新型コロナの第2波に備える(2)誰を優先治療するかという「トリアージ」の難問
第1波が終わってもいないのに、第2波について考えられるのか、という人もいるだろうが、それはほとんど定義の問題となりつつある。つまり、最初の感染ピークを第1波と考えれば、たとえ最初は余波と見えても第1波に相当する高さに達すれば、それは第2波と言えるのではないかというわけである。
ここでは、いちおう今年秋以降の高いピークを迎える感染拡大を第2波と考えるが、いまの「ぶり返し」が高くなれば、第3波のことだったという可能性もないわけではない。しかし、ここでは秋以降の拡大が本格的になる感染拡大のこととして話を進めることにしたい。
第1波についての教訓はさまざまに論じられているが、わたしは、緊急事態宣言など必要なかったという議論にはくみしない。たしかに、政府の宣言は遅かったが、それ以前の東京都の「3密」についての警告や、有名人の新型コロナ肺炎での派手な死去報道は、自粛への強いモチーフとなっていた。それは、グラフ(朝日新聞より)を見ればほぼ読み取ることができる。
そうした立場からすれば、第1波の経験よりいま考えておくべきことは、第2波が最悪の状況を生み出したとき、何が問題になるかということである。それは、急速な感染拡大によって生じる病院へのキャパシティを超える患者の殺到、つまり、医療崩壊が起こったときにどうするかという問題にほかならない。
いまは報道でもあまり扱わなくなっているが、3月から4月にかけて世界に衝撃を与えたのは、先進諸国の事実上の医療崩壊だった。たとえば、イタリアにおいては、あまりに急速に感染が進んで、病院に搬送される重傷患者が増えたために、人工呼吸器などの医療機器の使用が、80歳以上には適用されないという事態が生まれた。
また、アメリカではニューヨーク州を中心にして、事実上の医療崩壊が生じ、医療機器どころかベッドすらも不足する事態に至った病院があった。そこで、アメリカでは州ごとに、医療機器を使用する患者の優先順を決める基準が検討されることになった。ネット上やマスコミにおいて、医療倫理学者も参加しての議論が展開された。
こうした、医療施設や医療機器の患者への優先順位を決めることを「トリアージ」と呼ぶが、このトリアージの目的や範囲について議論するには、多くの複雑にからんだ問題が存在している。たとえば、なぜトリアージをやるのかといえば、「医療崩壊を避けるため」と言うかもしれないが、ではこの「医療崩壊」とは何かという問題がある。
また、その範囲はどうかといえば、集中治療室、人工呼吸器という分かりやすい例もあるが、他にもベッドや医療従事者の投入についての細かい問題も存在している。さらに、対象となる患者の分類については、症状、年齢、既往症、生存確率、さらには社会的地位やエスニシティなどの要素まで、入れようと思えば果てしない議論になってしまうのである。
たとえば、中国のように独裁的権限で押し切る場合には単純だが、いちおうの民主的制度の国家の場合には、多くの段階的な責任の所在をめぐる議論がある。そして、日本の場合を振り返ってみると、「8割おじさんは正しいのか」とか「吉村知事はえらい」などといった話題はあふれたが、なんとか切り抜けたという幸運もあったせいで、少数の専門家以外の人たちが、トリアージの議論をしっかりやるということはなかった。
ここでは、細部にいたる基準までは議論できないが、ともかく、この数か月に起こったことを振り返りながら、一般の人が考えるヒントになるような情報を提供することにしたい。まずは、アメリカでの動向を見てみよう。考えてみれば奇妙なのだが、現実にはあれほど乱暴で悲惨な事態になっているのに、議論だけはけっこう多かったのである。
やや旧聞に属することになるが、ニューヨークタイムズ紙電子版3月31日付は「コロナ猖獗のとき、病院はどのように治療する人を選ぶか」を掲載し、ほとんどリアルタイムで、こうした新型コロナのパンデミック時におけるトリアージについて、国内の試みや議論を比較検討している。例から紹介したほうが分かりやすいので、いきなりケーススタディを見てもらおう。
メリーランド州のある病院で行われたトリアージの例である。ここにコロナに感染して症状が悪化した患者Aと患者Bがいた。患者Aは24歳、多臓器の機能を判断するSOFAの数値は13(少ないほど治療が必要とされる)であり、1年以内に死亡すると予想される疾患はない。患者Bは72歳、SOFAの数値は10であり、軽度のアルツハイマーがあるが1年以内に死亡すると予想される疾患はない。
この2人の患者のうち、治療の優先権を得たのは患者Bだった。日本では、ろくろく検討しないで、高齢者はコロナ治療から除外すべきだという論者もいるので、意外に思った人もいるかもしれない。しかし、話はこれで終わりではない。この2人の判断ケースは、もしペンシルべニア州だったらどうなったかといえば、逆転するのである。というのも、このときペンシルベニア州ではアルツハイマーの高齢者は治療からの除外検討の対象とされてしまうからである。
SOFAのような評価制度は共通していても、その他の要素がさまざまあって、しかもそれが州ごとに違う。命がかかっている状況のなかでも、どの州に住んでいるか、どの病院に入院したかで判断が変わってしまうということである。これは健全だろうか。わたしは、そうした基準が公開されているなら、すべて現場しだいだとか、すべてが政府の基準しだいというのよりは、まだしも健全だと思う。しかし、その基準じたいに問題がないわけではない。
他にも州ごとによって異なる基準は多い。たとえば、集中治療室に入れるか否かについて、ニューヨーク州とメリーランド州の場合には、標準的な不整脈治療が効かない心拍停止がある患者を除外する。また、延命の可能性が低い重大な脳損傷や重篤な火傷がある場合にも除外される。
アラバマ州の保険局はウェブサイト上で、重い精神遅滞をもつ患者は人工心肺の使用の候補として不利であることを示唆している。また、ワシントン州のガイドライン(上の流れ図参照)は、健康状態、身体能力、認知状態を、ベースラインを設定して考慮することを述べているという(当時)。これらは基準を作っておくという意味で何もない国より立派だが、適用のやり方によっては、かなりの問題を含んでいるだろう。
アメリカからヨーロッパに目を転じて、スウェーデンについて簡単に見てみよう(もっと詳しくは拙ブログの「いまスウェーデン方式を推奨する人の不思議」を参照のこと)。この国は、従来、スウェーデンの医療制度は「医療資源の完全管理」と言われるように、たとえば医者にかかるさいに役所に電話して診断と治療の順番を獲得する仕組みになっている。この段階で、すでにトリアージが行われるわけである。
今回の新型コロナ対策においても、他のヨーロッパ諸国とはまったく異なる政策を採用して、医療崩壊を回避することを最大の目標とし、生活や経済にはなるだけ制限を加えずに、ロックダウンは行わないで対処してきた。その結果、死亡率は世界のトップクラスで、集団免疫は期待したほど拡大していないが、医療崩壊はほぼ完全に回避できたと胸を張る政府関係者も存在する。
しかし、この国の場合、高齢者が入所している介護施設でコロナ感染しても、そのほとんどの患者を病院に移送することがなかった。介護施設で大きなクラスターが発生しても、当初のやりかたを変えずに多くの高齢者の死者を生み出した。たしかに、医療崩壊は阻止したかもしれないが、介護崩壊を起こしているわけで、こうした点をしっかりと評価せずに政府高官の発言を信じ、スウェーデン方式を採用したがる日本の研究者や評論家がいるのは奇妙なことである。
スウェーデンの場合には、これまでの社会福祉政策が国民の多くに受け入れられてきたために、こうした大胆なトリアージの適用も受け入れられた。しかし、それにはこの国に特有の死生観を含めた価値観、社会システム、政治制度があって可能になっているわけである。しかも、現状からみて本当に妥当な選択であったかは疑問である。そうした考察なしに、スウェーデン方式に飛びつくのは軽挙妄動としか言えないだろう。
ヨーロッパのなかでも、ジョンソン首相の初動ミスによって(スウェーデンに似た方式を採用したが、ほどなくロックダウンに切り替えた)、コロナ対策に失敗した英国でも、コロナ感染を前にした医療の優先順位は大きな問題となった。英国医師会(BMA)は「CVID-19の倫理問題、ガイダンス文書」を発表して、コロナ治療に関する倫理問題の解決に、一定の指標を与えようとしている。
詳しくは日本医師会から仮訳が発表され、また、日医総研の田中美穂氏が「COVID-19の倫理的所問題BMAガイダンス文書と関連議論について」をネット上で公開しているので読んでいただきたい。この国もすでにサッチャー時代以降、「医療資源の完全管理」を目指すようになっていることは知られている。治療を受けたいものはまず総合診療医(GP)に電話して、何日か待たされてから、晴れて診断を受ける仕組みになっている。以下は、わたくしの受けた印象を簡単にまとめたものである。
ひとことで言って、英国のガイドラインは、トリアージによって生まれるこれまでの医療倫理とコロナ流行の特異性との矛盾を、可能なかぎり功利主義的なスタンスで調整を図ろうということだ。つまり、英国の医療が実践してきた患者に対する平等が、医療資源の希少性が甚だしくなって維持不可能になったさいには、「個人のニーズへの適正供給」に対し「全体としての利益の最大化」を優越させることで、矛盾を「克服」しようというわけである。次の文章を読んでいただきたい。
「トリアージにおいて医療従事者の関心の焦点は、いかにして最大多数の人々に対し最大限の医学的利益をもたらすかということにあるだろう。一見して単純なその原則の裏には難しい決定が潜んでいる。そのような戦略には、リスクを有する集団についての疫学的判断が必要となるが、その内容は疾患の疫学的状況により異なる」
よく知られるように、19世紀英国で確立された功利主義のテーゼは「最大多数の最大幸福」であり、これは間違いなく人間にはものの価値の比較衡量ができるとの前提で、その価値の中心に経済的な富(これも実は何なのか時代により思想により異なるのだが)を置いたときに成立する。
したがって、このガイドラインも医療の資源がもっとも有効に使われることを狙ったものだが、ここに人間の生命という要素が入ってくると、とたんに比較衡量が難しくなる。なぜなら、人間の生命を他の単位であらわすということ自体が、困難を極めるからである。しかし、それでもあえて比較衡量のガイドラインを作っておくわけである。
わたしは、ここで人間の生命は地球より重いとか、何よりも貴重だから数値化できないといいたいわけではない。こういう問題に、経済制度を支えてきた功利主義が導入されるのは、他にやりようがないのだから、ある意味で仕方ないと思う。ただし、そこには文明のリダンダンシーとでもいうべき思考の複雑な手続きが必要である。つまり、さまざまな要素と比較してみせ、それを段階的に行う迂回的表現が必要だということである。
「健康な75歳の患者を、年齢に基づいて合法的に治療拒否することはできない。しかしながら、COVID-19により二次的に重度の呼吸不全に陥った高齢患者は、集中治療を行っても死亡する可能性はきわめて高いかもしれないし、その結果として集中治療への受け入れ優先順位が低くなることがあるかもしれない」
最後に、もうひとつ、スイスのガイドラインについても見てみよう。スイスについては、穂鷹知美氏の「医療破綻させないために今、スイスで起きていること――トリアージに関する医療ガイドラインの制定と患者事前指示書作成の奨励」が、非常に分かりやすくまとめてくれている。
スイスのコロナ医療にかんする「医療ガイドライン」は、スイスがロックダウンに入った3月16日の4日後、3月20日にスイス医学アカデミーとスイス集中治療医学会が共同で発表したという。つまり、すでに準備していたということである。穂鷹氏の要約は実に読みやすいので、細かいことはダウンロードして読むことをお勧めするが、これも骨組みと感想を述べておきたい。
まず、医療資源が限られた場合の基本理念としては、「公平であること」「できるだけ多くの人命を救うこと」「関連する専門家の保護」である。ここでいう第1の「公平」とは、年齢や性別、住居地、国籍、宗教、社会的地位、加入している保険の種類、恒常的障害などで差別されないということである。それなら、どうやって危機的事態に対処するのかと思ってしまうが、これはあくまで出発点としての理念である。
第2の「できるだけ多くの人命を救うこと」では、予想されたように、ある意味で功利主義的な比較衡量が入ってくる。目標は、それぞれの患者と患者全体の利便を最大化することであり、それは最も多くの人命を助ける決断をすることであるという。「換言すると、すべての措置は、重篤な症状になる人や亡くなる人を最小限にする目的にそって行われなくてはならない」。
第3の「関連する専門家の保護」は、これは医療スタッフの保護であって、そもそも医療スタッフが感染したり医療に従事できなくなってしまったら、さらに亡くなる人が増えるだけである。この医療スタッフの保護は、他国のガイドラインにも記載されている。この点、いまだに医療関係者が疲弊するのを放置しているどこかの国の政府は例外である。
こうした3つの基本理念が掲げられるわけだが、もちろん、これだけではまだ現実に対処することは不可能である。さらに、具体的な問題へと入っていく。「医療行為はできるかぎり、まだ助けられる人をたすけるのに使用されるべきであり、年齢が高い人が若い人に比べて、年齢だけで低く評価されることはない」。ここまで来てもまだ当初の理念が貫かれているが、ほんとうに、こんなことで現実に対処できるのだろうか。では、次の文章も読んでいただきたい。
「とはいえ、年齢は、間接的に中心的な基準の枠『短期的な診断』において考慮される。なぜなら、年齢が高い人のほうが、合併症が引き起こされることが頻繁なためである。新型コロナウイルスとの関係でいうと、年齢は死に至る危険要素のひとつであり、このためこれを配慮しなくてはならない」
なんだ、結局ここに来るのじゃないか、とがっかりした人もいるかもしれないが、こうしたリダンダンシーはけっして人を欺くためにあるのではない。こうした迂回的な論理構成のおかげで、何が理念的に目指すべきものなのか、そして最悪になったら敢えてやるべき具体的なことは何かが、全体の構図のなかで示されることになるわけである。
しかも、スイスのガイドラインの場合、こうした全体の論理構成における前提が2つある。ひとつが、「最大のミッションはトリアージの回避」であり、もうひとつが「患者事前指示書」の存在である。前者は、当然といえば当然だが、可能な限り追い込まれないようにすることは、戦略論的にあまりにも正しい。トリアージに追い込まれるのは、もはや医療崩壊であって、それを回避することが使命なのだというのは、トリアージを論じるさいにテクニカルな思考に押されて忘れがちな前提である。
後者の「患者事前指示書」(上のネット画面)は、終末期を含めた医療について、具体的に事前に文書で書いておくものである。たとえば、集中治療室に入れられることを望むのかそうでないのか、終末治療はどうするのか、それぞれ具体的に書いて文書に残し、なるだけ頻繁に書きなおしておく。スイスではこの指示書の普及を奨励しているが、それはコロナ感染拡大などの医療崩壊だけを前提としたものではなく、医療の意味を前もって深く考え納得しておくためである。
スイス医学アカデミーのホームページでは冒頭で「この患者指示書は自己決定のための道具である」と規定している。つまり、自分の病気の治療のみならず、自分の死を自分で決めるための手段となるわけである。いわば、自分の死を自分の意志によるものとする仕組みでもあるのだ。
もちろん、こうしたスイスの医療が理念どおり、制度の目標のとおりに機能しているというわけではないかもしれない。また、わたしはスイスという国家や社会が好きだというわけでもない。患者事前指示書もスイスだけの特色ではないし(たとえばオーストラリアも採用している)、完璧に普及しているわけでもない。しかし、これまで見てきた各国の取り組みのなかで、日本人の死生観や文化、また、医療制度や社会体質を考えても、ある程度、議論のさいに参考にできるものではないかと思われる。
もちろん、遺書がそうであるように、元気な時に書いて示した意志が、死の直前でも同じであるかについては問題がある。ましてや、自分の死については、どこまで意志を貫けるかの難問もある。しかし、コロナが引き起こした危機状態のなかだからこそ、こうした事項について真剣に考えることが、可能になっていると思われるのである。
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