新型コロナの第3波に備える(4)スウェーデン方式からのリアルな教訓

スウェーデンの新型コロナ対策は、他の国とはまったく異なっているため、多くの議論を呼んできた。いまだに、激しく批判する米国のテレビ局があるかと思うと、いっぽうでは大成功を収めた例として英国の新聞が手放しで称賛する。しかし、真実はその間にあるというのがいつものことで、同国は何の規制もなく対処したわけでもなければ、国民を締め付けて感染拡大を阻止してきたわけでもない。

英経済誌ジ・エコノミスト10月10日号は「スウェーデン式コロナ対策のリアルな教訓」「いかにしてスウェーデンはコロナの第2波を阻止しようとしているか」の2本を掲載して、穏健に見える同国のコロナ対策の現実を伝えている。同誌は他のメディアが興奮して報道している間も、部分的に報じることはあっても、全体像を描こうとはしなかった。

これは同誌の慎重さのゆえだと思っていたが、やはり、データが揃ってからゆったりとスウェーデン論争に加わったという感じである。ある意味で、ちょっとずるいのだが、まあ、これがジ・エコノミストのやり方なのだろう。そして、論調は中庸をとるという凡庸に見えるものの、私たちにとっても教訓となる事実をいくつか確実に提示している。

「スウェーデンのファンが、同国の政府は感染拡大の最初の局面において、ライトタッチで臨んだと主張するのは正しい。大人数の集会を禁じて多くのアドバイスを提示するいっぽう、包括的なロックダウンは拒否した。とはいえ、それがすべて成功したというわけではない。同国は死亡率において、フィンランドやノルウェーの10倍に相当する10万人当たり約60人という数値を記録した。同国の自由は経済を犠牲にはしなかったが、それでも引退した高齢者に多くの死者を出している。第2四半期のGDPは8.3%縮小して、他の北欧諸国より悪い成績である。高い感染率が経済にとってはマイナスだったのだ」

まず、これが全体像といえる。では、スウェーデンのコロナ対策は何を目指してきたのか。これが何とも分かりにくいので、多くの極端な誤解を生みだした。スウェーデン政府の説明では、よく言われているように「集団免疫」を目的としたのではなく、「医療崩壊の阻止」を対策の中心に置いたという。しかし、集団免疫について聞かれると、国家免疫学者であるアンデッシュ・テグネルは、第2波において他の国より集団免疫において有利だとコメントしたので、やはりスウェーデンは集団免疫によって、感染をストップさせようとしていると報じられる傾向が強まった(図:スウェーデンのコロナ感染者数、ourworldindata.orgより)。

そのためか、スウェーデン方式の称賛者たちは、この国においては「第2波」はやってこないと言うようになった。なかには、スウェーデンはすでにコロナ禍から脱却したという人もいた。しかし、ストックホルム周辺の感染者数のグラフ(下図:The Economistより)や、同国全体でのグラフ(上図)を見れば、まだ急激ではないが、確実に第2波といえる山が形成されつつあるといえるだろう。

こうした傾向に危機感を覚えたスウェーデン政府は、9月24日、ロベーン首相みずからが国民は感染の防止に対して気を緩めすぎていると指摘して、「スウェーデンの状況は比較的安定しているが、一部地域で感染増加の兆候が見られ、懸念される」と述べている(ロイター9月25日付)。

それでは、現時点でスウェーデン政府およびテグネルはどのように考えているのだろうか。「テグネル博士は、さまざまな抗体についての研究をもとに、スウェーデン国民は約20%が感染しているので免疫も同程度だと推測されるという。それはウイルスを阻止するのに十分な免疫が形成されたとはいえないので、ソーシャル・ディスタンスや衛生的方法を組み合わせて、第1波を終わらせたと同じようにストップできると考えている」(ジ・エコノミスト)。

そのほかにも、スウェーデン政府はいくつもの対策を準備してきた。たとえば、感染経路探索と隔離についての見直しなどが模索されてきた。後者の隔離についていうと、ヨーロッパ諸国が隔離は14日であるところを、同国は7日に短縮する措置を導入し、検査で陰性になれば5日でも帰宅が可能にしている。隔離措置の短縮はWHOが懸念を示しているが、ワクチンがない現在は対策の継続性を重視しているのだという(おそらく、隔離収容する病院などのキャパシティを考えているのだろう)。

さて、すでに触れたが、スウェーデンによるコロナ対策において、大きな失敗だったとされる高齢者の死者数拡大は、どのようにして起こったのだろうか。これについても、少ないスペースのなかでジ・エコノミストはしっかりと介護施設である「ケア・ホーム」での失態を指摘している。

ケア・ホームでの死者はコロナによる死者の半数(同誌の資料では、6月26日現在で2280人で約50%)におよんだが、これを偶然の悲劇と見るか、あるいは当局のミスと見るかでかなり違ってくる。「公的な調査が行われ、何が起こったかを究明している。地方自治体の初期のミスは、ケア・ワーカーがマスクをかけ手袋をはめることを禁じてしまったことだ」。驚くべきことだが、これは今も議論になっていて、マスクの評価は他国に比べて低いままである。

また、多くの人が亡くなったのは、移民が集住している地域であるという問題もある。たとえば、ストックホルム近郊のある町ではシリア系の住民が住んでいるが、ここで巨大なクラスターが発生して大勢が亡くなった。また、最初にコロナに感染したのは、ストックホルム市内のソマリア系住民だったという。

スウェーデンの死者数が急激に増加したことについて、こうした事情について通じていながら、あたかも地方自治体の問題だと言って済ませ、移民の問題だったと述べて、スウェーデンの中央政府の医療政策における責任を問わないような論者がいるが、これは明らかにおかしな議論ではないだろうか。もちろん、中央政府と地方自治体は異なっており、医療制度と介護制度との間には一定の区別があるだろう。また、人口の24%が移民もしくは両親が移民でありながら、それは移民政策の問題で栄光あるスウェーデン医療の問題ではないといえば言えないこともないかもしれない。しかし、これは新型コロナのパンデミックに対応するにはどうするかという、国家としての問題だったはずである。

それは今回措くとして、私はスウェーデンのコロナ対応について興味を持ってきたし、また、ブログやサイトで投稿もしてきた。そのさいの問題意識というのは、はたしてスウェーデン方式(トリアージを含めて)がそのまま日本のコロナ対策に応用できるのかというものだった。それは日本の文化や社会、さらには死生観のようなものの違いを超えて、はたして参考にできるのかという疑問があったということである。

ジ・エコノミスト誌もためらいなく「スウェーデン・ファン」という言葉を使っているように、スウェーデンが論じられるさいには、ある種のバイアスをかける人たちがいることが今回も明らかになった。それはスウェーデンに住んでいるとか、肉親がいるとか、利害関係があるとかいう人でないのに、スウェーデンのことを悪く言われるのは許せないという、まさにファンの人たちである。ファンになることは自由だが、それと日本への応用は別にすべきだろう(写真:ストックフォルム市内 The Economistより)。

ジ・エコノミストの視点もそこにあり、スウェーデンがもっているイメージではなく、実際に行われている今回のコロナ対策をファン心理によるバイアスは加えずに知って、そこから教訓になるものを得ようという姿勢である。ジ・エコノミストが描いているスウェーデン社会とは次のようなものだ。

「スウェーデンは高信頼社会であり、そこでは国民はルールに従う。そこでのアプローチは、コロナが長く居座れば、国民への過大な要求がルール順守を低下させ、感染を広げてしまうことを回避することになる。低信頼社会ならば、そこでは強制と自主性との、また別なバランスが必要なのかもしれない」

こういわれると、なかには「日本は高信頼社会ではないか」とスウェーデンとの共通性を「発見」する人もいるかもしれない。しかし、ここにはもうひとつ前提があって、スウェーデンはきわめて強力な個人主義的な社会であり、そうした社会を動かしているのがルールへの順守なのだということである。この点において、そのときの空気で動かす日本とはまったく異なる社会であると思ったほうがいい。ただし、今回のコロナ対策において日本とスウェーデンに共通点があるとすれば、規制的な措置はロックダウンほど厳しくなかったが、今もある程度の規制を続けているという点だ。ついでに言っておくと、意外に思う人がいるかもしれないが、スウェーデンの規制は日本と比べて、緊急事態宣言の期間を除くと、むしろ厳しいのである(下図:Our World in Dataより)。また、言うまでもなく極端から極端に振れたような国はコロナ対策がうまくいっていない。

したがって、日本人がスウェーデンのコロナ対策から得られる教訓というのは、ジ・エコノミストが強調している、スウェーデンの政策における「エビデンス(証拠)」に基づく「プラグマティズム」ではないだろうか。この点は日本もある程度は行ってきて、数字上は遥かにスウェーデン以上の成果を上げたが、その時々で判断するというプラグマティズムはあっても、根拠を明示するエビデンスに基づくという点が希薄である。この点は第3波の前に日本なりに考えてみても損はない(同じにしろというのでは決してない)。すでに述べたように、スウェーデンはマスクの効用に対しては低い評価しか与えていない。しかし、ジ・エコノミスト誌は次のように述べている。

「それではマスクはどうなのか。スウェーデン・ファンはストックホルムのマスクをしていない群集こそが自由の証だというかもしれない。しかし、それはこの国の政策の基盤でもなんでもない。もし、感染が再び増加していけば、そんなものはすぐに変えてしまうこともありうる。結局、スウェーデンの政策というのは、エビデンスとプラグマティズムに基づいているのであり、闇雲の原理主義ではないのである」

追記:ロイター10月13日付は、9日ー12日の4日間でスウェーデンの新たな感染者が2203人に達したと報じた。本格的な第2波になるかもしれない。

【11月22日以降に読んだ方への追記】その後もスウェーデンの感染者数と死者数は急進し、感染者数は夏のピークに比べて7日平均値で4倍をゆうに超え、11月13日には6737人を記録した。死者数も1日25.29人の日もあった。同月5日から18日までの感染者は5万9060人だ。(人口を考えると日本の感覚ではこれらを12.3倍してほしい)その後、少し収まったかと思われたが、続伸の気配は濃厚である。同国政府の首相および国家免疫学者は「方針の変更はない」と強弁しているが、事実上の規制強化と準ロックダウン化は明白だ。首相は国民に「ルールを無視する口実をさがすな」と警告して、「ジムに行くな、図書館に行くな、パーティをやめろ、これらはみな延期しろ」と呼びかけたが、これまでのようにマスクをせずに人々が集まる状況は、なかなか制御できないとの報道もある。

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