草笛光子の演技にはもったいぶった要素が微塵もない
『第46回ヨコハマ映画祭 特別大賞 草笛光子』
選評 映画評論家・内海陽子
一般の人もアンチエイジングにそわそわしている時代、女優ともなれば老いへの備えは死活問題だ。そんな時代にのびのびした実在感を見せ、大輪の花を咲かせているのが草笛光子である。近年、わたしが驚いたのは『老後の資金がありません!』(2021・前田哲監督)で、彼女が劇中の“芝居”で老いた男性に扮してみせたときだ。みごとにはまっているのは当然ながら、そのおとぼけ具合、ユーモラスな会話の妙に、彼女は本気で女優をやっていると感服した。女優なら当たり前のことだと思うだろうがそうではない。年を重ねるうち、女優とは呼びたくなくなる方もけっこういる。
だんぜん女優の草笛光子は年齢とともに美しさを増し、今が最も旬の状態を維持し続けている。そんな彼女が『九十歳。何がめでたい』(前田哲監督)のヒロインに選ばれたことこそがめでたい。原作者の作家・佐藤愛子とはまったく違うタイプの女性であるにもかかわらず、その度胸のよさと人間味を最高の形で再現する。いや、むしろ草笛光子という女優のドキュメンタリーとして観客を存分に楽しませ、それを丸ごと佐藤愛子への敬意にしてみせる。
草笛光子が、より現実に即した老婦人を演じるのが『アイミタガイ』(草野翔吾監督)だ。一人暮らしで介護ヘルパーを必要としながらも品位を保つ高齢の女性。こういう人は世の中に数多いと思うが、彼女たちの真情がエレガントに表現されることはほとんどない。それを、草笛光子はまことにスマートな女性像に仕立てて見せる。彼女が演じる老婦人は、金婚式を行うカップルのために、会場でピアノ演奏をすることを引き受ける。若き日のたいせつな靴に合わせた青紫のドレスを注文してまとい、大きく背中のあいたドレスが肌を煌めかせる。この冒険心に息をのむ。
何よりも肝腎なのは、草笛光子の演技にはもったいぶった要素がみじんもないことだ。いつのまにか九十歳を過ぎちゃって、でも、それが何か? とでも言いたげにすましている。常にふんわりした可笑しみをまとい、その可笑しみで周囲をなごませ、勇気づける。彼女がいるだけで、なんでもない人間の世界がみるみる明るくなる。まさに天に選ばれし稀有な女優である。
特別大賞という賞は、功労賞の趣を帯びてしまいがちだが、草笛光子にかぎってそういうイメージは全くない。彼女はまだまだ何をするか見当がつかず、思いがけない世界を見せてくれるだろう。これからも万人のはるかな希望の象徴として輝き続けるのである。
(この選評は『第46回ヨコハマ映画祭 映画ファンのための熱いまつり』から転載しました:サンイースト企画)
第46回ヨコマハ映画祭(2025年2月2日開催)の受賞者および受賞作品は次のとおりです
作品賞 『夜明けのすべて」三宅唱監督作品
監督賞 入江悠 『あんのこと』
森田芳光メモリアル新人監督賞 奥山大史 『ぼくのお日さま』
脚本賞 野木亜紀子 『ラストマイル』『カラオケ行こ』
撮影賞 浜田 毅 『本心』
主演女優賞 杉咲 花『市子』『朽ちないサクラ』『52ヘルツのクジラたち』
主演男優賞 仲野太賀 『十一人の賊軍』
主演男優賞 役所広司 『PERFECT DAYS』『八犬伝』
助演女優賞 三吉彩花 『本心』
助演男優賞 池松壮亮 『ぼくのお日さま』『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ』
最優秀新人賞 越山敬達 『ぼくのお日さま』
最優秀新人賞 齋藤 潤 『カラオケ行こ』『瞼の高校生』『からかい上手の高木さん』
最優秀新人賞 出口夏希 『赤羽骨子のボディガード』
審査員特別賞 土井敏邦 『津島―福島は語る・第二章―』『ガザからの報告』
特別大賞 草笛光子 『九十歳、何がめでたい』『アイミタガイ』
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり
『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき
『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく
『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ
『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ
『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ
『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!
RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い
『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション
千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』
成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて
情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る
生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!
ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』
オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ
現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう
長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作
どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力
挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ
おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』
内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました
小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる
娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい
感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて
最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開
チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな
「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする
役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり
異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!
恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」
王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』
「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ
漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』
未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力
ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ
ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる
底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情
早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地
二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』
おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』
生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』
前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』
小さな人間にも偉大なことはできる;妻の仇討ち物語『ライダーズ・オブ・ジャスティス』
AIを超える人間の誠意;『ブラックボックス 音声分析捜査』の最後に残る希望とは
体全体で感じる音楽の喜び;『CODA あいのうた』の家族たち
胸がすく女殺し屋の戦闘シーン;『ガンパウダー・ミルクシェイク』から目を離すな!
臨床心理士が逆に心を解読される恐怖;『カウンセラー』がみせる短編映画の切れ味
深い思いやりをもって吸い付くように伴走する笠松則通の眼;ヨコハマ映画祭・撮影賞によせて
肩の凝らない、いいセーター;今泉力哉監督の『猫は逃げた』は恋のトラブルの高みの見物
隠し味が効いてる『ゴヤの名画と優しい泥棒』;実話の映画化はやっぱり喜劇が最高だ!
田中圭の『女子校生に殺されたい』;目当ての少女を見つけ出せ!
生きることはミステリアス;小林聡美の『ツユクサ』がもつ苦味とおかしみ
奇妙な悲しみをたたえる阿部サダヲが怖い;『死刑にいたる病』が残す余韻
「少女」を演じる宮本信子が温かい;『メタモルフォーゼの縁側』は生きて行く活力を伝える
鳥肌が立つほどの軽やかさと上品さ;中井貴一の『大河への道』は裏切らない
あの世への優雅なダンス;『スワンソング』の心地よい風に吹かれて
人生における美しい瞬間;『セイント・フランシス』の小さな体験
「イエス」で答え「アンド」で繋げる未来;『もうひとつのことば』の初々しい二人
永野芽郁のバンカラ女子がいい;『マイ・ブロークン・マリコ』の確かな手ごたえ
『ドライビング・バニー』は振り返らない:アンチヒーローの正義
正念場を迎えた4つのカップル;『もっと超越した所へ。』のいい加減で深刻な情熱
男がひとりで食べるフルーツパフェの味;『窓辺にて』の嫉妬とおかしみ
生きる上で幸福は花火のよう;『夜、鳥たちが啼く』の晴れやかな世界への出発
阿部サダヲの『アイ・アム まきもと』は温かい;死を通じて人と繋がる静かな高揚感
世界は美しさに満ちている;カンバーバッチの『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』
弱虫だから輝く『雑魚どもよ、大志を抱け!』;内海陽子が足立紳監督の魅力と「誕生秘話」を語る
悩んで悩んで悩みぬく竹野内豊と黒木華;『イチケイのカラス』は上質なエンターテインメント
永遠性を獲得した異形の少女;『エスター ファースト・キル』が暴く家族の狂気
『Winny』は人生のドラマ;東出昌大という俳優の復活をみる
リーアム・ニーソンの『MEMORY メモリー』:殺し屋とFBI捜査官の意外な連帯感が楽しい
手ごたえのある人生を勝ち取る;『ウィ・シェフ!』の深い味わい
『テノール! 人生はハーモニー』の愛と悲しみ;思う相手に心が届く瞬間
「ちきゅう」はどこまでも繋がっている;『せかいのおきく』にある強い向日性
『釜石ラーメン物語』はチャーミングでハッピー;闘い続ける姉妹が発散する活力
父と息子の対決を包み込むあたたかい風;『ふたりのマエストロ』の颯爽とした女たち
『高野豆腐店の春』は男心のサスペンス;藤竜也は女たちを輝かせる
孤独・情熱そして生きる意欲;人間の深みを描く『ダンサー イン Paris』
はちゃめちゃな闘いぶりに体温が上がる;『SISU/シス 不死身の男』は屈しない精神の映画
『LONESOME VACATION ロンサムバケーション』の「行間」を読む楽しさ;自分の未来を発見する物語
女は被害者ではなく加害者がふさわしい;『私がやりました』の魅惑的なアジテーション
『ショータイム』は哀歓に満ちた奇跡の物語;すべての人生は敗者復活戦だ
足立紳監督『春よ来い、マジで来い』を語る;内海陽子が迫る最新小説と『ブギウギ』の背景
最後まで観客を振り回す見事な展開;『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』で味わう恐怖と謎とき
風格ある江口のりこの演技力;『あまろっく』は「失意」からの脱出物語
ムロツヨシが大活躍の『身代わり忠臣蔵』;多彩なキャストで笑わせる正月映画の楽しさ
リュック・ベッソンの『DOGMAN ドッグマン』;すさまじい殺戮と深い癒しの物語
黒木華と岸井ゆきの――大女優への道;内海陽子が論じるヨコハマ映画祭主演女優賞の2人
柔軟なエネルギーの発露とまごころ・目黒蓮;ヨコハマ映画祭・最優秀新人賞によせて
殺人犯と少年たちの熾烈な心理戦;『ゴールド・ボーイ』は果てしない愛憎の迷路
恋は天下の回りもの『ブルックリンでオペラを』;人生は意表を突く喜びに満ちている
チホとイルヨンの恋物語が胸に迫る!;『マイ・スイート・ハニー』はジワリと泣かせてくれるコメディ
市原隼人の『劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ』を見よ!;給食をめぐる「一期一会」の戦いは続く
好きよりももっと好きな二人の関係;『からかい上手な高木さん:は十年かけて育てた初恋の物語
三姉妹の諍いが激しい『お母さんが一緒』;画面に出てこない母親の甘酸っぱい存在感
美少女リアがカンフーで大活躍!;『ポライト・ソサエティ』は切れ味最高の娯楽映画
さらさらとした母の愛の大きさ;『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は聴覚障害の両親をもった少年の成長記
『本日公休』が描き出す理髪師アールイの人生;「後頭部をみればなんでもわかる」
観客を恐怖におののかせる『悪魔と夜ふかし』;本物の悪魔は人の心に巣くっている
床下で発見した「妄想」の正体;江口のりこの『愛に乱暴』にある怖ろしさ
猛烈に切なく誇らしい『ロボット・ドリームズ』;ドッグとロボットの泣かせる友情
『スマホを落としただけなのにー最終章ーファイナルハッキングゲーム』裏切りと裏切りの果てに
菅田将暉の『Cloud クラウド』にある爽快さ;『ここは地獄の入口か」
『スマホを落としただけなのにー最終章ーファイナルハッキングゲーム』;裏切りと裏切りの果てに
美しいピアノ曲のような『アイミタガイ』;たがいの思いやりが未来をひらく
いさぎよい時代劇ファンタジー;『侍タイムスリッパ―』は真剣勝負の喜劇映画だ
ひたすら食欲に従って生きる!;『劇映画 孤独のグルメ』はさらにすがすがしい
『悪い夏』は人間への信頼がある;堕ちていった底での意外な救い