酒が入っているの?

フク兄さん さっきの居酒屋で飲んだお酒が、妙にうまかったので、お姐さんに頼んで2杯分くらいを、この水筒に入れておいてもらったんじゃよ。サービスしてくれたぞ。ほっほっほ。(なにが、ほっほっほ、だ。それで、レジでの支払い額がけっこう高かったのか)

わたし たしか「金陵」といったよね。おいしかったけど、なんだかレジで高いなあと思っていたんだ。2杯分、高かったわけだ。

フク兄さん ほっほっほ。しかし、これはうまいぞ。……ぐび、ぐび、ぐび、ぷふぁ~。……鋭いところに、深い余韻がある。(なに、言ってんだか)

わたし じゃ、話を続けるね。この『統治二論』はロックの政治哲学を説いたものだけど、さっきもいったように社会契約論を主張した著作として知られている。でも、ロックは自然状態をホッブズのように「万人による万人による闘争」とは考えなかった。逆に、自然状態は平和だと考えたんだね。

フク兄さん ぐび、ぐび……、あ、聞いておる、聞いておるよ。

わたし というのも、『人間知性論』で述べたと同じように、人間には神が与えてくれた「自然法」を理性によって知る力があり、この自然法に従って生活に必要なものをつくり、それを消費して穏やかに暮らせていたからなんだね。それは平等で互恵的な状態といっている。

フク兄さん それなのに、なぜ、それが壊れてしまうのじゃ?

わたし ところが、そうした状態のなかで、他人に暴力をもちいたり、徒党を組んで自分たちの利益だけのために、たくらみをめぐらす者たちがでてくる。これは、神が与えた自然法からは逸脱するもので、それは平和ではなく「戦争の状態」と見なされるものとなる。この戦争の状態に終止符をうって、あらたな秩序ある社会を作り上げるのが、成員全員による社会契約なんだとロックは述べている。

フク兄さん わしがもし自然法を逸脱して、支配者になっていい思いをできるなら、社会契約なんか叩き潰して、自分にとっていい状態を維持しようと必死になると思うがのう。(そう、そう、そこなんだよね)

わたし まさに、そうした逸脱者が支配しないように、それまでの自然法に従っていた状態に終止符を打って、みんな参加して、ひとつの共同社会をつくる。さらには、良い統治制度を作り上げるために、相互に同意する契約をむすぶのだというわけなんだ。しかも、ここまでは自然法によって導かれてそうするんだとロックはいっている。ここでも、あるところまでは神さまが導き、それから先は人間の努力なんだね。

フク兄さん ロックがそう考えるのは勝手じゃが、ほんとうにそんなんで、自分だけが得をしようとする人間がいなくなるんだろうかのう。

わたし もちろん、それでも勝手な人間は出てくるけど、そのときには統治を頼まれた人間が、今度は人間が作った法(実定法)によって罰したり、牽制したりして、みんなが平和に暮らせる状態に近づけていくということらしい。ロックはその先で述べているんだけど、まず、社会の成員になるということと、統治の仕組みを作ることは同じではないという。社会のメンバーではあっても、そのときの統治の仕組みには反対するというのはありえるということだね。

フク兄さん ややこしいのう。

わたし その話を詳しくするまえに、では、なぜ神さまがせっかく与えてくれた自然法による平和な状態から、逸脱する人間が跋扈する戦争状態が生まれるかというと、ロックは「所有権」でもって説明している。つまり、自然法のもとではそれぞれが土地をもって耕し、そこから生活を成り立たせる産物を得て暮らしている。何かの都合でそれが出来なくなった人には互恵的な配慮で、周りの者が支援して支える。ところが、土地を中心とした他人の所有物を強奪したり、借金のかたに奪って、他人を自立できなくなる奴隷状態に転落させる人間がでてくると、もはや神の考えた自然法の状態ではなくなるわけなんだ。

フク兄さん それはいまでも起こっていることじゃのう。わしなども、仕事をしてもしても、収入はかみさんにすべて取られてしまって、とても自立しているとはいえないがのう。

わたし ま、そういうフク兄さんの家の特殊事情はともかくとして、たとえば家族すら形成できないような悲惨な奴隷状態があるのは、神さまの御心にはかなっていないわけだよ。そこで、専制的な支配者や奴隷的な被支配者のいない状態をつくりだすために、社会契約をおこない、みんなが社会に参加して、さらに、統治のための仕組みをこしらえるというわけだ。ここに、人間が自立して生きるための手段を持つという意味の、所有権という考え方を入れたのが、ロックの思想の特徴だといわれ、また、これは生存権として社会主義などにもつながっていく思想だとされたこともある。

フク兄さん ………(あれ、気持ちよさそうにしてる)

わたし もうひとつ、さっき言いかけたように、ロックの政治思想で特徴的とされるのは、社会契約で生まれた社会そのものと、その社会が作り出す統治の仕組みは別だと、区別した点に見られるんだ。もし、社会が作り出した統治の仕組みが、自然法つまり神さまの意図と離れてしまったら、社会の成員は統治の仕組みを作りなすために、抵抗をしてもよいという「抵抗権」を認めたことなんだね。これは、結局は革命を認めているとされて「革命権」と呼ばれることもあるが、ロックが述べたのは社会契約そのものを破棄することではなくて、社会の段階までもどって、新たに統治の仕組みを変えることだった。つまり、ロックにとって革命とは神の御心への帰還なんだね。

フク兄さん ああ、気持ちがいいのう。なんだか、このお酒は体への染み込み方が強いような気がするのう。

わたし え~と、スマホで金陵を見てみようか。……おお、香川県のお酒なんだ。え~と、金陵ひやおろし……え? 度数は18から19だって! フク兄さん、これはものすごく強い酒だよ。ほかの1・5倍くらい強いぞ。大丈夫かな?

フク兄さん ダイジョウブ。とても気持ちがいい。ぐび、ぐび、……ああ、旨い。

わたし もう少しだけ話を続けるね。こうした政治哲学は、さっきもいったように、パトロンであるシャフツベリー伯がジェームズ2世と闘争するために必要だったわけで、英国というコモンウェルスは継続させて、そのうえでカトリックの君主だけを排除するのを正当化する論理構成になっている。英国社会を作り上げた社会契約は継続しているが、異質な統治機構は打破するというわけだ。こうした論理は、皮肉なことに、後にアメリカがイギリスから独立するさいにも使われることになる。それまで形成されたアメリカという共同社会は継続するが、そこから収奪するという悪しき支配をしている英国統治は排除するという論理になりうる。しかし、すでに『人間知性論』との関係を述べておいたけど、同時に、人間と神との関係からみれば、ロックの哲学そのものでもあったわけなんだ。

フク兄さん ああ、目が回ってきたなあ。ちょっと、こりゃ濃すぎるかもしれんな。

わたし しょうがないなあ、そんな強い酒をぐびぐび飲んだら、目が回るのは当然だよ。え~と、ぼくがウイスキー用に買っておいた氷があるから、いれてあげるね。ほら……(ぽちゃん、ぽちゃん)

フク兄さん お、氷が日本酒に浮いているな。これは、これは……ぐび、ぐび、ぐび、……うへ~、こりゃまずい。やっぱり、日本酒にロックは合わんなあ~。

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