コロナ恐慌からの脱出(27)パンデミック終息後にインフレが来る?

新型コロナから脱却した後、世界の経済はどのように変わるのだろうか。急速に回復に向かうのか、それとも、停滞へと落ち込んでいくのか。おそらく株価は乱高下が予想されるが、では、実体経済はどうなるのか。いまエコノミストたちを悩ませているのが、コロナ禍からの脱出が高いインフレを伴うのではないかとの予想である。

英経済誌ジ・エコノミスト11月12号は「インフレは戻ってくるか?」との特集を組んでいる。社説で「パンデミック後、インフレは戻ってくるか?」を論じ、「インフレの急騰はありえないだろう」とのリポートを掲載して、3つのインフレ到来説を手際よく紹介し、そして、おおむね否定している。

まだ、コロナのパンデミックは続いているのに、気が早すぎると思う人もいるだろう。あるいは、結局否定するなら、なんで特集するんだと憤る人もいるかもしれない。しかし、「ありえそうだが、ないだろうと思う」と「ないと思うけれど、ありそうな気もする」というあたりで、いまのうちに論じておくというのは悪くない。

同誌が取り上げている「3つのインフレ到来説」というのは、第1が「リバウンド説」というべきもので、パンデミックからの立ち直りがオーバーシュートしてしまって、インフレに転じるという説。第2が「人口動態説」といっていいもので、労働力が実はいま希少になりつつあるという説。第3が「政治主導説」というべきもので、財政赤字解消のためにもインフレ政策が有利になるという説である。

まず、リバウンド説だが、パンデミックのあいだ先進国は大規模な金融緩和と財政出動を実行してきたため、コロナ禍という障害がなくなることによって、だぶついたお金が激しく動き回ってインフレにしてしまうというわけである。これは素人目に見ても分かりやすい説だが、そんな状態を政府がそのままほっておくわけがないといわれれば、こんどはそっちが当然のように思われてしまうわけで、根拠がいまひとつといってよい。

とはいえ、ハーバード大学のロバート・バロー教授によれば、これまでの歴史をみると、パンデミックが終わってしばらくするとインフレが始まるというパターンがあるという。たとえば、1918年から1920年のスペイン風邪が終わったあとにも、インフレが起こっていて、これは法則とはいわないまでもパターンとして認められるというわけだ。

次に、人口動態説についてみてみよう。これはパンデミックだけに注目するのではなく、この数十年間、なぜインフレが消えたような状態が生まれたのかを考えてみたほうがいいという。元英国銀行の金融政策部門だったチャールズ・グッドハートが昨年刊行した『巨大な人口動態の逆転』は、インフレには中央銀行の金融政策の影響よりも、人口動態のほうが大きな影響を与えるのだと論じている。

グッドハートが注目するのは世界の労働人口の動態で、この30年ほどは中国の労働力や東欧の労働力が、膨大な規模で供給され続けることによって、労賃の上昇を強く抑え続けていたという。その結果、世界の製造コストは抑えられ、そして、インフレ率も低かったというわけだ。しかし、そうした人口動態の構造は変わりつつあり、いまや労働力は不足しており、中国に見られるように労賃は上昇しつつある。

もうひとつ、政治主導説はいちばん分かりやすいかもしれない。先進国の政府は財政赤字を積み上げてきた結果として、しだいにインフレには寛容になっているという。しかも、パンデミックから脱出できたとしても、これから回復に向かうために財政支出をやめるわけにはいかない。となれば、政策担当者たちはインフレ税(インフレを起こすことで政府負債の実質値を減らす)のかたちで財政をファイナンスしていくことにならざるを得ないというわけである。

この政治主導説は、過去のインフレを思い出せば妥当性が高いように見えないこともない。たとえばアメリカの場合、第2次世界大戦によって生じた財政赤字を解消するため、戦後はインフレ基調にコントロールした。1970年代には平均10%ほどの比較的高いインフレが続いており、FRB議長のポール・ボルカーが貨幣供給を無理やり絞って、インフレを終息させたことは、まぎれもない歴史的事実である。つまり、インフレに甘んじるのか、それとも、インフレを抑えた経済を選ぶのかは、じつは、かなり政治的な判断が大きいというわけである。

もちろん、これらの3つのインフレ到来説には、欠陥もあれば批判の余地もおおいにある。まず、リバウンド説を考えてみると、たしかにパンデミックが終わると心理的にも沸き立って、それまで供給された貨幣が爆発的に使われインフレを引き起こすような気がする。しかし、このていどのことならば対処法がいくらでもある。政府と中央銀行は、すぐに増税か支出抑制を進め、金融引き締めを断行するだろう。また、楽観的とも思われるが金融市場自体の調整もはたらくと考える経済学者もいる。

また、人口動態説だが、ある国の労働力が高価なものになっても、それがすべての国におよぶということは少ない。たとえば、グッドハートが自説の例としている日本を考えた場合、日本経済がインフレを起こさないできたのは、海外から労働力を入れたからというより、安い労働力をもっている国々から製品や半製品を入れたからだというのは正しいだろう。しかし、もしそれが正しいとするならば、中国の労賃が高くなっていっても、その他の労働力の安い国からの輸入に分散すれば(つまりチャイナ+1戦略である)、高インフレになるとは限らないだろう。

さらに、政治主導説が指摘する事態はおおいにあり得ることだが、IMFの財政部長ヴィトール・ガスパールがいったように先進国においては「高齢者は選挙にはよく行くし、インフレは嫌いだ」。つまり、投票率の高い層が資産の目減りを嫌うので、なかなかインフレ策は取りにくいということがある。しばらくは、ゼロ金利にして財政負担をなるだけ低くおさえる政策が継続するのではないかというわけだ。

こうしたパンデミック終息後の経済については、すでにブログのほうでも何度か書いてきた(「ポスト・コロナ社会はどうなる(3)世界を「戦後」経済が待っている」)。わたしは、ジ・エコノミストが取り上げている2番目と3番目はやはり無視できないと思う。とくに、日本の場合、インフレを起こすと主張していたインフレターゲット政策が、それほどの抵抗もなしに支持されたことはまだ記憶に新しい。

また、近年、インフレ率40%を受け入れるというMMTへの関心が高まっているのを見れば、若い人たちにはインフレへの警戒がないといってよい。70年代のインフレがどれほど苦痛をともなったものだったのか、ほとんど知らないからだろう。さらに、中国の経済構造変化の影響を、もっとも強く受けるのは日本経済ではないかと思う。それを避けるには貿易戦略の根本を見直す必要があるが、いまのままでは不可能である。

いずれにせよ、いまインフレが来るかという問題になると、極端な例に話をもっていく傾向があって、それが議論を不毛にしている。議論すべきなのは1970年代の世界的なインフレのレベルであって、10%くらいから20数%のインフレである。このレベルのインフレでも、政権が崩壊したり経済政策の根本的な変更に至ることはありえたのである。今回のコロナ後のインフレもこのレベルで考えるべきだと思う。いきなり、ワイマールとかジンバブエに話をもっていくのは、たんなる「はぐらし」か「ごまかし」にすぎない。

ジ・エコノミストがインフレの到来を特集したというのは、おそらく、こうしたレベルのインフレであり、「ないとは思うが、ありそうな気もする」というスタンスだと思われる。社説のほうの締めくくりが「コロナのパンデミックはわれわれに、希な事態に備える必要を示唆してくれた。インフレの回帰についても同様である」というものであり、リポートも最後に「パンデミックからの回復において、過度なインフレに悩まされることはないだろう。とはいえ、それが保証されているわけではない」と述べているのは、その表れだろう。

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