コロナ恐慌からの脱出(8)ルーズベルトの「未知との遭遇」

1929年10月のニューヨーク株価大暴落に始まる不況に対し、当時のフーバー大統領は効果的な対策を打ち出せず、ずるずると不況は長期化し、世界中にまるでパンデミックのように広がっていった。それが反転して見る間に回復するのは、1933年にルーズベルトが大統領となり、ニューディール政策を実行するようになってから、ということになっている。

それは間違いではないが、あまりにも単純化した「死と再生」の神話というべきだろう。すでに第1回で述べたように、こうした話は後から作られたルーズベルト伝説であって、そこにはケインズ経済学が大きな役割を果たしたという、これもまた完全に嘘ではないが留保が必要なサブ神話が付けられている。

ルーズベルトが大統領に当選したとき、彼の前には繁栄から転落して失業率25%の悲惨な不況にはまり込んだアメリカの荒野が広がっていた。そして、何よりも「恐怖」を生み出したのは、不況が、規模においても、また、期間においても、まったくアメリカ史上類がない「未知との遭遇」だったことである。それまでも、不況は繰り返し訪れていた。しかし、この不況はなぜこんなに巨大で長期なのか。

ひところまで、この大不況はケインズ経済学による財政出動によって終止符を打ち、アメリカは史上最悪の失業率から抜け出したと説明する一般向け書籍が多かった。しかし、ルーズベルト政権が行った財政出動はそれほどの規模ではなかった。1929年から33年までに民間投資が150億ドル減少したのに、34年の財政赤字は29億ドル、36年でも31億ドルにとどまっている。

しかも、ルーズベルト自身は財政均衡論者だったので、1936年に大統領に再選すると財政支出を抑えるようになってしまい、翌年から38年には再び不況が襲うことになる。この不況は「ルーズベルト不況」と呼ばれたことはすでに述べた。

また、雇用政策として採用されたのは、ひたすら財政支出を拡大するやり方ではなく、テネシー川流域開発などの公共事業、民間資源保存局の大量雇用、全国産業復興法による時短と賃金確保、農業調整法による生産量の調整など、新事業や制度を通じた政策だった。しかも、1934年には全国産業復興法や農業調整法などが、最高裁で「違憲」との判決を受けている。

さらに、政権成立直後に「バンク・ホリデー」を断行しているが、その評価は後々まで賛否の議論が尽きない。このバンク・ホリデーとは、1931年に取り付け騒ぎなどに始まる銀行倒産が多発して金融市場がマヒしたが、再発を防ぐためにすべての銀行を休業にし、その間、再開すべき銀行と廃業すべき銀行を仕分けしようとするものだった。これは2000年代になって、日本の金融庁がやった金融機関および融資の格付けなど、むしろ「構造改革」の発想に近いが、当時は基準となる銀行の評価法や廃業に伴う影響を低下させる手法がほとんどなかったので恣意的で裁量的なものとなった。

このバンク・ホリデーは回復への転機となった英断とされていたが、戦後になって激しく批判したのはミルトン・フリードマンだった。彼はシュウォーツとの共著『アメリカの金融政策史』のなかで、取り付け騒ぎなどは回避できたから、バンク・ホリデーも必要なかったはずで、余計なことをしたために金融がガタガタになった。「この治療はほとんど病気そのものよりも悪かった」と述べている。

大恐慌の研究家であるピーター・テミンも、フリードマンとは異なる視点から、バンク・ホリデーそのものは評価しなかった。取り付け騒ぎが産業全体に及ぼした影響は意外に小さく、したがってバンク・ホリデーなどは必要なかったと述べた。何か意義があるとすれば、ルーズベルト政権が、その後の金融政策のための「支配力」を手にしたという点だったという。

金融緩和については、第5回で述べたように、2000年代になって財政政策よりも金融政策のほうが、大恐慌から脱出するのにずっと多く貢献したという説が有力になり、クリスチーナ・ローマーの大恐慌に関する小論文などがやたらに注目された時期がある。ところが、2008年にリーマンショックが起こると、ローマー自身も財政政策優先に傾斜してしまったので、恐慌脱出についての彼女の論文はあまり顧みられなくなってしまう。

もう1世紀近く前の大恐慌の解釈において、そのときそのときの経済的課題や学説の流行によって、何が恐慌を引き起こした原因だったのかという議論も、何が恐慌脱出に貢献したかという議論もコロコロ変わる。いま到来しつつあるコロナ恐慌からの脱出を考えるさいに、こうしたご都合主義は障害以外の何物でもない。

ただし、多くの論点が指摘され、さらに、すべての経済学者ではないものの、いくつかの点で共通の認識が見られるようになってきた。そのひとつは、たとえ金融政策に注目する場合でも、財政政策は不要だったなどという、極端な議論はすでに鳴りを潜めたことだ。いまでは、そんな説が論じられていたのかと呆れる者のほうが多いだろう。

ある高名な安倍政権のアドバイザーは、最初は金融政策であるインフレターゲット政策だけで景気回復が可能であるかのように語っていた。ところが、なかなか目的が達成されないと分かると「シムズ理論」といわれる財政支出を継続させる議論を導入して、あたかも新しい理論が生まれたかのように論じ始めた。しかし、このシムズ理論と呼ばれているものは「物価水準の財政理論(FTPL)」のことであって、すでによく知られていたものだったので、呆れた経済学者も多かった。

たしかに、ルーズベルト政権の財政出動は、当初、それほど大きくはなかった。巨大化して累積赤字が終戦時に対GDP120%にも上昇するのは、1941年後、つまり、第二次世界大戦に参戦してからである。しかし、前述した「ルーズベルト不況」でわかるように、それほど巨大でなかった時期でも、それをやめてしまえば影響は甚大だった。その意味で財政出動は、恐慌期と戦時期をまたいで継続したルーズベルト政権において、際立った経済政策だったのである。

もうひとつの共通認識は、戦間期に世界経済を支えているとされていた金本位制が不況の大きな原因となり、そしてまた大恐慌からの脱出のさいに、この金本位制からの離脱が大きな決め手になっていたということである。これはすでに、アイケングリーン、サックス、そしてバーナンキなどのデータと統計学を駆使した研究が一致した結論を導きだしている。

ルーズベルト政権が、大恐慌を前にして新しい経済政策を打ち出そうとしたとき、ほとんど恐慌脱出についての理論らしい理論はなかったといってよい。財政政策に効果があるように思えても、ケインズの『一般理論』は刊行されていなかった。また、金融政策についても為替システムについての共通した認識は確立していなかった。最初から大恐慌からの脱出ノウハウが存在したわけではない。ルーズベルトのアメリカ再生物語は後世のつくりものなのだ。

たしかに、目の前のコロナ恐慌においては、これまでになかった新型コロナウイルスの感染拡大という新ファクターが大きい。しかし、それは遅くとも1~2年のうちに見通しが得られると思われる。たしかに今回の新型コロナは「新型」だが、類似のウイルスについての経験がないわけではない。同じ感染症でも、インフルエンザ的なものになるか、エイズ的なものになるか、麻疹的なものになるかは不明だが、医学的あるいは感染学的に一定の対応策が構想されていくだろう。すべてが「未知」ではないのだ。

そして、それまでの間、私たちに危機を乗り切るための経済理論や政策手段がまったくないわけではない。そのままは適用できないにしても、組み合わせや新しい手法の追加によって、何らかの成果を得られるのは確かである。経済分野においても、すべてが「未知」ではない。

その意味ではルーズベルト時代ほどの「恐れ」を感じる必要はない。もちろん、それは時間を必要とする。新型コロナウイルスの研究とともに、これから何より必要なのはしばらくの忍耐と予断のない歴史の再検討ということになる。

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コロナ恐慌からの脱出(8)ルーズベルトの「未知との遭遇」” に対して1件のコメントがあります。

  1. 飯窪成幸 より:

    東谷さん
    もう一本コメントをお許しください。
    たしかに一年か二年かすればコロナウイルスは克服できると思います。しかし、その間に不可逆的変化が、社会に起きると思います。IT社会化というのは基本的に働く人たちの非対面化を促進するものでしたが、今回のコロナ禍はそれに竿刺すもだと思います。これは同質性の高いことを強味としていた、日本型経済社会が激変を迫られることになるでしょう。直接顔突き合わせてコミュニケーションとることが、リスクになるのですから。現場の強さ、すり合わせ能力の高さなどは、ジジイのたわ言となるのではないか。
    普段いっていた飲食店のうちの相当数はつぶれるでしょう。私の行くところはネットでの
    発信などしていないところが大半ですから、コロナ禍が終わっても元のようにはいかないでしょう。
    私はポストコロナにはバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災以上の不可逆的変化が起こると思います。それは人々の日常レベルの生活の仕方に及ぶものと思います。
    この点、東谷さんはいかが思われますか?
    映画館に行けない、居酒屋で酒が飲めない状態が一年以上も続いているあいだに、我々はずいぶん違った人間になってしまうのではないでしょうか。

    1. komodon-z より:

      飯窪様
      アルビン・トフラーが1980年に刊行した『第三の波』で、在宅勤務が広がっていくと予言して話題になりました。このとき、トフラーが考えていたのは、約1割の人間が在宅勤務をすれば、社会に劇的な変化が生まれるといっていたのです。せいぜい1割のことを考えていたわけです。彼が論じていた変化というのは、たとえば交通渋滞がかなり緩和されることでした。今回のコロナ騒動では、すでにビデオ店が苦境に陥り、アマゾンのプライムによる配信が脚光を浴びて、同社の株価が急上昇しました。では、コロナ騒動が終わったあと、トフラーも想定していなかったような非接触世界が来るのでしょうか。
      私はそうは思いません。たしかに、非接触的コミュニケーションが割合として増えるとは思いますが、在宅勤務が2割になるというような変化はないと思います。1~2年のコロナ耐乏時代が終わったあとは、徐々に戻っていくのではないでしょうか。これは文化人類学などが指摘してきたように、また、すでにアリストテレスが古代において指摘したように(笑)、人間は社会的動物であって、接触する性向が生物的に組み込まれていると思われるからです。トフラーがもてはやされているころに、アメリカではネイスビッツという男が「ハイタッチ」を提唱して、「人間は同じ映画館で映画を観て、ともに笑いともに泣きたいのだ」といいました。これは、100%ではないですが、80%くらいは正しい指摘だったと思います。
      ただし、ビジネスとしてはコロナ騒動をきっかけに、選択肢としての非接触コミュニケーションは増えていくと思います。これも人間という動物の選択肢が多いことを喜ぶという性質のなせるわざです。しかし、そのいっぽうで選択肢が多すぎると不幸になるという性質もあるので、流行りの問題かもしれません。
      まあ、もっともご存知のように、アマゾンがここまで繁栄するとは予測できなかった人間=私が言っているので、ほんとうにどうなるかは分かりません。いわゆるテレビ会議がここまで使われるようになるとも思いませんでした。しかし、緊急事態宣言が発せられても、危険をおかして接触コミュニケーションに出かける人間が存在しているのですから、そうした性質はかなり根強い。記号を介した非接触コミュニケーションが増えても、接触への志向が劇的に減っていくとは思えません。あえてトフラーに倣っていえば、まず約1割の変化がどれほどの影響を与えるか、また、その約1割がどれほどのビジネスチャンスをもたらすかと、とりあえずは考えておいていいのではないかと、小生は思っております。

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