新型コロナの第2波に備える(5)コロナワクチン陰謀説を検証する

新型コロナウイルスのワクチンが現実のものとなるにつれて、ワクチンをめぐる陰謀説が広がっている。たとえば、マイクロソフト社の創始者であるビル・ゲイツが、コロナワクチンの普及に乗り出したのは、「ワクチン接種を利用して、子供たちにマイクロチップを植え込む陰謀だ」などというのがあるが、これほど荒唐無稽にもかかわらず流布している。

もちろん、コロナワクチンをめぐる製薬会社の激しい開発競争や、ロシアのハッカーを使ったワクチン情報盗取疑惑などにみられる国家間の陰謀などが、こうした根も葉もない陰謀説の背景となる雰囲気を作り出しているわけだ。いま膨らみつつあるのは、ワクチンが完成しても陰謀説のために、接種を受け入れる人が激減するのではないかという懸念である。

英経済誌『ジ・エコノミスト』8月29日号は「コロナワクチン陰謀説が集団免疫を妨害するかもしれない」という記事を掲載している。さまざまな陰謀説についての紹介というより、世論調査によるワクチンへの信頼度の分析が中心なのだが、もちろん、深刻だった過去の具体例も挙げている。

1998年、英国の医師で生物医学研究者のアンドリュー・ウェイクフィールドが、医学誌『ランセット』誌に「新三種混合ワクチン予防接種で自閉症になる」という論文を発表した。この論文は2010年に撤回されたにもかかわらず、ウェイクフィールドは麻疹ワクチン反対運動の英雄に祭り上げられ、結果として世界の子供たちの麻疹感染を増加させることとなった。

類似のケースは他にもあって、インフルエンザのある治療薬は飛び降り自殺をうながすとか、ある種の癌防止のためのワクチンは副作用がひどいので廃止すべきだという運動を生み出している。ワクチンの副作用は必ず存在するが、その発生確率、副作用の程度、実際の効果を考量して適切に評価する以前に、反対運動のほうが拡大してしまうわけである。

新しい病気については、歴史的にみれば、ほぼ必ずといってよいほど、陰謀説や他国発生説が流布する。古くは新大陸より梅毒がもたらされたさい、フランスでは「ドイツ病」と呼ばれ、ドイツでは「フランス病」と呼ばれた。スペイン風邪についても、発生した場所は不明だったのに、第一次世界大戦に参戦していなかったスペインが、流行の状況を詳細に発表したため、あたかも発生地であるかのようにみなされ命名されてしまった。

エイズについても、多くの陰謀説や根拠のない差別を伴ったフェイク情報が飛び交った。エイズがアメリカ国内に流行したときには、レーガン大統領が同性愛者を嫌っているので、その撲滅のために流行らしているという陰謀説が生まれた。私はこの話をリアルタイムで米週刊誌『タイム』で読んで驚いたことを覚えている。

もうひとつ、しばしば登場する医療関係の陰謀説に、癌特効薬隠蔽説がある。これはアメリカの医療陰謀説のテーマのひとつで本も何冊か存在するが、要するに本当は癌の特効薬はすでに存在するのに、製薬会社が損をするので業界まるごと、存在しないことにしているという話だ。癌が簡単に治るとなれば、これまで膨大な開発費がかかった癌治療薬が売れなくなってしまう。癌の特効薬を開発すれば巨万の富を得られるという「常識」を、あえてひっくり返したところに、この陰謀説の根強い浸透力がある。

今回、『ジ・エコノミスト』が紹介しているのは、こうした流言蜚語の類というよりは、むしろ世論調査にもとづくワクチンへの「偏見」と「信頼」の度合いである(左図)。もちろん、たとえ社会の一部でも偏見が蔓延すれば流言蜚語の温床となるから、ワクチンへの非合理的な陰謀説が信頼を損ねる力をもってしまう危険は大いにある。

同誌によれば、NPOである反デジタルヘイトセンターのデータでは、英語圏の5800万人が、麻疹ワクチンが自閉症を生み出すという類の説を信じてしまっている。チャリティ団体のウエルカム・トラストによる調査では、こうした説はむしろ裕福な国において流布しており、ワクチンが安全だと思っている人は70%弱にすぎない。そのいっぽうで、西アフリカの85%、南アジアの95%の人たちがワクチンは安全だと信じている。

「こうした現象が起こるのは、裕福な国の住民が医療研究に信頼をおいていないからではない。そうではなくて、逆に彼らが貧しい国の住民より、医者や科学への信頼をもっているからなのだ。悲しいことに、多くの人はウェイクフィールド氏やその同類たちを、信頼できる専門家と見間違ってしまうのである」

『ジ・エコノミスト』はさらに、アメリカの共和党支持者と民主党支持者との違いをグラフにして提示している(右図)。アメリカ人の少なくとも85%は麻疹の接種は子供に安全だと思っている。しかし、支持政党によってコロナワクチンについては、かなりの違いがあることが明らかになっている。共和党支持者は37%しかワクチン接種を受ける気がない。これは民主党支持者の61%が接種を受けようとしているのと大きな違いだというわけだ。

「こうしたコロナワクチンへの態度はコロナウイルスを撲滅しようとしている政府にとっては悪いニュースである。前出のウエルカム・トラストのデータでは、他の国のコロナワクチンへの信頼度はアメリカ以下の50%くらいしかない」

これはワクチン接種が、集団免疫を本当に形成できるか否かがまだ明確になっていないせいかもしれないと同誌は述べている。集団免疫が形成されるのは40~70%の人が免疫を持つことが必要だとされているからだともいう。しかし、日本についていうと、このグラフで分かるように(上図)、コロナワクチンへの期待は異様に低い。30%くらいしかないのだ。これは日本が他国ほどコロナ禍で苦しんでいないせいなのか、それともワクチンは危険という説が根づいたせいだろうか。

いま日本ではワクチンについて流言蜚語が飛び交っている状態にはない。しかし、「日本人はすでに免疫がある」とか「日本には第2波はこない」とかの説が、まことしやかに雑誌やネットで語られている。もちろん、こうした説の多くは肝心の部分の根拠に欠けるものだが、そんな説でも日本でのワクチン接種を阻害する要因になる危険性はある。同誌は「ワクチンを開発するのは大変だったが、ワクチンを接種するのはもっと困難なことになるかもしれない」と締めくくっている。

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