新型コロナの第5波に備える(2)スウェーデンにも「ファクターX」が登場した
もう先月の話になるが、7月29日に政府の新型コロナ分科会の尾身茂会長が「仮に国民の70%にワクチン接種をしても、残りの30%の人が守られるということは、残念ながらない」と述べて、一部の人たちにショックを与えた。これは、7割の人が免疫をもったとしても、いわゆる「集団免疫」が形成されないということを意味するからだ。
しかし、すでにこれまでのコロナに関するニュースや情報に注目してきた人たちにとっては、集団免疫が成立するには、いくつもの条件が満たされないと難しいと分かっていたのだろう。思ったよりも大きな話題になることはなかった。急速に世界に感染が広がっている時期には、6割から7割の人が免疫を持てば、残りの人たちへの感染は止まるといわれ、さらに、この数値は5割とか、少ない例では2割と算出する研究者すらいた。
そもそも、集団免疫という概念はさまざまに受け止められているが、この問題を考えるには少なくとも次の3つの条件は不可欠らしいと、このサイトやブログのHastugenTodayでも述べてきた。1)限定された均質の空間内であること、2)一定の時間内にワクチンの接種が行われること、3)異種株が生じていないことの3つである。
たとえば、ある都市でワクチンの接種が行われているとしよう。そのさい、この都市が開放的で人の出入りが多いときには免疫保有者の割合上昇が難しく、また、だらだらと長い期間をかけて接種すると、最初のころの人の免疫が薄らいでしまうことになる。さらに、異種株が入り込んできたときには、ワクチンの効果がなくなる場合も起こるわけである。
この3つの条件がなかなか成立しないのは、世界中のワクチン接種の状況を見ていれば分かる。加えて、まだ集団免疫に達したとは言えないのに、それまでの規制を廃棄したり、人の移動が激しくなる巨大なイベントを行なえば、こうした条件がまったく踏みにじられることになるのは、アメリカ、イギリス、そして日本でも明らかなことだろう。
なかには、「そんなことはない。ワクチンの場合は集団免疫をつくることが目的で、いくつも成功してきた」という人がいるかもしれない。しかし、そうした例は実はそれほど多くはない。というのは、パンデミックの原因となるウイルスの性格がさまざまで、麻疹(はしか)やポリオ(小児麻痺)は、いちどできた免疫が継続するお陰で、子供のころに接種しておけばまず感染しない。
しかし、インフルエンザはその年ごとにウイルスの型が違い、しかもワクチンの効果が短期間で終わるため、集団免疫を成立させるにはかなりの強制的な接種が必要とされる。また、エイズなどにいたっては、そもそも抗体ができても、それが症状を抑えることがないから、集団免疫などまったく不可能というウイルスも存在している。
その点、いま人類が対峙している新型コロナ・ウイルスは、いまのところ集団免疫ができるのか、それとも不可能なのか完全には分かっていない。そのため、いまのように集団免疫を達成した国や地域が存在していないのに、あいかわらず集団免疫を達成するにはどうすればいいかという議論がなされているわけである。
少し前にも、スウェーデンの研究グループが、スウェーデンがいったんは集団免疫は達成したが、それが変異株によってふたたび感染が広がったという見解を発表して、いくつかのメディアが取り上げた。周知のように、スウェーデンは昨年7月に当局が「集団免疫を達成した」と宣言したものの、9月ころから再び感染が拡大し、同年末から今年初めにかけては、病床が不足するほどの悲惨な状況となった。
このときの教訓からか、いまスウェーデンのコロナ感染数は激減し、さらに死者数にいたってはほとんどゼロにまで至っているのに、当局は「集団免疫が達成された」というメッセージは出していない。しかし、7月7日にマークス・カールソンとセシリア・ゾーダーバーグ=ノークレア(英語読みです)は「ストックホルムは、限定的な諸規制はあったものの、いくつかのコロナ変異種に対して集団免疫を達成していた」との論文を公開した。
「『コロナの感染数が上昇すれば、それは諸規制への人びとの順守が悪化したからで、感染数が下落すれば、それは順守が改善したから』。この論文はこうした説明に疑問を呈し、抗体保有率の低いレベルでも、感染者数の低下を助けることを示す。言い換えれば、集団免疫の閾値は、以前考えられていたよりも、ずっと低いということである」
これまで、感染者1人が何人に感染させるかという再生産数R0という数値を元に、60~70%という数値が提示されてきた。閾値(%)=(1-1/R0)×100という式が使われ、R0=3とされていたことは、すでに多くの人がご存じだろう。したがって、これまで閾値がもっと低いはずだと論じる人たちは、このR0値がもっと小さいことを主張した。ではカールソンたちはどうなのだろうか。
彼らは、ストックホルム市での感染拡大の第2波と第3波を集中的に論じて、ここには単純に集団免疫だけがかかわっているのではなく、先取免疫(pre-immunity)があると主張している。すでに、何らかの形で(たとえば、第1波で生じた免疫やインフルエンザで生じた免疫などが)交差免疫として働いて、抗体保有の割合が高くなかったのに、集団免疫が達成されつつあり、第2波での急激な感染減少を実現していたという。
「こうしたモデルを、ストックホルム地域の第2波に適用すると、先取免疫の分がすでに62%あり、それに2020年9月までの10%の集団免疫が加わって、合計で72%のレベルの集団免疫が形成されたわけである」
ところが、ストックホルム地域民は、第2波において最初の集団免疫が達成されようとしたとき、変異株による第3波に襲われたので、図版にみるような2瘤ラクダのような形状が生まれたというわけである。そしてこのときも、それまでに形成されていた先取免疫の働きによって、第3波での新たな抗体の形成レベルが低かったのに、集団免疫に到達したということになる。
ここでは詳しく紹介しないが、こうしたモデルというのは数学的に組み立てられていて、その数学モデルはストックホルムのデータを入れると整合性があるとカールソンたちは主張している。それはそうなのだろうが、モデルの正しさは他のケースでも試してみて初めて証明されるべきはずだが、残念ながらこの論文では、たとえばアメリカのニューヨークとか、日本の東京とかといった他の国の例は出てこない。
ただ興味深いのは、彼らはこのように全体の動向(マクロ)は、新たに定義した「集団免疫」「先取免疫」によって決定され、個々の場合(ミクロ)である3密でのシャウト、換気、マスク、その他の要素は、あくまで付随的だとしているが、それらがなくてもいいと言っているわけではない。さらに、ワクチンについても、なるだけ早く接種を進行させることを勧めていて、「すでに免疫があるからもう大丈夫」といったようなことは主張していない。
ここらへんは、この論文をメディカル・ライフ・サイエンスで客観的に紹介している、科学ジャーナリストのサリー・ロバートソンも、ちょっと意外に思ったらしい。「彼らは集団免疫の閾値は以前言われていたものよりずっと低いと主張している。それなのに、彼らの研究はその閾値は不安定なものだといい、さらに、重い症状をもつ変異株を防ぐかどうかは明言できないのである」。したがって、カールソンたちの結論は意外に常識的なものである。
「こうした考察に基づけば、私たちの明確な結論は、それぞれの人たちの悲劇と新型コロナの爆発的感染を避けるためには、ワクチンを高い割合の人々に接種し続けることである」
ちなみに、この論文は公開されているとはいえ、まだ査読が完了していないので、特定の大学や研究機関の見解というわけではない。しかし、この結論からしても、いまのコロナ対策に根本的な変更を加えたり、あるいは、現場のコロナ治療に携わっている人たちの大きな障害になるということはないだろう。
この説はどこか、日本でひところ人口に膾炙した「ファクターX」に似ている。さまざまな説があって、いくつかの有力な説が登場したが、いまだに決め手になるような研究が発表されたとは聞いていない。ほんとうに「ファクターX」が分かれば、それこそ新型コロナ・ウイルスの秘密を解く手がかりになるわけだから、もっと研究が進んでもよいと思うのだが、残念ながらそうはなっていないのだ。
さらに、このスウェーデンの説は、ファクターXと並んで話題になった「日本人にはすでに免疫ができている」という説と似ている。あえていえば、きわめて近い。日本の「すでに免疫ができている」説は、最近、ある現場の医師がこの説には「ほんとうに迷惑した」という意味の苦言を呈していたが、エビデンスも論理も危ういものだった。ある雑誌はこの説に基づいて「第二波は来ない」と表紙に大きく掲げたが、もう第5波まで来ている。
これは推測だが、「すでに免疫ができている」説は自民党の一部の政治家たちに、かなりの程度まで浸透していたのではないかと思われる。とくに、政治決定を行う地位の人たちにとって、日本人としての誇りをふりまわせるだけでなく、ある時期まで思わせぶりに支持して損する説ではなかった。日本のワクチン確保が遅れに遅れたのも、こうした事態にひとつの原因があったのではなかったかと、私は思うのである。
こうした実害をともなった説とは異なり、スウェーデンの先取免疫説は実践上もはるかに穏当であり、いまのところたとえスウェーデンの政権が採用しても、具体的な政策を変える必要がない。ただし、昨年7月に当局が宣言した「スウェーデン集団免疫達成説」の延長線上にあり、馬鹿げたスウェーデン当局の錯誤と、スウェーデンにべったりの日本人コロナ評論家たちの蒙昧が、正当化されてしまう危険があることは確かだろう。
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