フク兄さんとの哲学対話(13)フランシス・ベーコンの幻影と真実

新型コロナウイルス騒動で、急に仕事が入ったりしたので、ずいぶんと間が空いてしまった。そのせいもあったと思うが、今回は、フク兄さんのほうから声をかけてくれて、わたしの仕事場に出向いてくれた。しかも、何やら紙袋を背負っているではないか。でも、こういうときこそ、油断してはならないと自分に言い聞かせる。いつものように、( )内はわたしの独白。

フク兄さん いや~、あんまり連絡がないので、新型コロナに感染してしまったのではないかと心配したぞ。まあ、元気そうなので安心したぞよ。

わたし すみません。こちらから、連絡しなくちゃならないのだけど、いくつか仕事が重なっちゃったんで……。では、さっそく話を始めるけど、今日はフランシス・ベーコンという英国の哲学者について考えてみたいと思っていたんだよ。

フク兄さん ほう、ベーコンか。わしはカリカリにしたのが好きじゃ。ほっほっほ。

わたし ……え~と、(最初からおやじギャグじゃ、先が思いやられるなあ)この人は16世紀から17世紀にかけての英国、まさに絶対王政時代のエリザベス1世から、次のジェームズ1世の時代にかけて活躍した人物で、日本では「知は力なり」という言葉で知られている。ほんとうは、「知識と力は合一する」と書いているのだけど、合一なんだから「知は力なり」と簡潔にいったほうが分かりいいということだったんだろうね。

フク兄さん というと、知識をため込むと権力を持てるということなのか。それとも、人間の力量が拡大するという意味なのかのう。(お、けっこうまともなこと、言うじゃないか)

わたし 両方の意味があると思うけれど、この言葉は『ノヴム・オルガヌム(新機関)』という本の中にでてきて、この前後は「人間と自然との関係」について書いてあるので、後者だと解釈したほうがいいね。事実、この言葉の後に、「自然は服従することによってでなければ征服されない」と続く。自然について謙虚に探究していくことで、自然を利用できるようになる、という意味であることは間違いないからね。

フク兄さん じゃ、ベーコンさんという人は、自然科学者なのかな。

わたし もちろん、当時の知識人は何でも勉強しちゃうんで、自然科学的な知識もあったけれど、何をしていた人かといえば、いまでいう政府高官あるいは裁判所長官といったところなんだ。ともかく、エリザベス1世に仕えて、さらにジェームズ1世のときには大法官という、行政と司法のトップに近い地位にまで登り詰めている。

フク兄さん う~ん、わしの苦手なタイプじゃな。財務省長官とか最高裁判事なんて、あんまり興味もてんのう~。

わたし そう言うんじゃないかと思ったけど、このベーコンは出世のピークに達したあたりで、汚職疑惑で有罪になって大転落。短期間だけど、当時、監獄につかわれていたロンドン塔にぶち込まれてしまう。

フク兄さん おお、それはドラマチックじゃな。そんなに悪い奴だったのか? ほっほっほ、わくわくするぞ。

わたし 彼は生まれからして貴族中の貴族で、父親も大法官と国璽尚書(内大臣)を務めたニコラス・ベーコンで、その次男として生まれている。子供のころから神童で、ケンブリッジ大学では哲学に熱中したといわれる。

フク兄さん また、神童くんか。哲学者って、みんな神童なんじゃな。そこが実につまらんと思うのじゃが。しかも、大臣の息子……ま、話を聞こうか。

わたし ま、ここまでは頭のいい貴族の息子なんだけど、ベーコンは哲学を勉強しているうちに、当時のスコラ哲学の基礎になっていたアリストテレス哲学に、嫌悪ともいうべき反発を覚えるようになった。こんなのやってると、人間、ますます馬鹿になってしまう、ということだね。そこから、ベーコンの哲学は新時代を開く正しい方法論といった色彩を帯びることになるんだ。

フク兄さん あ、そうじゃ。(なにしてるんだ? あ、あの袋か)あのな、ベーさんが、かみさんがこれを持っていけというので、もってきたのじゃよ。

わたし あ、信州の酒、「七笑」じゃないか。へ~、フク兄さんがお酒もってくるなんて、思いもよらなかったなあ。……ええと、フク兄さんはコップ酒だったね。さあさあ、……

フク兄さん おとととと、……ぐび、ぐび、ぐび、ぷふぁ~! おお、なかなかいい。これは旨い。さあ、お前も、どうじゃ。小さな盃じゃなあ。

わたし おとととと、グビっ、……いいねえ。……さて、ベーコンの哲学だけど、比較的若いころに書いた『学問の進歩』には、ダメな学問が3つ挙げられている。「3つの病気」と呼んでいるんだけど、まず第1は、「空想的な学問」であって、嘘くさい根拠や軽々しく信じてしまったことを前提にして組み立てた説だね。第2は、「論争的な学問」、ただ単に細かいところにこだわってイチャモンつけたり、用語の違いをことさらに強調するような傾向のある学説。そして、第3が、「衒学的な学問」で、必要もないのに古代の話をあれこれ展開してみたり、よけいで冗長な論証をしてみせたりする。

フクにいさん ふ~ん、それはいまの世の中で学者といわれている人間が、いつもやっていることじゃないのかのう。

わたし そうなんだね。空想的で論争的で衒学的な「新しい学問」を、あれこれでっちあげたり、思いつかないときは外国からもってきて、さらに権威付けしたりする。これで日本は救われる、みたいなことをいうんだ。……ま、こうした3つの病気に騙されたり、自分が陥ったりしないようにしろと、ベーコンは述べているわけなんだ。

フクにいさん なんだか、いい気持ちになってきたぞよ。おお、信州の風がそよいでいるような。

わたし フク兄さん、まだ話は終わっていないんだからね。これから、ベーコンの有名な「イドラの説」について見てみるんだから。……あ、おととと、あんまり注がないでよ、酔っぱらうじゃないか。

フク兄さん 大丈夫じゃよ、これしき。……それで、そのヒドラはどうなったんじゃ?

わたし ヒドラじゃなくて、イドラだよ。これは「幻影」とか「誤り」とかの意味で、正しいものとか真実とかを意味するイデアの反対の概念として使われているんだけどね。ヒック……(なんだか、いい気持ちだなあ)。それで、この「イドラの説」は、主著といわれる『ノヴム・オルガヌム』に登場してくるんだけど、これも誤謬を避けるための方法として論じられている。

フク兄さん なんだか、イドラって怪物みたいじゃな、ほっほっほ。

わたし そう、そう。まさに、イドラは正しい思考を邪魔する怪物たちなんだ。4つあって、まず、第1番目が「種族のイドラ」というんだけど、これは人間という種族であるがゆえに、陥ってしまう間違いのことなんだ。人間の感覚というのは、実は、人間中心に出来ていて、自然や宇宙をそのまま知覚できるようにはなっていない。そこで、多くの思い違いが生まれてしまう。

フク兄さん それは分かる。太陽のまわりを地球が回っているのに、感覚では地球のまわりを太陽が回っているとしか思えない。本当のことを知るためには、あれこれ工夫がいるからのう。

わたし 第2番目が「洞窟のイドラ」。これは種族じゃなくて、まったく個人の性格のために、本当のことが分からなくなってしまう事態だ。自分が何かを好きだと、他の人も好きかと思ってしまうというのが典型的だね。食べ物の好き嫌いくらいなら大したことはないけれど、これが集団のトップの場合に起こると、その集団がとんでもない悲劇にあってしまうことになる。

フク兄さん これは分かりやすい。「洞窟」というのが、いかにもせまっ苦しい感じで、ダメなリーダーの狭量を表している感じがするのう。

わたし これはおそらく、プラトンの『国家』のなかの、認識力の限界について述べた部分からの転用だね。さて、第3番目のイドラが「市場のイドラ」。これは人間相互の接触と交際から起こる間違いで、不適切な言葉づかいによる間違った理解が問題になっている。「市場」というのは、人が行き交う場という意味なんだろうね。だから、現代社会の場合にはマスコミを思い浮かべてもいい。

フク兄さん マスコミでなくとも、親しい者同士の間でも、誤解は生まれやすいし、そもそも、本当のことなど口にしない者のほうが多いのじゃから、このイドラは怪物そのものじゃなあ。

わたし 第4番目が「劇場のイドラ」というのだけど、この劇場というのは「舞台で演じられるものの脚本」という意味。人々に読まれている哲学の本とか、思想の本とかが、かえって人々がものごとを正しく捉える邪魔をするということらしい。これは、現代でもよくあることで、テレビで発言している評論家が、いかにも本当らしいことをいうと、なんとなく分かったような気がしてしまうよね。

フク兄さん ………。(あ、また居眠りだ)

わたし フク兄さん、フク兄さん!

フク兄さん ……ん、あ、大丈夫じゃよ。劇場のイドラじゃろ。そう、そう、劇場じゃよ。

わたし こんなふうに、ベーコンは正しく認識するために、その努力を邪魔する病気や怪物を指摘したんだけれど、じゃあ、自分の人生は間違いがなかったのかといえば、まったくそうじゃなかった。たとえば、優秀な若い貴族としてエリザベス1世の寵愛を得られそうだったのに、下院議員の時代に下院に対する圧力を糾弾するような演説をして、エリザベスの不興を買ってしまい、重職への候補に挙がっても女王が裁可しなかった。また、スペイン艦隊を撃破したエセックス伯とは仲がよかったが、エセックスが傲慢になって大失敗したとき、ベーコンが彼を告訴する役割を担うという、きわめて冷酷なことをしている。

フク兄さん さっき言っていた、汚職の件はどうだったのじゃ?

わたし それこそ大失態で、当時の英国における法制度上の重職には、政府からは手当が出ないものがあり、手続き料というかたちで報酬を得るという習慣があった。ベーコンの汚職というのも、まだ裁判が続いているときに、被告になっている者から手続き料を受け取ってしまった、という説は有力なんだよね。つまり、裁判の最中じゃなければ、ベーコンのやったことは慣習上のことだったのに、そうじゃなかったので汚職だとして有罪になってしまったというわけだ。

フク兄さん ふむ、ふむ。でも、それは微妙じゃな。わしは、このベーコンさんというのは、もう少し悪者でもいいような気がするな。

わたし 20世紀の伝記作家リットン・ストレイチーは『エリザベスとエセックス』という小説的な伝記で、エリザベス1世と寵愛を得た若いエセックス伯との「恋愛」を描いたのだけれど、この作品のなかでベーコンは優秀だけど拝金主義の人物として描かれている。とくに、自分の利害のために友人のエセックスを死刑にしてしまう、まさに冷血というべき人間にされているんだね。ん~と、……たしかに、ベーコンは乱費癖があったので、袖の下を要求するのはいつものことだったという説もあって、いっていることと、やっていることの差が大きな、謎めいた人物と見るのも無理はないかもしれない。え~と、………

フク兄さん いや~、今日は怪しげな人間の話だったので、あんまり眠くならないで、最後まで話が聞けたのう。そもそも、神童くんだったり大秀才で、理想主義みたいのばっかりでは、ほんとうの歴史にはならないからの。そもそも、おまえは人間という種族について勉強が浅い。まさに種族のイドラに欺かれておる……ん? どうしたのじゃ?

わたし …………。

フク兄さん なんじゃ、今日は弟のほうが寝てしまっちょる。ほっほっほ。

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