バーナード・マンデヴィル;経済学を旅する(3)

バーナード・マンデヴィル
『蜂の寓話』1705/1723
欲望にもとづく人間の行動が秩序を作り上げる

正式の名前が、バーナード・ド・マンデヴィル。繁栄をきわめたオランダのロッテルダムの名家に生まれた。医学を学び神経系の医師となったが、哲学に強い興味を持っていて、思索するのが好きだったといわれる。

彼の名前が登場するのは、たいがい政府の締め付けが厳しいとか、検察が強権をふるっているとか、清貧が推奨されるとか、ともかく人びとが鬱屈した生活を強いられる時期だというのは偶然ではない。なぜなら、マンデヴィルは経済の繁栄のためには、締め付けが悪いということを述べたからである。

面白いのは、経済思想ではまったく対立するケインズとハイエクが、両方ともマンデヴィルを高く評価したことだ。その評価の理由の微妙な違いは本文を読んでいただくことにするが、ヨーロッパの経済が急速に発達していくなかで、育っていった思想の核心を、このマンデヴィルが言い当てていたからだろう。

しかし、その思想の核心を生々しく遠慮なしに語るには、やはり、リスクがあるのは今も昔も変わりがない。いまでも、新型コロナウイルスの蔓延に苦しむ政府が、国民に自粛を要請しても、それにまっこうから反論するのは、かなり覚悟のいることだろう。それが、たとえ何分かの正しさがあっても、である。

マンデヴィルは、最初はパロディ的な詩で自分の言いたいことを述べたが、そのときは注目されず、解説書を自分で書かねばならなかった。ところが、この解説書を刊行すると、激しい批判が起こって雑誌で弁明せざるをえなくなる。いまでいえば、ネット上で炎上してしまったので、記者会見を開いて自分の言いたかったことを説明したようなものかもしれない。

そうした苦労の作が、数百年後の代表的経済学者2人に高く評価されるというのは、思想家としては幸福だったというべきだろう。また、この本も幸福な本といえる。ただし、彼の人生が幸福だったかはわからない。62歳の時に亡くなっているが、原因はインフルエンザ・ウイルスの感染だったとされている。

悪徳が公益になると唱える神経科の医師

神経科医バーナード・マンデヴィルが、一七〇五年に寓意詩「ブンブンうなる蜂の巣──悪者が正直者になる話」を発表したとき、それほどの評判は呼ばなかった。この詩に「注釈」をつけた『蜂の寓話』を一七一四年に出版したときも、ほとんど反響がなかった。多くの読者を獲得したのは、一七二三年刊行の増補版『蜂の寓話 私悪すなわち公益』(法政大学出版局)からだった。

この増補版の売れ行きは凄まじく、市民はもとより若い学生たちも競って読んだといわれる。そこまではよかったが、ミドルセックス州大陪審がこの本を告発し、激しい論難が『ロンドン・ジャーナル』紙に掲載された。マンデヴィルは悪徳が公益になると人々をかどわかしているというわけである。

彼は『ロンドン・ジャーナル』に弁明を寄稿し、「もしも『私悪すなわち公益』という言葉が、善意の人間を怒らせたとすれば残念である。ひとたびそれが正しく理解されると、その謎はすぐに明らかにされるのだ」と反論。さらに一七二九年には『続・蜂の寓話』を刊行して批判に応えた。

マンデヴィルが描く蜂の巣は、「奢侈と安楽に暮らす蜂でいっぱい」の「ひろびろとした蜂の巣」だった。しかし、そこには不正や欺瞞が満ち溢れていた。

こうして悪徳は巧妙さをはぐくみ

それが時間と精励に結びついて、

たいへんな程度にまで生活の便宜や

まことの快楽や慰安や安楽を高め、

おかげで貧乏人の生活でさえ

以前の金持ちよりよくなって

足りないものはもうなかった

ところが、あるとき「王侯のような財産を築きあげた者が 『つのる欺瞞のために国家が滅びるぞ』と なんら臆することなく大声でさけんだ」。この声を切っ掛けに、蜂の巣からは「たちまち欺瞞はうせて だれの心にも正直がみなぎる」。その結果、蜂の巣から繁栄はみるみる消滅していった。

自負と奢侈が減るにつれ

海からもしだいに去っていく。

個々の商人ではなく仲間ぐるみで

いまや製造所をみんな取り払う

工芸や技芸はすっかり捨てられ

精励の消滅のもとである満足は

人々にありきたりの物品を賞賛させ

もっと求めたり欲したりはさせない。

詩の最後には「教訓」が付され、「ひどい悪徳もなく安楽に暮らそうなどは 頭脳にのみ巣くうユートピアだ」と蜂の巣の物語を締めくくっている。マンデヴィルは「注釈」のなかで次のように論じる。

「人間は欲望によって奮起させられるとき以外、けっして努力しない。欲望が眠ったままでさましてくれるものがないかぎり、人間の卓越性や能力はいつまでも隠れたままであろうし、情念の影響がないぼんやりした機械のような人間は、風がそよともしないときの大きな風車にたとえてよいかもしれない」

奢侈が繁栄を促し、欲望が秩序を作る

繁栄には奢侈や欺瞞がつきものだが、だからといって悪徳を非難して清貧と正直を推奨しても、住みよい社会にはならないというメッセージは、分かりにくいものではない。日本でも江戸時代、水野忠邦による天保の改革期に贈収賄が横行した田沼時代と比較し「水の清きに耐えかねて いまは懐かし田沼の水」と詠われたし、七〇年代のバブル的な田中政治を懐かしむ議論はいまも多い。

しかし、繁栄と裏腹な関係にある悪徳を臆面もなく正面から論じ、しかも公衆に寓意詩をもって説いたのは、マンデヴィルが始めてだったろう。しかも、彼はこの悪徳の存在が、経済の繁栄のみならず、社会の進展にも必要であることを示唆している。

マンデヴィルの生涯は、実はあまりよく分かっていない。一六七〇年、オランダのロッッテルダムで生まれ、ライデン大学で哲学と医学を学び、いまでいう神経科の医師となった。その後、英語を学ぶためにロンドンに渡り、ロンドンで開業しているうちに、イギリスに帰化してしまった。思想的にはラ・ロシュフーコーやトマス・ホッブズの影響が大きいといわれる。

その後、一部で根強い支持をうけたマンデヴィルの思想は、大多数の人間にとっては批判すべき対象であり続けた。しかし、経済学の歴史において、誰よりも『蜂の寓話』に見られる奢侈の意味を高く評価したのはジョン・メイナード・ケインズだった。

彼は『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)のなかで消費の大切さを説き、マンデヴィルを取りあげて「われわれはここで『蜂の寓話』を想い起こす──明日の陽気さは今日の沈痛さに存在理由を与えるために絶対に不可欠である」と記している。さらにケインズはマンデヴィルの「国民を幸福にしいわゆる繁栄させるための重要な方法は、すべての者に雇われる機会をあたえることにある」という言葉を引いて、自分の雇用政策の正当性を論じた。

これに対し、マンデヴィルの意義を「進歩と秩序の自生的形成」という考え方に「決定的な突破口を開いた」ことに求めたのがフリードリヒ・フォン・ハイエクである。

彼は「医学博士バーナード・マンデヴィル」(『市場・知識・自由』ミネルヴァ書房に所収)で、「マンデヴィルが関心をもっていたことは、人間が意識的に作ったのではない制度が、諸個人の異なる利害の一致をもたらす、ということであった」と指摘している。ハイエクの立場からすれば、デビッド・ヒュームやアダム・スミスにおいて顕著になるこの思想は、マンデヴィルにこそ、その源泉を求めることができるのである。

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