TPPの現在(20)単なるお飾りのIPEFはTPPの代わりにはならない
5月23日、バイデン米大統領は、東京でIPEF(インド太平洋経済枠組み)の始動を表明した。もちろん、日本も参加している。しかし、この「枠組み」について事前に知っていた日本人はどれほどいただろうか。トランプ前大統領が離脱してしまったTPP(環太平洋経済パートナーシップ)の代わりらしいが、それにしても貧弱なのに驚く。
もう、バイデンの表明からしばらくたつのに、このIPEFについて納得のいく説明が日本政府から発信されていない。それどころか、何か論じようという人すらほとんどいないのである。とはいえ、ここまで無視されているのには、何らかの意味もあるだろう。つまり、「無意味の意味」をここで考えておきたい。
かなり露骨に無意味さを指摘しているのが、英経済誌ジ・エコノミスト5月25日号の「アメリカのアジア経済協定:これを経済交渉と呼ぶなかれ」との記事だ。サブタイトルに「中国は招かれなかった」とあるのは、とても本気でつけたものとは思えない。そもそも、中国のRCEPへの対抗上、バイデンが自国内向けにでっちあげたような「枠組み」だからだ。
まず、TPPとの比較からみてみよう。「TPPは21世紀の貿易合意であって、労働者の権利やEコマースルールの高度な標準を提供する」。それに対して「IPEFは21世紀の経済経済アレンジメントである」と、アメリカの国家安全保障担当補佐官ジェイク・サリバンが言っているそうである。また、「IPEFは、TPPと同様に、アジアに貿易の仕組みを打ち立てることを目指している」とのことだ。
いうまでもなく、ジ・エコノミストはこんなことを信じていない。単に、からかって書いているだけなのだ。「2つが同じなのはここまで」と書いて以降が、同誌のシニックな本音のIPEF評価であって、ひとことでいえば「単なる政治的シンボル」なのである。それは、このIPEFがアメリカ議会を通過もしくはk交渉権の委譲を受けたものでないことからも明らかなのだ。
バイデンのチームは、この枠組みを柔軟なものにしたが、それは予想される政治的な「死の罠」(つまり、交渉は成立したのに議会に否決される)を回避するためだった。USTRのキャサリン・タイ代表が議会に決議を求めることなど考えずに、最初から「議会に密着」したものにしたと報告したことに、それは顕著に表れているという。しかも、どうやら推進するのはUSTRではなく米商務省だというのも、政府の内部分裂を示唆しており、すでに推進が停滞することを予感させている。
しかし、そんな「柔軟」な枠組みが、何か経済的に意味のあるものになるわけはない。そもそも、この枠組みには普通の貿易協定に見られるような「関税の引き下げ」が存在していない。つまり、数の上ではRCEPに対抗できていても、内容においては関税引き下げのあるRCEPよりむしろ薄いのだ(図版は日本経済新聞より)。また、継続性も低いと見られている。政治的に見れば2024年にトランプが大統領に復活すれば(可能性はかなりあるとされる)、3日とたたずに廃止されてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
とりあえず、この枠組みを紹介しておこう。第一が、貿易の推進。第二が、サプライチェーンの強化。第三が、インフラの整備とクリーンエネルギー化。第四が、新しい税制の確立と腐敗の防止。参加国はこの4つの分野を選択できるので、ある分野での交渉が他の分野での交渉に差し支える、あるいは取引に使われるということはないという。しかし、そんなことで、国家間の複雑な貿易関係に妥協を生み出すことなどできるのだろうか。これは単なるアメリカの「友好的」な国家のリスト表なのだ。
なかにはTPPもそれぞれのセクションの交渉は独立していて、クロスした(セクションを跨いだ)妥協や圧力は不可能だという人がいるかもしれない。あるTPP推進派の元閣僚で女性研究者と雑誌で対談したとき、そんなことをいうので仰天したことがある。たとえば、日本でいえば農業と自動車はセクションが違うが、農業での妥協が自動車での緩和に使われていたことは自明のことだった。こんどのIPEFは、それを前面に出して、しぶるアジアの小国を誘い込む材料にしているわけだ。
中国のRCEPに対抗しているとはいうものの、ずっと経済的にも内容がなく、単なる員数合わせであることは否定できない。これでは政治的にも意味は薄い。この記事の締めくくりも、同誌らしい皮肉に満ちたものだと言える。「アジアの国々は、バイデンが何らかの形で新しいアジアの貿易戦略を提示してくれることを待ちかねていた。ついにそれはやってきた。たとえそれが経済的潜在力より政治的制約が目立っているとしても。『われわれは、ともかく交渉のテーブルが生まれただけでハッピーですよ』とオーストラリアの代表のひとりは語っている」。これなど、どれほどTPP11における日本のリーダーシップに不安をもっていたかを示しているようにも読める。
結局のところ、この危機状況にあってバイデン政権には、国内の利害関係を調整して、国際経済におけるリーダーシップをとっていく、気力も胆力もないということなのだ。しかも、ウクライナ情勢やオミクロン株のために混乱している中国が、それなりにせこく存在感を増そうとしているいま(たとえば太平洋の島々に)、アメリカはアジアで誠意を示すのに失敗している。あるのは米国内の不安定な世論を騙すことだけではないのか。そしておそらく、それにすら失敗するだろう。
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