TPPの現在(19)アメリカの対中貿易戦略に失望が広がる

アメリカ通商代表部(USTR)のキャサリン・タイ代表が10月4日に行った、中国に対する通商政策に関する演説は、予想されていたとはいえ、大きな失望をもたらしている。これまでとかわり映えしないだけでなく、アメリカが世界貿易と安全保障において、どのような役割を演じるつもりなのか、さっぱり分からなくなってしまったからだ。

「多くの同盟国は、アメリカが世界貿易システムを形成するいかなる期待に対しても、あいまいに自国を引き離したと見ている。それは、9月に中国がCPTPPへの参加を正式に申請した直後だということと無関係ではない。周知のようにCPTPPは、アメリカが推進して成立したTPPから、前トランプ大統領が2017年に脱退した結果生まれた、世界で最大の地域経済協定なのだから」(フィナンシャルタイムズ10月5日付)

同紙はこうしたアメリカの対中国貿易戦略について、かなり批判的だ。「7か月も見直しをしていたにもかかわらず、バイデン政権が貿易戦略を発表してみると、とてもではないが長期の準備が必要だったものとは思えない。なぜなら、それは本質において、トランプ政権のスタンスの延長に過ぎないからである」。

もちろん、同紙はバイデン政権の苦しい立場も分かっている。「この貿易戦略はアメリカ政治のいまの現実を反映したもの」という但し書きを付けていることからもそれは明らかだ。つまり、バイデン政権としては中国との貿易関係を改善するより、国内問題を優先せざるをえない。コロナ禍はまだ終わっていないし、また、経済刺激策がインフレを生み出している。さらには、財政支出が上限に達するなど、微妙な駆け引きが必要な案件が目白押しなのである。

バイデン政権の苦しい立場を多少は考慮しつつも、やはり辛辣な評価をしているのは、ウォールストリート紙も同じだ。「ドナルド・トランプ前大統領の対中貿易政策は、問題の多いものだったが、すくなくとも戦略と呼べるようなものはあった。しかし、ジョー・バイデン大統領の対中貿易戦略は、キャサリン・タイ経済代表部代表の講演から判断するかぎり、トランプ大統領のものと見分けがつかない」(同紙10月4日付)。

興味深いことに、キャサリン・タイ代表の講演は、なかなか雄弁なもので、「中国の改革には期待しない」と明確に断じるなど、口調や表情を見れば、方針がしっかりしているようにも思えるものだったという。ウォールストリート紙10月6日付は次のような論評も与えている。

「タイ通商代表部代表によれば、毎年恒例の米中協議において、アメリカは中国から何らかの改革の約束を取り付けてきたが、その約束というのは『一貫性がなく、確実に履行させるのは不可能』なものだった」という。そして、この数年においても、「ますます国家中心のモデルを強化しており、中国の計画に意味ある改革が含まれていないことが明瞭になっている」とタイ代表は断じてみせているという。

とはいえ、中国の交渉姿勢に「一貫性」がなく、また、「国家中心」であるというのは正しいが、では、アメリカのTPP交渉は、一貫性がありアメリカ国家中心でなかったのかといえば、そんなことはない。そもそも、最初は環太平洋の小さな国の4カ国地域協定だったものを、アメリカが乗っ取って、その位置づけもコロコロ変わった。中国が加盟するのが前提だと宣伝したことすらある。しかし、結局は自国の国内経済・雇用対策に仕立て上げて、参加国への強引な要求を飲ませてできたことは、このシリーズを読んでいただければ明らかである。

CPTPP参加国にとって問題なのは、世界的なコロナ禍がまだ終息しないなかで、中国がTPPへの参加を言い出し、しかも国内問題に忙しいために、アメリカが何らかの対抗措置をとれないことである。そのために、アジアの国々は自国の方向性を決めかねている。前出のフィナンシャルタイムズから引用しておこう。

「アジアにおけるアメリカの同盟諸国は、アメリカのTPP復帰を強く願っている。というのも、経済の裏付けを欠いていては、(中国の拡大主義に対抗する)防衛と安全保障におけるバイデン大統領のインド・太平洋戦略も、半端なものになってしまうからである。そして、時間がたてばたつほどアメリカはCPTPPから遠ざかり、ますますCPTPPの参加国は中国に接近していくことになってしまうだろう」

こうして見れば、少なくともいまのところ「TPP」は、アメリカが自国の経済・雇用対策としてアジアの国々に押し付けたのはいいが、トランプ前大統領が国内の貧困層の人気取りのために離脱したことで、中国の介入を招いたばかりか、自国もジレンマに陥ってしまったのである。かなりの妥協を強要されてきた日本としては白けるが、いっぽう、中国のほうも恒大集団の破綻に端を発した不動産バブル崩壊の危機に瀕している。いま、あわてて対応することが日本にとって最も危険であり、むしろここは慎重に米中の動向を注視すべきだろう。

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