TPPの現在(1)日米FTAの悲惨

 さる8月25日、G7に出席していた安倍晋三首相とトランプ大統領が、あたふたと会談して、同月23日に閣僚協議で基本合意した日米貿易交渉について、9月下旬に決着させると発表した。予定されていなかった発表で、日本記者団はほとんど蚊帳の外だったらしい。要するに、トランプ大統領が安倍首相を無理やり従えて、アメリカ側が優位に進めた交渉の勝利を印象づけたわけである。

 マスコミは「日本ではTAG(物品貿易協定)と呼ばれているが、本当は日米FTA(自由貿易協定)そのものだ」とか、「茂木大臣は一定の成果があったように語っているが、ほとんどアメリカのペースだった」とか報じているが、いまさらそんなことは言われなくとも分かっている。言われれば言われるだけ暗い気持ちになるだけである。そんななかで、茂木敏充担当相を評価する向きがあるのは呆れるしかない。

 そもそも、TPP(環太平洋経済パートナーシップ)の交渉では押しまくられて、何らかの成果をあげるどころか、交渉中も当時の甘利明担当相はアメリカのパシリまで務めた。あげくの果て、トランプがせっかく離脱してくれたのに、日本政府は何を思ったか、TPP11などというものをまとめ上げて、トランプ様のご帰還を願う掃き清めまでやったのである。その結果、トランプにやりたいようにやられて、「日本の交渉力もなかなかのものだ」などというほうがおかしいだろう。

 今回の閣僚協議後、さまざまな論者がコメントしたが、TPP反対派が「これはTAGではなく日米FTAだ」というのは現実そのままで、ちょっと芸がないとは思ったが当然の反応だったろう。ところが、面白いことに、TPP推進派の理論的支柱だった人物が「こんな日米FTAなんていらない」と憤慨しているのである。「悪いものでも食べたのですか」と聞いてみたいところだが、しかし、これも憤慨の論文を読む前に内容が推測できてしまう。

 この論者は日本農業を愛する(と信じている)がゆえに、TPPによって日本農業にカツを入れることを夢見ていた。ところが、TPPが批准されてもそれが起こりそうにないことに失望した。TPPからトランプが離脱してからは、トランプが反省してTPPに復帰するさいに、日本の貿易交渉上の地位が向上すると思いこんでいたのである。

 しかし、TPPというものがアメリカの勝手で始まったものであり、そこから離脱したのもアメリカの勝手であり、そして、日米FTAもアメリカの勝手なのに、安倍政権はすべての局面でアメリカの勝手に恭順の意を示してきた。そんな国がここにいたって何らかの交渉力を発揮できると思うほうが甘い。そもそも、最初のTPPに屈折した期待を寄せたのが間違いだったのである。

 こうしたTAGをめぐる騒動、あるいは日米FTAをめぐる狂乱を記録しておくのも悪くないと思ったのだが、考えてみればTPPが日本に降臨してから、つまり、当時の菅直人首相が国会で突如「TPPに参加します」といってから、なんと、9年にもなろうとしているのである。

 こんどの悲惨な日米FTAはその帰結のひとつなのだ。その間、たんなる物書きとしてではあったが、何らかのかたちでかかわってきた者として、いちどここらで振り返ってみる必要があるのではないかと思うようになった。おそらく、数回のことと思われるが、お付き合いいただければ幸いである。

 いまTPPを巡る事件や論争を振り返ってまっさきに思い出すのは、雑誌にTPPについて書いたり、あるいは講演に呼ばれて会場で話すさいに、けっこう「いったいTPPとは何なのか」を説明するのがけっこう難しかったことだ。「そんなの簡単ではないか。環太平洋経済パートナーシップ、つまりアメリカを中心とする地域経済協定だよ」というのは、答えになっていない。それでは、TPPはなぜ登場してきたのかが分からないのである。

 雑誌の編集者と話したり、講演先の担当者と打ち合わせすると、必ず出てくるのが「グローバリズムはやっかいですねえ」とか「グローバリズムは危険ですな」という話だった。つまり、TPPというのはグローバリズムで、グローバリズムは恐ろしいから、TPPは恐ろしいということになるわけである。しかし、実は、私はこれでは堂々巡りになってしまって、何も言ったことにならないのではないかと思っていた。いや、それどころかグローバリズムの意味が明確でないのだ。

 TPPについてはアメリカの政治家や高官たちの発言から、かなりの程度までその意図を推測することができた。TPPが登場してきたのは、アメリカがリーマンショックによる金融危機の後始末の時期であり、しかも、オバマ大統領は「わが国の輸出を2倍にしてみせます」と宣言していた。さらに、このときの米通商代表部のカーク代表が「サービスは輸出を3倍にします」と平仄を合わせている。

 リーマンショックの当時のアメリカは、金融システムがガタガタになっただけでなく、財とサービスの輸出が振るわなくなり、経常収支がこれまでにないほどの大赤字に転落していた。そして、リーマンショックまでのアメリカ人は、世界の金融をリードしていたが、世界中から大量のモノを買い続けていたので、経常収支のインバランスが生まれていた。これを「グローバル・インバランス」と呼んで、それがリーマンショックを生みだす原因であると示唆する研究もあった。

 これが国際マクロ経済学からみた当時の状況だから、このグローバル・インバランスが金融危機の原因だろうと思う人がいてもおかしくない。しかし、こう考えるのはちょっと短絡的ではないだろうか。まず、ほんとうにグローバル・インバランスが、リーマンショックの直接の原因だったのだろうか。そしてまた、TPPはアメリカがモノを買うのではなくて売ろうとしているのだから、グローバル・インバランスではなくて、その是正ということになる。それならどうして恐ろしいのだろうか。

BLOGOSより

 まず、国際マクロ経済学からみれば、グローバル・インバランスからリーマンショック後の国際金融危機に陥っていくのだが、この因果関係は必ずしも明らかではない。金融危機の大きな原因はアメリカを中心とした金融の危うい大規模な証券化である。しかも、その前の2000年のバブル崩壊もIT革命というスローガンに踊った投資が過熱してしまった結果である。そして、ITバブル崩壊から金融証券化崩壊までの間、実は、グローバル・インバランスは拡大し続けている。ということは、必ずしもインバランスが拡大すればバブルが崩壊するというわけでもないのだ。

 いまの国際マクロ経済学の初歩を学んで驚くのは、ニュースなどでは悪いことのように報じられる経常収支の赤字拡大は、実は、それほど悪いものでもないとされていることである。1980年代には、アメリカのFRB議長だったポール・ボルカーは、議会で「経常赤字は要するに稼ぐ以上に消費しているということです」と否定的に証言していた。

 ところが、その後、アメリカは経常赤字をあまり嫌わなくなった。なぜなら、アメリカのように経済が繁栄する国は、世界中の投資をひきつけてお金が流れ込むからである。したがって、経常収支が巨大な赤字を生み出していても、資本収支つまり外国からのお金の流れ込む量が同じように巨大であれば、一国の経済はそれなりにバランスすることになる。

 アメリカは1996年、こうした経常収支と資本収支のバランスを目指して、世界中からモノを買い入れ、そして同時に世界中からお金を還流させるしくみを「グローバリゼーション」と呼んで、それを公的文書で政策目標とした。問題は経常収支の赤字ではなく、世界中の投資がアメリカに向かうのに支障が生まれる危険であって、それはアメリカが世界経済の牽引車でありつづければ阻止できるとされたのである。

 では、ITバブルのときにはそれほど深刻には思われなかったのに、なぜ、リーマンショック以後は問題だと考えられるようになったのだろうか。ひとつには金融バブルになって、お金の流れそのものが激しすぎると資金の還流がコントロールができなくなると考えたこと。そしてもうひとつが、製造業などの雇用が生み出されず、金融業やIT分野などの産業だけが繁栄すると、失業者が多くなり格差が大きくなることが明らかだったからだ。

 リーマンショック後の民主党のホープとして大統領になったオバマ大統領は、ともかくもウォール街の暴走を終息させることと、雇用を創り格差を是正することが求められたわけだが、これは実はかなり難しい課題なのである。すでにアメリカは1970年代から製造業は衰退期にはいっていて、80年代には日本やドイツと激しい貿易摩擦を演じた。そのいっぽう、金融やハイテクがアメリカ経済の柱となっていった。この産業構造が根本的な問題なのである。しかし、だからといって昔の産業構造に戻ろうと思ってもできるものではない。とくに巨大な国の産業構造の移行は、経済政策で変えられるどころか、変化の速度を低下させることすら難しいのである。

 オバマが唱えたTPPというのは、この産業構造を少しは変えて雇用を創出するものとして位置づけられていたと思われる。しかし、目をつけたのがTPPだというのが拙速だった。もともと太平洋沿岸の4カ国による経済協定であったオリジナルTPPは規模が小さく、アメリカがそれを乗っ取ることで作り上げた8カ国のTPPもアメリカだけが目立つガリバー型経済協定だった。そこにもうひとつ、巨大な経済大国をいれなければ、アメリカの経常収支にとっては、ほとんど何の効果もないと予想された。

 そこで日本を無理やりに参加させることになるのだが、それでも成果は期待できるようなものにはならないことが運命づけられていた。日本がTPPに参加する話が出てきたころ、シミュレーションを試みた日本の経済学者がいたが、その結果は悲惨だった。日本は十年でGDPを0.54%拡大。そして、アメリカなどは十年でGDPを0.09%押し上げるに過ぎなかった。アメリカのシンクタンクでも同じようなシミュレーションを行ったが、ほとんど同じ結果となった。こうしたTPPをオバマが、グローバル・インバランスの強力な是正策と本気で考えていたとするなら、ほとんど狂人であろう。

 アメリカの経済交渉には、しばしば、非合理的なものが見られる。たとえば、1989年から翌年にかけての「日米構造協議」は、日本の経済構造を変えてアメリカの貿易赤字を減らすというのが目的であり、日本は妥協に妥協を重ねたが、アメリカはほとんどその目的を達成することはできなかった。

 このとき、アメリカの通商代表部で交渉事項のプランニングに携わっていたグレン・フクシマは、後の著作のなかで、それが不可能だと分かっていたが、アメリカ国内を説得する政治的なパフォーマンスとして交渉を進めたのだと述べている。わたしはTPPもかなりの程度、日本の犠牲によって行なわれる傲慢な政治的パフォーマンスだと考えてきた。

 こうしたエピソードを交えながら、この9年のTPPを振り返っていくが、とりあえず今回の結論めいたことをいえば、グローバル・インバランスを維持することでアメリカに繁栄をもたらそうとするのが当初のグローバリズムだった。しかし、それはリーマンショックで危機におちいった。因果関係をしっかりと確かめたわけではなかったと思われるが、とりあえずの絆創膏として、雇用を増やし格差を是正する政策が求められた。そのひとつがTPPだったのである。

 したがって、TPPとは当初のグローバリズムが挫折したことから出てきた政策であり、いわばグローバリズムの是正ではあったが、その規模はアメリカの経済サイズからして余りにも小さかった。こうした話を講演会などで始めてしまうと、会場では首を傾げる人が多くなっていく。「え? TPPってグローバリズムだろ。なにいってんだ、この講師は」。そう思っている人たちが、疑わしそうな眼をわたしに向けたときには、この話をするのは途中でさりげなくやめることもあった。

 しかし、こうしたアメリカ経済をめぐる構図は、いまのトランポノミクスでも同じである。アメリカの経済構造をそのままにして、アメリカの雇用問題と格差を解決しようとすれば、それこそ狂人にならなければならない。それがTPPという「地域経済協定」を使って一見上品に行なわれるか、派手な「ディール」で暴力的にやるかの違いにすぎない。中国とのディールについても、実は、同じことなのである。この点については、これからゆっくり見ていくことにしよう。

●こちらもご覧ください

TPPの現在(2)安倍政権のデータ加工に呆れる
TPPの現在(3)米韓FTAからの警告

日米FTAのみじめさ;TPPに参加した当然の帰結

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