フク兄さんとの哲学対話(14)ホッブズ『リヴァイアサン』の衝撃①

先日、ゆえあって福島県二本松市に行ってきたが、そのときに立ち寄った二本松城址の印象は強烈なものだった。山城で昇るのに難儀したが、天守があった頂上から眺めた光景は素晴らしかった。フク兄さんも同行していて、同じように感動した様子だったが、ホテルに戻ると急に、ここで哲学対話をしようと言い出した。そういえば、準備していたテーマと関係がないこともないと思ったので同意した。例によって( )内は私の独白。

わたし 旅先で時間がけっこうあるので、今回はホッブズの話をじっくりとしてみたい。これまで取り上げた哲学者は、神と人間との関係を論じたり、正しい認識法を述べたりしていたけれど、ホッブズは「近代国家」の成り立ちを、本格的に述べた最初の哲学者といわれるんだ。

フク兄さん おお、名前だけは知っているが、何を言った人なのかは、まったく知らなかった。お前の手元の本に掲載された肖像を見ると、背景が黒いせいかオーラがあって迫力満点のじいさんという感じがするのう。

わたし そうだよね。実際、思想史のなかではマキャベリなどと並んで、政治の暗黒面を露骨に述べた思想家として、嫌われた時代が長かった。しかも、主著とされる『リヴァイアサン』の表紙に気味の悪い絵を使ったせいもあって、この本は悪魔の秘本のように言われたこともあったんだ。

フク兄さん あ、これか……、巨大な人間が剣と錫杖のようなものをもっているな。お、この巨人の体はよく見ると、小さな無数の人間でできておるぞ。わ~、これは気持ち悪いのう~。

わたし リヴァイアサンというのは、もともと旧約聖書のヨブ記にでてくる巨大な鰐であるとか、海の怪物でクジラの化身という説もある。このリヴァイアサンと戦うのがビヒモスという陸の怪物で、カバとかサイの化身らしい。ちなみに、ホッブズには『ビヒモス』という本もあるんだ。

フク兄さん ほほ~、ホッブズさんは怪物が好きだったのかの。子供たちも恐竜とかゴジラとかが好きじゃが、このじいさん、趣味が子供みたいじゃな、ほっほっほ。わしもゴジラは好きじゃが。(そうじゃなくて、彼が生きた時代は、ほんとに恐い時代だったんだ)

わたし 怪物の名前を付けたのは、ホッブズの趣味もあったかもしれないが、『リヴァイアサン』を執筆したのは、1640年に英国に内乱が起こって、国王のチャールズ1世が処刑されるという、血なまぐさいピューリタン革命がまだ継続していた時期だった。『ビヒモス』は、このピューリタン時代の歴史を書いたもので、これまた恐怖の時代の象徴といえるタイトルをつけているんだよ。

フク兄さん なるほど、革命とか処刑とか聞くと、ホッブズさんの顔が険しいのも分かるような気がするのう。

わたし ホッブズは1588年、エリザベス1世時代の英国に生まれた。父はデヴォンシャー州のウェストポート村にある教会の牧師だったのだけれど、この年、スペイン無敵艦隊が英国に襲来するといわれていたので、国民は恐れおののいて暮らしていた。ホッブズは後に「わたしは恐怖との双子として生まれた」と書いている。父親がもめごとを起こして、ホッブズは叔父に引き取られたけれど、ラテン語とギリシャ語がよくできたので、さらに14歳でオックスフォード大学に入って哲学と神学を勉強したらしい。

フク兄さん ふ~ん、ホッブズさんもたいへんな神童だったのじゃな。

わたし 大学ではスコラ哲学とアリストテレスを研究したらしいけれど、どうも、ピンとこなかったらしい。でも、ギリシャ古典を読みこなしていて、若いころにトゥキジデスの『戦史』を翻訳している。ホッブズは前回のベーコンのように貴族の生まれではなかったので、大学を出るとデヴォンシャー伯の息子の家庭教師になって、ずっとこの伯爵家の家庭教師や秘書として生きていくことになる。

フク兄さん そんなに優秀な人間なら、ロンドンあたりに出て仕事でも見つければよかったのじゃないかのう?

わたし そういう選択肢もあったかもしれないが、ホッブズは伯爵家の家庭教師のほうが学問をやりやすいと判断したのだろうね。実際、伯爵家のロンドンにある邸にも滞在したから、この間、ベーコンやジョンソン博士といった当時の一流知識人とも会っている。おそらく若いときから目立っただろうから、そのなかでトゥキジデスの翻訳を刊行するチャンスにも恵まれたんだと思うね。

フク兄さん お、ちょっとまて。(なんだか、ゴソゴソしているぞ)ほらな、さっき土産物屋で買っておいたのじゃよ。ほっほっほ。

わたし あ、『大七』じゃないか。この町の銘酒だよね。……しょうがないな、ま、いいか。フク兄さんは、コップだったね。……あれ、ないなあ。……じゃ、湯飲みで。

フク兄さん おっととと、……ぷふぁ~、んんんん、これはいい。味わい深いぞよ。日本酒はその土地で飲むと、うまさが際立つのう。さ、おまえもどうじゃ。

わたし おととと、あんまり注がないでよ。では、……んぐ、んぐ、……おお、本当だ。東京で飲んだときより、ずっと旨い。(不思議なもんだなあ)え~と、話を続けるけど、ホッブズは伯爵家の息子の付き添いで、イタリアとかフランスにも滞在している。当時の習慣で、有力貴族の息子は「グランド・ツアー」といって、ヨーロッパ大陸の国々で勉強するのが普通だったんだ。この息子のほうのデヴォンシャー伯は、1628年に急逝してしまうけれど、ほかの貴族の家庭教師もやりながら、フランスには何度か行った。そのなかで、40歳のときに、大陸の知識人には教養のひとつだった数学にも出会ったといわれている。

フク兄さん え、40歳になってから数学を勉強したのか? やっぱり変なやつじゃのう。ちょっと待った、……ぐびっ、ぐびっ。……ちゃんと聞いておるよ、ダイジョウブ。ヒック。

わたし 1631年、デヴォンシャー家の三代目のお伴で、ヨーロッパに行ったときだったらしいが、フィレンツェでガリレオに出会い、パリでは唯物論で知られるガッサンディなどとも知り合いになっている。「われ思う故にわれ在り」で有名なデカルトとも会ったが、光学上の発見のプライオリティをめぐって仲が悪かったという説もあるらしいね。

フク兄さん おお、ホッブズさんは科学にも詳しかったんじゃな。………

わたし え~と、英国で内乱がはじまると、パリに皇太子チャールズが逃げてきたので、パリは多くの亡命英国貴族が集う場所となった。ホッブズはこの時代にいくつかの著作を刊行している。著述家としては、ずいぶんと遅い出発だったが、ホッブズは91歳まで元気に生きるので、まだまだ人生は半分にも達していなかった。

フク兄さん …………(あれ、寝ちゃったかな)

わたし いよいよなんだけどなあ。……ま、いいか。英国の内乱がおさまって、クロムウエルの共和国が樹立されるわけだけれど、チャールズ2世が(まだ、正式の国王ではないけれど)、スコットランドに上陸してイングランド侵攻を試みるなど、不穏な状況は続いた。そんななかで、1651年、ロンドンでホッブズは主著『リヴァイアサン』を刊行するんだ。かなりやばい状況のなかでの……、あ、夕食の用意ができた? じゃ、フク兄さんを起こさなくちゃ。え~と……

フク兄さん おお、弟よ!(わ、なんだ急に) 夕食の用意ができたそうじゃ。さあ、みんなでダイニングに行って、ごちそうをいただこうぞ。お酒も追加じゃな。やっぱり、大七がええのう。おまえは真澄にするか。

わたし 起きていたんじゃないか。人の話は聞いてなくても、夕食という声は聞こえるんだからなあ。(つづく)

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