TPPの現在(4)農協バッシングの陰湿            

 自民党はもともと高度成長期に「農民票」に依存することで長期政権を維持した政党である。それが、農業人口が激減して農村が票田であることをやめると、党の内部に大きな亀裂が生まれることになった。いうまでもなく、農民票にまだ依存せざるをえない議員とそうでない議員では、農業政策においてまったく異なる考え方をするようになったのである。

 興味深かったのは石破茂氏で、まだ地方創生大臣だったころに、農業が衰退しているのは自民党が悪いと雑誌で率直に語ったことがあった。日本の農業に改革が必要だったのに、それをやらなかったのは自民党が怠慢だったからだというわけだ。ところが、では、これからどうするかという話になると、市場に適合して打って出ることが必要だと論じた。

 しかし、ハイテク産業やソフト産業ならそれでもいいが、農業については市場志向だけで活力が戻るわけではない。アメリカでもEUでも、どのように農業に援助していくか、その方法が問われているのである。こうした単純な発想をもつ政治家が大勢いる国に対して、アメリカがTPP戦略を仕掛けるのは容易だったろう。

 そうした単純な発想が民主党政権時代の「開国」であり、自民党政権に移ってからの「農協改革」にほかならない。アメリカがTPP戦略を展開しているさなか、日本の農業および農産物についてどう考えていたかは、TPP(12のほう)が妥結直前になったとき、アメリカ農務省が発表したシミュレーションの数字をみればよい。

 恐るべきことに、TPPによって新たに生じる農産物貿易の全体のうち、日本はその約7割を引き受けることになっていた。つまり、日本はひたすら農産物を輸入して、参加諸国にしっかりと「貢献」しなくてはならなかったのである。安倍晋三政権は日本の農産物輸出を拡大するとプロパガンダしてきたが、そんな話がかすんでしまうようなアメリカの自分勝手な思惑であった。

 実は、私は、いくらなんでも自民党なのだから、TPPの交渉においてコメだけは交渉の例外品目として守ると思っていた。米韓FTAでは韓国ですら例外品目にしたのである。ところが安倍政権はそんな配慮もなく、アメリカの自動車関税2.5%の撤廃を求めるためコメの追加引き受けを認め、そして結果的に自動車の2.5%はお預けにされた。

 今回の日米FTAでコメの対アメリカ国別枠7万トンを引き下げるなどといっているが、もともと国別枠は政府が備蓄米として買うのだから日本市場には関係ない。アメリカにとっても、いまコメの価格が上昇しているのだから、無理をして日本に売る必要はないのだ。

 安倍首相はアメリカとの関係を円滑にしたいのに、農協は激しく反対運動を展開したので、「農協改革」に踏み切った。その過程や駆け引きについては複雑なので、何冊も出版された本を参考にしていただきたい。ここでは、その「農協改革」というものが、いったいどのような性格をもっていたのかだけ記しておきたい。

 自民党はこのTPPの署名から批准に向けての難しい時期に、ほとんど「素人」(本人も言っていた)の小泉進次郎を農林部会長に抜擢した。浪花節的なマスコミは、これを安倍首相が進次郎に「試練」を与えたのだと報じていたが、試したことは確かだろう。

 ただし、その顧問格として老練な農林族の西川公也を貼りつかせた。派手なパフォーマンスのさいには進次郎が語り、難しい話になると背後霊のように貼りついている西川が助言した。進次郎は与えられた役どころを、かなり着実に演じたといえるのではないだろうか。もちろん、それは安倍政権による農協バッシングの性格をよく表現したという意味である。

 2016年1月13日、小泉進次郎は突然、「農林中金はいらない!」と雄叫びを上げた。「農林中金は全体の融資額の0.1%しか農業に融資していないから」だというのである。事情の分かった人たちは「あほか」と思うしかなかったが、進次郎称賛マスコミは素晴らしい指摘であるかのように報じた。

 しかし、農林中央金庫というのは、JA系金融機関のなかで、他の金融機関が投資できなかった資金を吸い上げて、リターンの大きな投資先に投資する「資金運用機関」なのだから、わざわざ末端の農家や農業団体に投資するわけがないのである。どこに投資しているかというと、そのほとんどをウォール街にもっていって投資する。農林中金はもうすでに、世界有数の「投資銀行」として知られているのである。

 不思議なことにJA系の幹部たちの反応は、実に「紳士的」だった。奥野長衞全中会長(当時)などは穏やかに「農家への融資は現場のJAなどが行っている。機会があれば小泉氏に会って話したい」と言っただけだった。機会があればじゃないだろ。直談判して発言を撤回させるべきではないのか。さすが奥野会長は就任したさい「黒子に徹します」と述べただけあって、相手の機嫌を損ねることを言うのは嫌らしい。しかし、圧力団体の長が黒子に徹してどうするのか。

 河野良雄農林中金理事長も、2週間近くたってから「言われたことに真っ向から反論するつもりはないし、反論すべきでもないと思う。JAバンク全体の仕組みについて説明不足ですね」などと語っただけだった。しかし、農林系金融機関は全体で農業への投資が日本全国の60%を超えていたのだから、堂々と説明すべきだった。安倍首相が強行に農協改革(正確には農協破壊)を振りかざし、特に金融についての制度改変をチラつかせたので、とりあえずあたりさわりのないことを言ったのだろうか。

 このJA系金融について、関係者たちがいちばん恐れているのが、JA系バンクへの預金を農業に従事する「正会員」だけに限定し、すでに5割を超えてしまった「準会員」は禁じるという措置である。JAの集会には何度も講演に出かけたが、ある農耕地帯で開かれた大会で、某幹部と話しているときに、「それがいちばん気になりますね」と語っていた。安倍政権がそれを示唆しただけで、JA系バンクから預金を引き揚げる人たちが大勢いるとのことだった。

 小泉進次郎はその後もパフォーマンス要員として、刺激的な発言を繰り返した。同年3月30日には、こんどは「日本の農機は高い。韓国なら7割で買える」とのたまった。これも同月9日に公益法人日本農業法人協会が、日本の農家が使うトラクターや農薬の価格が韓国より3割くらい高いとする調査結果を公表していたからだろう。

 しかし、これも当たり前なのである。なぜなら、この当時、ウォンの為替レートで円換算すると、韓国の物価は日本の7割くらいだったからである。また、当時の平均給与を比べても、韓国は日本の約7割だった。そういう国で同等のものを売るには、7割くらいの価格に抑えるのが当然である。しかも、同じ日本製のトラクターは韓国で約7割の価格であるだけでなく、日本で売られている同型機種には装備されている電子回路が、ついてないということも後に分かった。

 前出の日本農業法人の薄っぺらなレポートを読むと、ほんの数日の調査しかやっていないし、しかも、こうした円換算のやりかたも荒っぽいものだった。一部の農薬や肥料では価格が半分という目を引くデータもあったが、袋の中身が本当に同じなのか、品質も同等なのかについてはまったく触れていなかった。

 こんな杜撰な発言でも、久しぶりに登場した若手政治家のホープで、一強の首相が背後に控えているとなると、当たり前の突っ込みが行なわれないのである。まあ、TPPについてはほとんどの新聞、テレビがまだ内容も明らかでないのに最初から「賛成」だったのだから、その最大の反対者であるJA系は何を言われてもしかたないと、農業担当の記者たちは思ったのかもしれない。

 こうしたJAバッシングのなかで、最も陰湿でバカバカしいものが「バターの品不足」と「バター不足ホクレン主犯説」である。まだ記憶に新しい人もいるだろうが、日本のスーパーからバターが姿を消したのは2014年から翌年にかけてであった。代用品や輸入ものが市場に投入されても、あっという間に売れてしまうという事態だった。

 2016年3月31日に規制改革委員会のワーキング・グループが「生乳の自由取引を行なうべきだ」と主張して話題になった。そうすると、バター不足がなくなるというわけだ。翌朝、私はあるラジオ番組でコメントを求められ、「ひところあったバター不足は政府の自作自演ですよ」と発言して、アナウンサーが困ったような顔をしたのを覚えている。

 これは、実は、簡単な話なのだ。バターを輸入しているのは農水省系の独立行政法人農畜産業振興機構(alic)であり、不足しそうだと予測すると輸入を増やして品切れや価格高騰を防ぐのが任務である。ところが、この機構が不思議な行動をとったことがある。2013年、猛暑のために生乳の生産量が下落したので、本来なら輸入を増やすべきだろう。ところが、この年、いつもの3分の1以下の輸入にとどめているのである。

 ちょっと細かいが、数字を見てみよう。2011年9000トン、2012年14000トン、2013年3000トン、2014年13000トン……というわけだ。以降はこんな減少は見られない。これは、取材をして証言を取っておくべきだったが、わざわざ猛暑の年に激減させた理由といえば、やはりTPPを推進するためにJA系と対立していた、安倍政権への「忖度」と考えるのが妥当ではないだろうか。事実、「バター不足は農協のせい。とくに北海道のホクレンだ。TPPに入ればバターは品切れがなくなり安くなる」と主張する発言や番組が溢れた。

 これには異説がある。いちおう紹介しておこう。ある農水省キャリアOBで、JA批判で有名な人物だが、若いころには酪農政策の担当をしたこともあるという。この人物が2016年3月刊の本で、2013年に振興機構が極端に輸入を減らしたのは、前年暮れに自民党が政権に復活したため、自民党の酪農系議員に文句を言われないように、わざと減らしたのだろうと述べている。

 ちょっと分かりにくいが、酪農団体はつねにバターや生乳の価格が下落することを嫌うから、政権に復活した酪農系議員にゴマをするために、わざわざ輸入量を3分の1以下にして価格を吊り上げる方向に向かわせたのだというのである。まあ、これは政権というよりは酪農族への「忖度」ということになるが、この説がおかしいのは、バター不足がはなはだしい場合には、当然、(そして事実そうなったが)農水系あるいは酪農系の議員およびその支援団体に、消費者の批判が向く危険もあるのを忘れていることだ。

 しかも、この農水省OBは次のようにも書いているのである。
「このような中で、alic(独立行政法人農畜産業振興機構)が輸入しすぎて、国内の牛乳・乳製品が緩和すると、酪農団体と乳業メーカーとの乳価交渉に影響を与える。酪農団体の交渉ポジションが悪くなると、その原因を作った農林水産省の責任が問われる。自民党農林族からの評価が下がると、省内の出世に響く。また、酪農界から需給回復のための追加の対策を講じるよう要求されると、財政当局との関係もおかしくなる。このようなことを考えると、輸入は抑制されたものとなる」

 つまり、この農水OBは、対象が安倍首相であるか酪農系議員であるかはともかくとして、農水省系独立行政法人(官僚の天下り先)での「忖度」があったことは認めている。しかも、不思議なことに、このような違法すれすれの「忖度」を行なうことを、あたかも官僚たちにとっては当然のことのように書いて平然としているのである。これには読んでいて呆れざるを得なかった。少しはこの「エリート意識」を隠そうとするのが普通ではないのだろうか。

 政府のプロパガンダで踊ってTPPが素晴らしいものだと思い込んだ人は、「だから、ともかくTPPに参加してしまえば、バターは安くなるからそれでいい」というかもしれない。しかし、ここでまず問題にすべきなのは「バターの品不足を阻止して価格高騰を回避する」のが任務であるはずの官僚たちが、自分たちの保身のために影響の大きいバター不足を人工的に引き起こしており、しかも、同じ官僚経験者はそのことに罪の意識も嫌悪も持っていないということなのである。

 そして重要なのは、TPPへの参加・不参加にかかわらず、バターの供給をいまのような管理貿易をからめて行なうことにしている限り、バターが自由貿易になるということはありえない。そしてそれは、日本人が新鮮な牛乳を飲み続けたいと思うかぎり、自国で作ったバターを食べたいと思うかぎり続くだろう。TPPは万能でないどころか、犠牲を払わずに経済問題を解決できる、お手軽な魔法の杖でもないのである。

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TPPの現在(2)安倍政権のデータ加工に呆れる
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日米FTAのみじめさ;TPPに参加した当然の帰結

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