コロナ恐慌からの脱出(22)FRBのパウエル議長はインフレを招く気なのか

FRBのパウエル議長は、8月27日、インフレ率の目標を平均して2%にすると発表した。これは、これまでのように2%を目指すのではなく、2%を超えるのを是認することを意味するので、さまざまな憶測が飛び交っている。コロナ禍がさらに拡大するアメリカで、この金融政策は有効なのだろうか。また、世界経済にとっての影響はどうなのか。

パウエル議長がこのような方針を明らかにしたのは、ジャクソンホールで開かれた国際経済シンポジウムの講演においてで、「広範かつ包括的」な雇用に重点を置くとともに、「物価よりも雇用を重視」して、「雇用の最大化に務める」と語った。具体的には同日のロイター日本版によれば次のようになる。

「経済には『多大な力がある』にもかかわらず、飲食や観光業などでは職を押された人々が再就職に苦慮しており、政府による安定した支援が必要になるほか、完全な雇用回復には何年もかかるだろうと警告。『経済の中でも、飲食や航空、宿泊、娯楽といった業種は回復が非常に困難だろう。何百万人もの人々が仕事を見つけるのに苦労している。われわれはそういう人々を支える必要があり、少なくとも数年のロングタームを見込む』と述べた」

つまり、いまの金融政策のままでは、インフレを低く抑えることにやっきになってしまい、米経済の本来の力が発揮されていない。そこで、これまでのようにインフレが上昇することに神経質にならないで、もっと経済が拡大する余地を広げて雇用を確保していく。また、その一方でゼロに近接している金利は、このまま維持するというわけである。

今回の方針変更の表明については、当然のことながらさまざまな評価がある。前出ロイターは、元FRB金融政策局長ビンセント・ラインハートによる「パウエル議長が利上げを望んでいないことには驚きはない」というコメントを掲載。ただ、ラインハートは、「FRBがある程度の物価上昇を容認すると文書に明記したことは注目に値する」と述べている。

そのいっぽうで、同紙にはダラス地区連銀のカプラン総裁の見解が載っている。これによると「インフレ率が1年間にわたり(たとえば)3%にとどまることを容認すると同時に、利上げを実施しないことには違和感がある」という。つまり、インフレ率が上がっているのに、それに対して同じく金利ゼロでは、整合性が取れないというわけである。

いっぽう、ウォールストリート紙8月27日付は、金利がゼロに維持されることを歓迎している。「それは幸運な出来事だ。なぜなら、ジェローム・パウエル議長が27日に示したFRBの新指針は、低金利状態が長期間継続することを示唆しているからだ」。同紙はコロナ禍の最中であるにも拘わらず、住宅市場が活況を呈していることや、ハイテク株が上昇していることをあげて、問題はあるにせよ緩和マネーが米経済を刺激していることは肯定している。

こうした肯定的な評価に対して、英経済誌ジ・エコノミストは例によって屈折した言い方で、「たしかに期待された方向への転換かもしれないが、それが期待されたどおりの結果をもたらすとは限らない」との分析をしている。「パウエル議長は完全雇用を目指すとはいっていないし、2%平均という政策が、金利ゼロを維持し続けるという意味なのか明確ではない」。では、どうなのか。「結局、パウエル氏の政策見直しは、過去の失敗や批判に応えるものだけにとどまっている」。

少しおおざっぱな話になるが、エコノミスト誌も指摘しているように、アメリカの金融政策においては、インフレを是認するか否かという議論は昔からあった。1960年代まではポール・サミュエルソンの経済学に基づいて、インフレ率と失業率はトレードオフの関係にあるから、それは政治判断なのだということに、いちおうの了解があった。

ところが、1970年代になるとそれまでのインフレ率と失業率との間に、安定した関係はないとの批判が、ミルトン・フリードマンによって繰り返され、彼が提唱した「自然失業率」を前提として、雇用を生み出さない無意味なインフレ率の上昇を回避するべきとの方向に向かった。近年の傾向も自然失業率はともかく、相関関係を読むことすら難しい(上図:経済産業白書より、左図:jiji.comより)

1980年代初頭、当時のFRB議長ポール・ボルカーが、インフレは米経済を衰退させるとして、2桁だったインフレに真っ向から戦いを挑み、景気後退を引き起こしたにもかかわらず、数%のインフレである経済に作り替えた。これはボルカーの「功績」とされるが、もちろん批判はいまも多いのである。

たとえば、1990年に経済学者ポール・クルーグマンは『期待逓減の時代』という本のなかで、ボルカーはインフレを叩き潰すことで、当然あったはずのGDPの拡大を縮小させてしまったと批判している。クルーグマンのように雇用と経済成長を重視するならば、インフレは必要悪とされるわけで、米民主党系の経済学者なら同意する者も多いだろう。ところが、いまそれは政治的な立場を超えて、共和党系のパウエルをとりまく議論に蘇っている。

インフレは確かに「怖くない」。ただし、政府がインフレの度合いに合わせて金融政策を次々と打っていき、また、企業もインフレに合わせて、給料をただちに上げる経営をできるならの話である。ある異端経済学者は年率40%のインフレが起こっても、その国の資本主義は壊れないなどと言っているが、それはこうした政府および企業が、この世に類例がないほど、きわめて柔軟で賢明であればということに過ぎない。

しかし、これはすでにブログで書いていることなのだが(ポスト・コロナ社会はどうなる(3)世界を「戦後」が待っている)、ポスト・コロナの世界においては、インフレが起こる可能性は低くないだけでなく、財政の継続を考えるならば巨大な赤字を抱える政府は、これからインフレ基調のほうを好む傾向が生まれるだろう。

それは今回のパウエルの「経済の力を十分に発揮させる」という方向性だけでなく、「巨大な財政赤字の解消」にとっても有効なのである。そして、アメリカがインフレ基調の経済に転じれば、世界も引きずられることになる。もっとも、今回のパウエルの構想には、そこまで長期の戦略は含まれていないようであるが。

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