TPPの現在(16)大統領の促進権限失効で遠ざかる米国の復帰

包括的自由貿易協定を迅速に批准するのに必要な「大統領貿易促進権限(TPA)」がこの7月1日で期限切れとなった。今か今かとアメリカのTPP復帰を待っている人もいるなかで、このTPA期限切れは、ますますバイデン大統領をTPPから遠ざけるのは間違いない。すこし回想的な話が多くなるが、TPP問題の経緯について知らない人もいる時代になったので、あえて書いておくことにしたい。

そもそも、小規模な4カ国TPPを乗っ取るかたちで、環太平洋地域の貿易権益を確保しようとしたのがアメリカ版拡大TPPだった。なかには最初のTPPも、アメリカが前もって仕掛けておいたものだったと論じる人もいた。ところが、2015年にようやく調印にこぎつけたというのに、2017年にトランプ前大統領が離脱を表明する。そこでオーストラリアと日本などがとりまとめて、CPTPP(TPP11)の形で2018年3月に再調印したのが現在のTPPである。

細かい経緯はこの「TPPの現在」シリーズ(文末にリンクがあります)を眺めていただきたいが、要するにアメリカはグローバル・インバランスのために国際経済が不安定になっているとの建て前で、日本の農業に多くの負担を負わせ、自国の貿易圏と雇用を確保しようとした。しかし、トランプが大統領候補として登場してTPPを攻撃し始めると、対立候補のヒラリーまでもが「私のTPPではない」と言い出し、国内労働者の批判をかわす方向へと向かった。

では、アメリカが離脱した後のCPTPPが、どれほど参加国に利益をもたらしたのだろうか。不思議なことにこのテーマは、経済紙や経済誌ではまったくといってよいほどお目にかからない。もちろん、まだ発効してから3年ほどしか経ていないので、数字によって計測するのが難しいのは分かる。しかし、それにしても、日本のマスコミのほとんどが賛成したというのに、「こんなにうまくいっています」という話がないのはおかしな話である。

しかたがないので、かなり印象論的になるが、試しにいくつかの参加国についてデータを見てみよう。ニッセイ基礎研究所の「経済・金融フラッシュ」の2019年7月号で、ASIANのなかの参加国が、CPTTPが成立してからコロナ禍が始まるまでの貿易を鳥瞰することができる。まず、ASEAN6カ国の輸出を見ると、2016年から2017年までは増加したが、以降は急速に下落している。2018年にCPTPPが発効したシンガポールは2017年までは輸出の伸びがみられるが、2018年以降はむしろ下落している。

他の国、たとえば、カナダはどうだろうか。ジェトロの資料を見ると、この国は2017年から2018年にかけて、輸出が大幅に伸びたので注目された。では、輸出先としてはどこが大きかったのだろうか。TPPを離脱したはずのアメリカである。カナダとアメリカとの間には、この時点で自由貿易協定のNAFTAがあったので、原油価格が上昇したことにより、金額においては対米輸出が貢献して大きな伸びとなったわけである。

さらに、オーストラリアをやはりジェトロの資料で見てみよう。オーストラリアは2018年にCPTPPが発効すると、急速に輸出入が上昇している。そのため、あたかもCPTPPの効果が表れたように見えるが、もちろんそうではない。この時期に急速に貿易を拡大したのは、CPTPPとは関係ない中国であった(最近は中国との関係は最悪となった)。しかも、この時点でもアメリカとの間に、2005年以来の米豪FTA(自由貿易協定)が存在していたわけで、そもそもオーストラリアはTPPは必要ないともいわれていたのである。

このように、2~3年で計測しても、それぞれの国の状況があって、一般論としては効果を測れない。そこで10年とか20年とかの長期で、しかも各国間の取引を盛り込んで全体で見るわけだが、すでにTPPが登場したときには、そうした効果を予想する精密なシミュレーションのテクニックが発達していた。

そのテクニックをプロが応用して計測してみると、10年でGDPの上昇率が日本の場合0.54% アメリカが0.09%だった。しかし、それでは1年に0.05%、0・009%程度の貢献になって、あまりにも迫力がない。そこで日本の官庁や米国のシンクタンクが、シナジー効果とかの他の要素をいれて、効果があるかのように見せかけたという話はすでに述べたことがある(TPPの現在(2)安倍政権のデータ加工にあきれる)。

TPP問題が登場した2010年から翌年にかけては、賛成派が経済効果を強調するので、私を含む反対派はシミュレーションの数値をあげて、いかに少ないかを指摘した。すると賛成派は「実は、これは政治的なテーマなのだ」と言い出し、論点をずらしてしまうことが多かった。もちろん、政治的側面があることは間違いないが、経済効果がないのにTPPを締結するなら、それなりの重要な政治的側面を指摘しなければならないはずである。それが単に「アメリカの御意向だから」というのでは、あまりに説得力がなかった。

ある農政学者は、全国を駆け回ってTPP反対を唱えていたが、ある日、自宅に帰ると外務省の官僚たちが待ち構えていて「先生には手を引いていただきたい。これは農業問題ではなく外交問題なんです」といったというので呆れたという。しかし、いまは中国の存在感が大きくなったことにより、貿易のルールをつくる経問題というよりは、最初から政治・外交問題として議論されるようになった。これは状況が変わったためだが、それ以前の経緯を忘れてしまうと、TPPが最初からいまの状況を予測して、日本のために登場したかのように錯覚してしまう。

たとえば、ウォールストリート紙4月16日付に掲載された「日本は米国に戻ってきてほしいが、それは待つしかない」という記事には、日本のシンクタンクに勤める研究者が「日本はTPPをアジアのグランド・ストラテジーだと考えている」と言ったという話が出てくる。グランド・ストラテジーというのは自国の大戦略のことで、アメリカの始めたアメリカ本位の経済協定をそう呼ぶのは、属国根性丸出しというしかない。

アメリカは最初は環太平洋の既得権を確保し、国内の雇用を少しばかり増やせればいいと思っていたわけだが、中国については「関与策」に基づいてTPPに巻き込むプランが主流で、そのため政策シンクタンクが中心となり、アメリカと中国が両輪となって長期的には統合されるTPPが構想されたりしていたのである。

結局、アメリカにしてみれば、TPPであろうとFTAであろうと、国内向けの政治的課題のほうが大きいので、ある程度の自由貿易が可能になっていれば、手段の種類にそれほど固執する必要がないのである。オバマが多国間経済協定にこだわり、トランプが個々の国との自由貿易協定で進めても、そのときの国内の政治的課題が優先するのは、これまでのアメリカの経済外交の常識だった。

現在のバイデン大統領からみれば、中国がRCEPを締結して多くのアジア諸国を参加させることに成功したため、議会や産業界に焦りが生まれているのは気になるだろう。しかし、そのいっぽうで、トランプ時代に強調された、製造業での雇用創出という課題を考えれば、国内雇用を減らすと言われるTPPへの参加は、「知らぬ顔」をしていたほうが有利なのである。

もちろん、これに対して日本は今度こそ自国の戦略で対峙しなくてはならない。ただし、それが日本に切実な問題だから「グランド・ストラテジーと呼ぼう」というのでは、従属性もここに極まれりということになる。どこまでいっても問題を整理しきれず堂々巡りなのは、日本が本気で政治・軍事的に相対的独立を考えていないからで、この肝心の点をタブーにするかぎり、TPPを日本にとって適切に位置づけることなどできないのである。

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