フク兄さんとの哲学対話(7)デカルトあるいは自然から作為へ

さきごろ、家族みんなで諏訪に旅行してきた。2泊3日の短い旅だったが、2度目ということもあり、楽しみどころは分かっていたので、気持ちのうえで余裕があった。帰京するとフク兄さんは、旅の気分が薄らぐ前に対話したいといいだした。どんな魂胆なんだろうか。例によって( )内はわたしの独白である。

フク兄さん このあいだは本当に楽しかったのう。諏訪は何度行っても心が洗われるような気持になる。やっぱり4つの諏訪神社と諏訪湖が、空気を清浄にしておるのじゃろうなあ。そもそも……

わたし あ、諏訪の話はまたゆっくりやることにして、フク兄さんが話題にしたいといっていたのは、例のデカルトの「明晰にして判明」ということだったよね。僕がこの言葉を口にしたら、「それは誰の言葉じゃ」と、めずらしく興味をもった。

フク兄さん ああ、それはデカルトさんの言葉か。いつだったか、デカルトさんの話をしたことがあったのう。

わたし そうそう、デカルトの「我思うゆえに我あり」が、実は、中世の神学者たちの神の存在証明のなかから出てきたロジック、あるいはレトリックの延長線上にあるというような話をしたんだね。

フク兄さん そう、そう(ほんとに分かっているのかな)。

わたし デカルト自身も神の存在証明を試みているように、神を信じているのが中世で、信じなくなるのが近代だ、というわけではないんだ。それでも、デカルトは『方法論序説』などが読まれて、近代哲学の始祖であるということにされている。

フク兄さん ふん、ふん。でも、それはどうしてなんじゃろ。

わたし ある説によると、ドイツで哲学史を編もうとしたさいに、誰が近代哲学の始祖かと考えて、やっぱり「我思うゆえに我あり」と自我を前面に押し出し、その姿勢が「明晰にして判明」だと言い切ったデカルトだろうということになったらしい。だから、そのことに懐疑的な哲学史家などは、「レンズ磨きを始祖に祭り上げた」などということもある。

フク兄さん そもそも「元祖」とか「本家」というのは、いいかげんな話がついて回るからのう。日本でも味噌ラーメンの元祖はどの店だとか、アメリカではハンバーグの本家は誰だとか……、いつまでたっても決まらない。

わたし ただ、デカルトには始祖といわれる要素がいくつかあったことも確かなんだ。まず、近代の特色である世界の数学化について積極的だったし、また、数学上の発見もしていた。世界を数学的に見たのはガリレオからだという説があるけれど、それを思想として表現したのはデカルトかもしれない。現象学のフッサールなども、数学化の先駆としてはガリレオをあげながら、思想的に論じたのはデカルトだった。

フク兄さん なんでも数字にしないと気が済まないやつはおるからのう。

わたし それと、ちょっと変わった解釈では、デカルトは中世から近代への変化を、自然から人為への転換として示した哲学者だという思想史家もいる。ドイツのフランツ・ボルケナウという思想史家で、フランクフルト研究所にいたことからも分かるようにマルクス主義者。そのボルケナウは、デカルトは自然の普遍性を説明するさいに、広く流布している法律の普遍性をとりあげながら論じたので、デカルトにおいては「一般に妥当する規範の概念は、法律の世界が自然の法則に書き換えられている」と指摘している。

フク兄さん なんかよく分からんが、それはどういう意味があるんじゃ?

わたし つまり、デカルトの意識において自然(ナチュール)の普遍性は、人為的(キュンストリッヒ)な法律によってダブルイメージされていたというわけなんだ。ここには、自然と人為の転倒が起こっている。敢えて言えば、デカルトは人為(クンスト)にこそ普遍性をみているというわけだね。そしてボルケナウはデカルトを、自然が支配すると見られていた中世の世界観から、人為が支配する近代の世界観への橋渡しをした思想家と考えているわけだよ。もちろん、ここでいう自然とはカトリック教会のいう神の秩序なんだけどね。

フク兄さん う~ん、頭が動かないようになってきたから、そろそろ、例のものをいただこうぞ。あれじゃよ、あれ……。

わたし しょうがないなあ、いちばん肝心な話をしているのに……。ま、諏訪で買ってきた真澄があるから、ちょっとだけ出すか。

フク兄さん おお、香りもよいのう~。うぐ、うぐ、うぐ、ぷふぁ~! おお、まさに真澄の名のとおり透明な味わいじゃ。これこそ「明晰にして判明」というべきじゃろう。

わたし 戦前、この自然と人為との対立と移行を論じたボルケナウの『封建的世界像から近代的世界像へ』を読んで、丸山真男という政治思想史家は、江戸時代の思想史に応用したんだ。丸山は「自然」と「作為」という言葉を使っているけれど、これはボルケナウのナチュールとクンストの翻訳とみていいだろうね。丸山は江戸時代の思想家でこの橋渡しをしたのが荻生徂徠だと主張した。

フク兄さん ……、ふむ、……。

わたし たしかに徂徠は朱子学の自然よりも、変動する政治の作為を重視したわけだけれど、そう簡単に西洋思想史とパラレルに考えていいかは別の問題だよね。ようやく最近になってこの構図を疑う日本政治思想の専門家が多くなってきたけれど、ひところは丸山の自然から作為への移行が近代化のメルクマールとされていたんだ。……あれ、兄さん、兄さん、……ああ、また寝てしまった。やれ、やれ。

フク兄さん …………ZZZZ。

わたし なんだか気持ちよさそうだなあ。明晰にして判明な眠りだな、これは。

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